〜'01.03.31までのSilly Talk |
チェーンのあそび
久々に(っつ〜か、初めてか?)リクエストがあったのでおもてを更新しようと思ったんだけど、まぁなんとなくこちらで。ここもファイルサイズがでかくなったし、そろそろ整理時だな。
さて、リクエスト部分を引用しますと、
>>非常に初歩的な質問させて下さい。
>>チェーンの遊びってどう調整されてます?
>>というのは回転させてゆるい部分で20-30mmというのは分かるのですが、
>>それって乗車時?非乗車時?それとも????
というものです。念のために国内R750Lのサービスマニュアルを確認すると、サイドスタンド駐車で計測して、ドライブスプロケット/リアースプロケットの中間地点でチェーンの振幅を25〜35mmに調整せよとあります。無改造なバイクならこれをそのまま適応すればイイでしょう。(当然バイクによって数値は変わりますよ)
では....っと自分のバイクを改めて測ってみると、サイドスタンド駐車計測で、約45mmとなりました。ずいぶん多いですねぇ......っと単純に考えるのは間違いです。なぜなら私のバイクはノーマルじゃないから。結果として今の数値になっているだけの話で、こういった事は原理原則を理解するのが近道です。
お手元のバイク雑誌をひも解いてみて下さい。出来ればレーサーの写真が載ってる雑誌がイイかな。走行状態だと良く分かりませんが、整備中のバイクの写真などが掲載されていればそのレーサーのチェーンの状態を見るとかなりダルダルになっている事を発見すると思います。古いレーサー程その傾向は顕著ですね。じゃぁ私は見た目をレーシーにするためにダルダルにしているのか?(笑)
かなり極端ですが、まずは以下の図を御覧下さい。
どうってことないスイングアームの動きを示した絵なんですが、このようにスイングアームはピボットを中心に円運動をするように作られています。もしここで、ドライブスプロケットがスイングアームピボットと同じ位置にあれば、チェーンのあそびはスイングアームの位置に関わらず変化はしません。(わかりますよね?)
ですが、実際のバイクはスイングアームピボットよりも前方に、チェーンを駆動するドライブスプロケットがあります。
上図のように、ドライブスプロケット、スイングアームピボット、リアホイールアクスルが一直線に並んだ時がいちばんチェーンが張る状態だという事(2点間の距離が一番長い)はお分かりいただけると思います。(3軸の関係によっては必ずしもスイングアームが地面と平行になった時とは限りませんので御注意を。)
つまり、この状態で若干のあそび(1cmも要らない)を確保すれば良いだけで、その調整をしたあとで、サイドスタンド駐車で再度測れば「(サイドスタンド駐車での)あなたのバイクの適正なチェーンのあそび量」が分かるだけの話です。
サイドスタンド駐車をすると、スイングアームは上図のように下がりますから、ドライブスプロケットとリアのスプロケット下側を結ぶ直線距離は(アームは円運動する関係で)一直線の時よりも短くなります。コマ数は減りませんから、その分チェーンは下側に弛みます。これが「あそび」の正体です。故に、あそびを少なく調整してしまうと、スイングアームが上側に動けなくなる可能性がある事に注意して下さい。大排気量車の場合、チェーンは簡単に切れます。また、切れるまでいかなくても、それ以上スイングアームは動けなくなってしまう(リジッド状態)わけですから危険です。(余談ですが、上図の赤丸の部分には必ずチェーンバッファと呼ばれるゴムのダンパが付いてます。ここはどうしてもスイングアームと干渉しちゃうんですね>ピボットとドライブスプロケットが同軸ならそんな事は起きないんですけども。)
で、話は戻って、なんで私のバイクやレーサーのチェーンは一見ダルダルに見えるのかというと、空車時(サイドスタンド駐車時)のスイングアーム角度が立っているからです。車高調の影響もありますし、私は自由長が長いリアサスに換装してますし。また、換装していない場合でも、空車時のスイングアーム角度はリアサスのイニシャルでも変わりますから、見た目のあそび量はイニシャル最強と最弱では結構違います。(これがマニュアルの「振幅を25〜35mmに調整せよ」の10mmの幅の意味です。)また反対に、最近のバイクはドライブスプロケットとスイングアームピボットの位置がかなり接近してきています。ということはチェーンの見た目の遊びは少なくなってきている傾向にあります。
つまり、サイドスタンドで測ろうが、レーシングスタンドで測ろうが、測り方そのものは本質ではないという事で、「3軸が一直線に並んだ時に若干のあそびをとる」事がチェーン調整における正解となります。
ただ、リアショックをつけたままで3軸を一直線に並べつつチェーンを引くなんて作業はタイダウンを駆使しない限り一人では無理ですから(笑)、走行会など、人数が集まった時に数人でシートを押してもらい、3軸を並べてあそびを測るって作業を1度は必ずする必要がありますね。一度調整してしまえば、データが残りますから、その後はやりやすい方法でその数値に合わせればイイだけです。(厳密にはチェーンの伸びも絡むのですけど、割愛)
こんなんでいかが?(笑)
テレビというメディア
バイク系BBSやMLでいきなり総スカンを喰った感のある「ガチンコ」なるバラエティー番組。そう、今回のテーマは「ガチンコ バリバリ伝説」だそうで、今年の8耐出場を目指すらしい。この企画に関してはかなり早くから某ルートで様々な裏情報を得ていたので(笑)個人的にはどうだってイイ話でかたずいている。
が、面白いもので、昨夜の第一回放送後、わずか24時間以内にインターネットの世界では非難轟々だ。俺は昨夜は某事務所でほんの触りぐらいしか見てないんだけど、特攻服をまとったヤンキーにタレントが説教たれてたシーンぐらいしか思い浮かばん。ある種の人たちにはああいった「演出」がどうにも我慢ならないらしいのだが、俺にとってはどうだってイイ話だ。そもそもテレビなんて信じちゃいないしね。
身近な話題、大好きなバイクに関する話題には敏感に反応するライダー達も、ラーメン屋の話やボクサーの話は楽しんで見ていたんじゃないのか?(俺は見ちゃいないけどさ)その時、ラーメン業界(そんなのあるのか?)やボクサー達はあなた方「バイク乗り」と同じような思いをしてたんじゃないの?メディアの作り手に問題がないとはいわないが、受け手にも問題があるんだと思う。報道番組だって信用できないというか、「事実の報道」から「(番組にとっての)真実の想像、視聴者の誘導」へと15年以上前から変わっているんだから、バラエティなんぞに理念も信念もあるまい。(ちなみに俺はめったにテレビ、特にドラマ、バラエティーは見ない)同じ「作り物」なら俺は小説や映画の方が好きだな。
オリンピック等のスポーツ番組が「感動をありがとう!」的な演出を始めてかなり経つ。視聴者が「感動」を求めた結果なのかは俺は知らんが、そこにはなんらかの「演出」が必ず介在する。話を8耐に絞れば、毎年1時間程度のドキュメンタリーとして放送される番組も大幅な映像編集やナレーション、BGMがつく。8耐ウィークの間、ライダーだってメカニックだって観客だって飯も喰うし糞もする。だが、決してその姿は放送される事はない。都合のいいところばかりを切り取った結果が番組となる。じゃ、切り捨てられた映像は8耐の一部ではなかったのかといえば決してそんな事はない。それら全てが8耐なんだし、テレビの前に座ってビール飲みながら疑似体験できるわけがない。
怒るのも結構。抗議するのも結構。だけど、バイクに関してだけ、その視点を持つのは間違っている。テレビなんてメディアはもう終わっているのだ。
TIはまたも雨....
昨日はTIサーキットで行われた「TIフレッシュマン2&4レース」を見に行ってきました。朝の5時に江坂駅で待ち合わせたのち、クエストレーシングのN氏のGTRに同乗して出発。天候は生憎の雨。今回はクエストレーシングからGP125クラスに出場する3名のライダーの応援なので、自分が走る予定はなしでした。
レースを見に行くのも結構ひさしぶりだったのですが、やっぱあの独特の雰囲気はいいですね。走行会とはまた違った緊張感に溢れています。予選/レース結果はTIサーキットのHome Pageに掲載されているのでばっさりカット。
二輪全クラスのラップで、ファステストだったのがYZF-R6(Over De" Light)の1'55.309。このクラスの決勝はすでにサーキットを後にしていて見ていないんですけど、予選の走りはピット裏で見てました。こないだの走行会も同じく雨。で、私のタイムは2分37秒ぐらい。実に136%落ち。(泣)けどまぁ、レーシングレインってタイヤを触ってみてある程度納得。なんつ〜か、キャラメルみたいにネチョネチョしたタイヤでした。一度はこんなの履いて走ってみたいもんです。やっぱ、単機能用途を追求した製品はタイヤに限らず高性能だし、そしてなにより、安全で、格好も宜しい。X-F仕様のZX-9Rとかを見てみても、保安部品を外すだけでノーマルとはまた違った潔さというか、精悍さが出ていました。とてもいい感じです。機能美ですね。吹田に戻ってまたがった我がRはどことなく中途半端な雰囲気に見えましたとさ。(笑)けどまぁ、大好きなんだけどね。
そうそう、一つ訂正です。
>地球の唯一の衛星にして、最も身近な天体が何故自転していないのか。公転はしてる癖にね。
上記の記述につきまして突っ込みが入りましたので、転載しておきます。
>月は自転していないのではなく、自転周期と公転周期が同じなので裏側が
> 見えないのだそうです。それにも理由があるみたいですよ。
>http://moon.nasda.go.jp/ja/qanda/faq/faq3/same_period.html
言われてみれば自転してなきゃ裏側は見えるはずだわな。(笑)何を間違って覚えちゃったんだろうか>俺 それにしてもやっぱり、自然とは不思議だ。いつもありがとねぇ>Yanaっち。←リンクしない俺を許してくれ。(笑)
The Dark side of the Moon
月の裏側。地球上からは決して見る事が出来ない世界。月面宇宙人基地説なんてことが昔取りあげられた事もあったけど、地球の唯一の衛星にして、最も身近な天体が何故自転していないのか。公転はしてる癖にね。いずれにしても「謎」は未だに多く、科学はまだまだ「Sense of wonder」を解きあかしてはいないのです。iTuneなるAppleから提供されている無料MP3作成/再生ソフトのフラクタルっぽい音楽連動映像を見ながら「2001年宇宙の旅」のボーマンの心境になるのは俺だけじゃないはず。太陽のコロナの映像や火山の噴火、川の流れ、雲の変化する様子。パソコンでかなりそれっぽい映像が再生できるって事はそれほど複雑な数式を駆使する事はないはずなので、自然現象のほとんどは、シンプルな原理原則であれ程複雑な表情を創り上げているんでしょうね。やっぱ、「真理」ってのはあるのかもね。
で、今回のタイトルはピンクフロイドのアルバム名そのものなのですが、最近の私のお気に入り、「Black Moon」のご紹介。かなり前から、リンク集の最下部、Specialsに登録させていただいていたのですが、「蒼き月の裏側」ってコラムがもう、最高なのです。r1100fujikawaさんのところへはその登場とほぼ同時にR関連からリンクさせていただいていたと思うのですが、このコラムとサイトタイトルのBlack Moonが結びついた時、なんというか、背筋がゾクゾクしちゃいました。地球上に居ては、つまり、表面だけの改造では決して見る事が出来ない「月の裏側=Black Moon」が、そのコラムでは詳しく語られていたのです。一部の方にはこのRide on GSX-Rは「ノーマル万歳!サイト」と勘違いされているようなのですが、私自身はチューニングには非常に興味があります。ただ、現在のバイクの使い方を考えた時に、現状の維持コンセプトがベストであるだけの話で、この先どう転んじゃうかは全くの未定でございます。
とにかく、「改造、チューニング」に興味をお持ちの方はご一読をお勧めします。
それにしても比べちゃうとなんともしまらないサイト名だな>Ride On GSX-R(笑)本人でさえ思い入れが全く湧かないのもうなずける話だ。(笑)
いやぁ、暖かい毎日ですね。こりゃすっかり春ですなぁ。
そんなこんなで気合いを入れて更新しようと思ったんだけど、あんまりMacintoshに向かう気分でもないので(笑)、相変わらずのサボな毎日です。けど先日TIで行われたJAJA試乗会のレポート、早く書かないと忘れてしまいそうだ。というか、既にGSX1400の印象が.....(笑)
で、当日もらったパンフレットというか、予定進行表の表紙をスキャンしてみたんだけど、気付くかなぁ.....。
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こんなにでっかく「20001年」と書いてあるのに、最終チェックまで誰も気付かんもんなんでしょうね。(笑) ま、こんな、誤字脱字だらけのサイト運営者に突っ込まれる筋合いはないと思うけどさ。 |
判断力
なんだか知らないけどここんところ更新意欲が湧かん。困ったなぁ。忙しさにかまけてサボり癖が付いちゃった感じ。実走を伴うイベントは体力的にもキツイ年代に入りつつあるんだけど去年は結構ちゃんと更新していたのにねぇ......。
ま、そんなこんなで先週は2回も岡山のTIサーキットを走りました。1回目は完全ドライの天候の中、JAJAの試乗会でGSX-R1000、GS1200ss、GSX1400の3台を3周づつ計9周。国際サーキット初走行にしてはかなりイイ環境(天候も走行ペースも)だったように思います。「むちゃくちゃ広いからどこを走ればイイか分からないかもね」なんて危惧していたんですが、結局走るべきラインは1本しか見えなかったのでそれなりに成長しているんでしょう、きっと。ま、トレースできるかは別問題なのですが。(笑)詳細なインプレはまた後日、きちんとコンテンツとして書くつもりです。
で、こないだの土曜日はデグナーさん主催の走行会だったんですが生憎の雨。晴れ男パワーは失われてしまったようです。残念な事には違い無いのですが、やはり借り物のバイクで走るのと自分のバイクで走るのとでは面白さが全然違いますね。ドライだったなら....なんて感情を押さえつつ、それなりに楽しく走り回ってました。(遅いのか速いのかも良く分からんが、タイムは2分37秒がベストでした)
そして、自分の走行がすべて終わり、残るは友達の走るビギナークラスの最終枠。せっかくなので全ラップのタイムを取ってあげようとピットウォールで計時している時にその悲劇は起きちゃいました。先頭でコースインしたS氏(あえて名は秘す)がメインストレートを一際かん高い排気音で駆け降りてきます。M氏と「開けてるねぇ〜〜」なんて噂しながら計測開始。様々なバイクが様々なペースで次々メインストレートに帰ってきます。で約2分30秒後、最終コーナーにS氏のバイクが見えてきました。「をぉ、結構速いな」なんて言いながら計測ラインでウォッチを押すと2分37秒88。その数字を確認していると「グワシャァ〜〜〜、ガラガラガラ〜、バコン!!」なんて音が1コーナー方向から聞こえます。偶然隣にいたGMDの鈴木代表が「あっちゃぁ〜、やっちゃったよ」というので見てみると..........。どうやらS氏がホームストレートエンドでフロントから転び、そのままグラベルまで人車とも滑っていってしまったみたい。走行枠終了後、ドナドナされて帰ってきたバイクは「国際サーキットで転ぶとこんなになっちゃうのね」ってぐらい、外装がボロボロになってました。幸い、ライダーのS氏の身体は大丈夫そうだったので一安心です。
いろいろ話を聞くと、要するに最終コーナーを上手くまわれたので、メインストレートで初めて6速まで入った→結果、ブレーキが間に合わず、ついつい握り増ししてしまった→フロントから転んだ、って事みたいでした。滑走の音の長さからして、150m以上滑ったみたい。恐い話ではあるが、なんとか避けることは出来なかったのか.....っとも考えてしまいます。鞭を打つつもりはないので、割り引いて読んでね>S氏。
速度域こそかなり違うが、私も猪名川サーキットのメインストレートエンドでブレーキが間に合わなかったことがあります。そのときの私の選択は、ブレーキの握り増しではなく、グラベル直行でした。結果として突っ込んだのでは無く、グラベルに突っ込むことを「(その状況での)ベスト」と判断した結果だったんですね。単独走行/トレイン走行、レイン/ドライなど、状況も単純に比較できないのですが、二次事故を防ぎ、且つ、一番自分にダメージが少ない方法を(そんなに考えることなく)判断した結果だったのです。当時の更新では「サーキットじゃ無ければ事故じゃん」っと書いていますが、結果はそのままコース復帰も出来たし、損傷もなし。「もし公道だったなら....」は結果からのフィードバックとしては大事ですが、現実に「安全確保のためのグラベル」がそこにある以上、それを利用するのがもっともリスクが少ないわけです。
何が書きたかったのか良く分からなくなってきましたが、要するに、あの場面でS氏に「ブレーキの握り増し」以外に選択肢は無かったのか?って事なんですよね。たらればをくり返しても仕方ないのは承知の上なんですけど、出来る限り直立状態を維持してブレーキ掛けながらグラベルに入れば150mの間にかなり速度も落ちただろうし、上手くすればコース復帰も出来たかもしれない。
「なんだかんだ言ってたつをさんは似たようなタイムなのに滅多に転びませんよねぇ....」
ぽつりと呟いた君の言葉に返す言葉はこんな事しか見つからない。選択肢を広げ、その場面でのベストを選べる判断力を培う。どうすればそれが出来るのかは私にはアドバイス出来ないけど、盗めるものが仮に私にあるのなら、どんどん盗んで下さいね>S氏
バタバタ
予想通り更新もママならない感じでバタバタしてるんですけど、明日はずっと楽しみにしていたデグナーさんの走行会でTIサーキットへ行く予定なんですが..........。予報は『雨』。
なんだかなぁ......。国際サーキット初体験が雨ってのもなかなか悲しいものがあるな。(泣)
先日のJAJA試乗会分を含め、きちんとした更新は来週半ば以降になりそうです。あ、MIDIも変えて無いや。
JAP
ってことでなんだかんだと続いていたJasper君との文通も一段落つきそうな予感。昨日はオランダからエアメールでドイツ語版のR1000のカタログと2001年版SUZUKI総合カタログが送られてきた。総合カタログの表紙はR3兄弟の揃い踏みで、なかなか楽しめる内容。だけどラインナップ自体は逆輸入まで考えると日本とそれほど変わらないんだね。50ccスクーターもちゃんとあるし。(R1000のカタログの後ろにうっすらと写っているのはおそらく伊藤光夫氏の勇姿でしょう)
さて、これといって話題にする必要もないのかもしれないけど、実はこの日本人向けフォームの最初のファイル名は「memberform_jap.htm」だった。勿論、彼が悪意を持ってこのファイル名をつけたのではないことは他のファイル名がeng、dut、fra、spaとなっていることからも容易に想像できたんだけど、これに噛み付く俺はやっぱり被害妄想なのかな....とも思う。こういった微妙な意識の違いを慣れない英語で相手に伝えるのはとても難しかったんだけど、最終的に彼の方が歩み寄ってくれたみたい。わだかまりは残っていないと思いたいのだけれど、少し自信がないな。
けどほんと、難しいよね。俺だって知らない間に「蔑称」となりうる単語を使っているのかもしれないし。だけど、疑問に思ったことをそのままにしておくのもなんだか気分が悪い話ではあるし。
しかしまぁ、ファイルの名前にまでいちいち気を配るのもしんどい話ではあるね。(笑)
AJICO
いやぁ.......。久々にバンドしたくて堪らなくなりますな、こんな楽曲を聴いちゃうと。1月程前、偶然付けていたTVの深夜番組でスタジオライブを見て鳥肌が立ったんだけど、CDを買いに行く元気もなく(笑)、結局ネットからmp3を落としました。音楽を上手く言葉で表現するのはとても難しいんですが、すんげぇ「オリジナル」だと感じました。それは、邦楽の中でもオリジナルであり、また、世界に対して「日本はこんな音楽を創れます」という意味でもオリジナルであるように思います。一度は本気で音楽を志した俺はほんと、嬉しさと同時に、悔しさまで込み上げてくるね。
なんか色々考えちゃうんだけど、それぞれのメンバーがきちんとバックボーンを持ちつつ凄まじく融合している姿は、俺がかつて目指した「バンド」の姿とはかなり違うんだけど、なんか凄く嬉しい。そうか、こんなバンドがマーケットに流通できる程、日本の音楽シーンも成長したんだねぇ.....。どうでもイイ曲も相変わらず氾濫してるけどね。(笑)
なんて感情と裏腹に、「マーケットに流通」と書いた自分を見詰め直してしまう。そう、私はビタ一文、金を払っていないのだった。強いていえば電話代だが、これとて著作権者である彼らには1銭も配分されないのは明らか。mp3って、登場時はかなりタブー扱いな技術だったんだけど、この2年程で堂々と日の目を見る技術に変わった。
「なにがオリジナルか?」はデジタルの進歩と共にかなりあやふやになってしまった気がする。私は「著作権糞喰らえ!」とは思っては居ないのだが、こうしてmp3をダウンロードするに際し、さほど抵抗を感じていない事に気付く。この線を今後、どうやって引いてゆくのか......。悩みの尽きない春ではある。
お疲れさま
懇意にしていた個人Web Page(バイク系ではない)が本日付で終了した。3年半で35万アクセス。自分のサイトのアクセス数にはさほど関心がない俺も憧憬を持ってしまう数である。WebMasterである氏とは同じ大阪に住みながら一切の面識がない。顔も知らず、声も知らず、まさにネットだけの付き合いであった。交わしたメールも実はそれほど多くない。メーラーが何度もぶっとんでいるので確かな事は言えないが、多分50往復もしてないと思う。が、私は確かに彼に友情を感じているし、それは向こうも同じだと思う。なんか不思議な関係だ。
彼は私が「インターネット」なるものに、「Web Page」なるものに漕ぎ出そうとためらっていた時に、優しく背中を押してくれた人だ。その後、互いのWeb Pageの更新を刺激としながら運営を楽しんでいった。「親友」なんて言葉を使わなくなって久しいけど、私にとって、ネットでの親友は彼だけかも知れない。そして、多分、この感情はネット上でしかはぐくむ事は出来なかったであろうと思う。あの蜜月のような時間を共有できた事は俺にとってまさに奇跡だった。
が、2人して憧れた某氏がWebを去り、そして、私もまたリタイヤ。既にこのRide On GSX-Rを開いてはいたが、昔のような「全人格をWebにて表現する試み」はやめた。それは単に私にとって「そうする必要がなくなった」だけなのであったのだが......。
ある日、彼のサイトも大幅な模様替えが行われた。「頑張っている」姿がそこにあった。その頃から、私は彼のサイトをあまり覗かなくなった。何故だろう?....そんな事を考えた。以前も少し書いたが、私は「頑張れ!」なる言葉が好きではない。その言葉からは価値観の押し付けを強く感じるのだ。そう、彼は「頑張って」いたのだろう......、きっと。
言葉のニュアンスは非常に難しいものがあるが、私は「努力」「根性」などを否定しているのではない。ただ、それらの行為が、自発的なものか、強要されたものかで私が受ける印象は決まる。自分の事を振り返ると、大好きな事、「もっと〜〜したい」なんて時には端から見れば馬鹿かと思えるぐらい頑張っている自分に気付く。けどそれは辛い行為ではない。ほんと、そういう時は「楽しい」のだ。私が「楽しんでね♪」という言葉を選ぶ時にはいつもそんな事を考えてる。が、後者の頑張りは見ているだけで辛い。スランプ時のプロ野球選手の特打ちのようなものだ。見えないプレッシシャーに押しつぶされないように耐える姿は確かに感動的ではあるが、それはその後の復調があってこそ感動できるのであって、復調せずひっそりと消えてゆく人の方が遥かに多いことを忘れている人は多い。
だからこそ、「頑張れ!」なんて言葉を自分以外の人に対して平気で使う神経が分からない。一発逆転なんて人生に於いてそう何度も経験できる事ではないのだ。「感動をありがとう」的な演出がテレビなどでは日常的に使われるが、彼は、私は、なにもあなた方を感動させる義務などないのだ。自分自身に対し、「頑張ろう」と発破をかける事は勿論ある。それはある種、自分自身へのケジメ的側面も大きいのだが、何もそんな姿をさらけだす義務も必要もなかろう。
だから、あなたのサイトを見るのが辛かった。義務感がただよう更新を読むのがしんどかった。辞めたきゃ辞めればイイのになんて思ってた。これ、本音です。
大きくなってしまったサイトを畳むのは勇気がいるし、元◯◯さんなんて幻影を引き摺る事もあるかも知れない。全身全霊を込めて創ったサイトだから尚更だね。けどほんと、続ける事「そのもの」に意味なんてない。
「継続は力なり」なんて諺がある。これは「諦めないで頑張って続けてみろ。それが大事さ」と解釈される事が多いが、私は「続けてこれた事こそが大事」ってな後ろを振り返るニュアンスで捕らえている。どんな事でもいい。音楽を聴く事でも、バイクに乗る事でも、サイトを創る事でも。何か新しい事を始め、今まで続けてきたのなら、何かしら得るものはあるはずだ。それが楽しいものであるならば「続けよう」なんて新たに決意しなくてもこれからも続けてゆくだろう? 楽しかったから自然に続いてきたのではないか? 「続けてこれた事こそが大事」ってそういう意味なのさ。『俺は一生バイクに乗る! 俺はバイク乗りだ!』なんて決意は疲れるんだよね。続ける事が目的なんて本末転倒だと私は思う。
ほんま、お疲れさま。また、何処かでお会いしましょう。>某氏 願わくば、楽しそうな姿がいいな。
私は人が「楽しんでる」姿が一番好きだ。
更新意欲
なんだか知らないけど、ここん所ばったりと更新意欲が涌かなくなった。(笑)ま、更新にムラがあるのはいつもの事なのですけど、シーズンインを待ちかねているっていうのが大きいのかなぁ。考えてみればもう随分長い間スポーツライディングをしてない事に気付く。きっと随分下手くそになっちゃただろうな。(泣)
とりあえずいつシーズンインしてもいいように整備だけは万全の筈。春はまだかいな。
あ、以前お知らせしたR Houseの日本人向けメンバー登録フォーム、今週末には正式にリンク出来そうです。お暇なら是非登録してあげて下さいね>Rライダーの皆様
自転車操業?
すまん。あんまりバイク/ネットネタから外れる事を書くつもりは無いんだけど、今回は特別に。
あれは今から3年前の5月12日。1台の「パーソナルコンピュータ」がAppleから発表されました。その日、私は以下のような更新を当時の自分のWeb Siteにて行いました。
-----ここから
iMacは良さげですな
98年五月、Appleよりブランニューな一体型Macintoshが発表になりました。その名をiMac。く〜〜〜ぅ。かっちょいいっす。
なんといってもその繊細なデザイン。あぁ、これっすよ。20th Macintoshは正直、なんだかなぁって感じがしていましたが、今回のiMacはマジで欲しいです。久々にデカモノに落ちそうで怖い。
けど、よくよくスペックを見て見ると、結構5210からの乗り換えにはきついスペックですね。今持っているSCSI機器は使えないってことやろ?結局。だってインターフェイスが無くて、拡張ボードも差せないって....。う〜〜〜む。
ほぼ同時にMac OS X(TEN)へのロードマップも発表になり、結局G3に乗り換えないと8.xで打ち止めみたいやから、どのみち次回の買い換えはG3を選ばないと意味がないの....か。困ったな。私はモニタ一体型が大好きなんですけどねぇ。いまさらあのダサいDTやMT匡体を買いたいとも思わんし.....。ここは一発NEW Power Book G3 という選択肢も視野にいれつつ....。
..........金、貯めなきゃな。
-----ここまで。
そして、実際に物が街にやってきたのがその年の8月末。あれから3年の年月が過ぎ、今日、新たなiMacがAppleより発表されました。で、思う。「なにやってんだ?Apple?」と。
せっかく自らが開拓した新しい層を、わざわざ自分から踏みにじってどうする?ってのが私の素直な感想です。いや、なにも新しいカラーリングがダサダサ(笑)ってだけでそこまでボロクソに言うつもりは無いんです。つい最近まで売っていたiMacの上位機種は「DV」、すなわち画像処理にかなり特化した位置づけとなっておりました。具体的にはDVD-ROMを内蔵していたんですね。FireWireの搭載など、デジタルビデオからの画像取り込み、加工と、「これからのパソコンはこんな感じの作業が気楽に出来るんだよ」っときちんとロードマップを示していたように思うのです。当然その先には「DVD-RAM」が来るのがあるべき姿.....っと思うのが人情ですよね。ところが。今度のiMacの上位機種が搭載しているのは.....CD-RW。なんじゃそりゃ?(笑)i-Tuneなるフリーの音楽加工ソフトを躍起になって宣伝してますけど、画像の次がサウンドって、順番が逆じゃないの?っとひねくれ物の私なんかは思ってしまうんですよね。
結局、G4やCubeの商業的失敗がiMacの商品展開にまで波及したって事なんでしょう。iMacのような比較的低価格帯の商品の性能が上位機種に迫ってしまい、差別化がはかれない。チップのクロックが思ったよりも上がらないなど、Appleだけを責めるのは酷なような気もしますが、あまりに行き当たりばったりと言うか、好きなだけに非常に悲しい気分になってしまいます。
この新しいiMacの登場で、今まで売れなかったG4などの上位機種がばか売れするとはとても思えないので、ますますAppleは厳しい状況になってきたなぁ....なんて思います。やはり、健全な競争が行われないマーケットってのは問題が多すぎですね。たった一人の判断ミスでパイそのものが消えちゃう可能性もあるんですから....。
ほんま、Appleは大丈夫なのでしょうか?? 頼むよ、ほんと。
ユニクロ
ご多分にもれず、最近私はユニクロでしか服を買いません。(笑)いや、ほんま、「価格破壊」ってこういう事をいうのか...ってぐらい商品は充実してるし、品質も悪くない。が、最近、ふと考える事があった。
実は、何度もここで話題にするR HouseのJasper君宛て、エアメールする機会があった。R1000のドイツ語版カタログを私に送ってくれるという事なので、お返しにYoshimuraの国内2000年総合カタログを送ったのだが、それにかかった費用が680円だったのだ。勿論、SALという一番安い印刷物専用航空郵便なんだけど、重量570gの郵便物を日本からオランダまで送るのにかかるコストとしては私的には非常に安いと感じる金額であった。オークションを頻繁に利用する人なら結構実感できると思うけど、国内の輸送コストって馬鹿みたいに高い。まぁ、普通郵便はそれでもかなり安いんだけど、宅配便などはちょっと考え込む金額が着払いで請求される。
で、ユニクロ。(笑)最近ここでMA-1タイプ(←ここらへんがバッタ臭い)のジャケットを衝動買いしたんだけど、それが980円だったのね。上手くニュアンスが伝わるかどうか不安なんだけど、SALの費用680円とこのジャケット980円は俺の中で非常にバランス良くつり合う訳だ。つまり、どちらを基準に考えても妥当な金額に思える訳。そういうバランス意識の中で改めて自分の周りを見渡すと、セブンスターは20本で250円、缶コーヒーは120円、ガソリンは100円/L、阪神高速は700円となんというか、「すんげぇ高いぜ!!」っとなっちゃう訳だ。
ま、税制など様々な事をきちんと考慮しないといけないのだけれど、「いかに消費者がコストを負担させられているか」を痛感させられちゃうんだよね。いや、俺は別に小売り店の店主に対し、「ぼったくるな!!」っと言っているんじゃないのよ。適正利潤ってのは当然あってしかるべきだしね。だけど、そういった「物の値段」の背景にある様々なものを考えた時、過去からのツケといいますか、「なんで俺が負担せにゃならんのだ?」ってな感情が渦巻く訳です。借金抱えながら造った高速道路は何時までたっても償還されないし、払い込んだ金額すら返ってこない(であろう)国民年金など、馬鹿馬鹿しい話が余りにも多いように思う。
セブンスター250円を当然とする意識から見ればユニクロは「安い」んだろうけど、ユニクロの価格を当然とする意識(恐らく世界の先進国の殆どがそうだと思う)から見れば日本の物の値段は恐ろしく高い。勿論、ユニクロは他国からの搾取の結果でもあるんだけど、これだけ支持される背景には結構根深い物があるんじゃないのかなってのが最近の俺の実感。
どうでもいいけど、消費者に喜ばれ、商売としても儲かる。経営者とは面識はないんだけど、きっと充実した日々だろうね。(笑)
プライド
あまりこの手の事を書くと某氏が懸念する右傾化(ちょいと違うか)に拍車をかける気もするが、ま、書かずにおれない気分なので徒然に。俺は単に「アメリカ糞っ垂れ!」と言いたいのではない。
勲一等旭日大綬章という勲章(憲法により、勲章には何の特権も伴いません、念のため)がある。時は昭和39年。とあるアメリカ軍参謀総長にこの勲章は授与された。その人の名は「カーチス・E・ルメイ」。これだけ検索エンジンが発達している現在、彼を知らない人もこの名前で検索すればどういう人物なのかはすぐに分る。そう、B-29による焼夷弾の嵐を直接指揮した少将(当時)その人である。彼が行った昭和20年3月10日の東京大空襲では、28万戸もの家が焼け、8万3千人を越える死者と、40万人を越える負傷者を出したと記録されている。そしてその殆どは......非戦闘員である単なる民間人だった。どんな状況だったのか、俺には想像すら出来ない数字だ。
俺はその頃、母の腹の中にさえいなかったので、何も言うことは出来ない。が、たとえ父母が当時東京には居なかったにせよ、その時代を生き延びてくれたお蔭で今の俺がいる事は間違いないし、それは、この下らぬ文章を読んでいるあなたについても同じことが言えるはずだ。「今」とう時代は、「過去」から途切れる事なく続いているのだから、「今この瞬間」だけを見て全てを語るのは片手落ちのようにも思う。
戦時中だから、彼の行為は仕方がなかった。勿論そうなのかもしれない。だがしかし。「航空自衛隊の育成に功労した」という理由で彼にこの勲章を授与するこの国の政府はやはり何処かおかしいと俺は思うのだ。ちなみにこの国が故:本田宗一郎氏に授与した勲章は'81年に勲一等瑞宝章、'91年(没年)になってようやくルメイと同じ、勲一等旭日大綬章......である。
プライドなんてとっくの昔に捨ててしまったのかもしれないね、この国は。
【補足】
東京大空襲の詳細について興味のある方は江戸東京博物館(両国/東京)まで足を運ばれてはいかがかな?
世代
「今時の若い奴はまったく〜」古の昔から同様の事は嘆かれてきたらしいが、俺はそうは全く思わない。諸手を挙げてこの時代変化を歓迎している訳ではないが、彼らの生き方を見ていると清清しい気分にさえなることも多い。多くの大人たちはいう。「彼らの考えは理解できない」と。勿論そうだろう。属国根性、島国意識、強きを助け、弱きを挫き、管理に搾取。そんな体制に首まで浸かってしまっている人々には理解する事などは不可能だ。
俺は経済復興を否定しているのではない。我々の父母の世代の頑張りで今の生活が出来ている事にはとても感謝している。が、ここでいう「生活」とは所詮「物」でしかない。自由主義経済に於いて物(商品)は全てであるとの意見もあろう。勿論それは正論だが、それと引き換えに失ったものもまた多い。俺は何も若者世代を代表してここに意見を書いているつもりはないが、俺の実感として、「物」が幸福をもたらすなんてこれっぽちも考えていない。電話が出来た。自動車が出来た。オートバイが出来た。ラジオが出来た。テレビが出来た。ステレオが出来た。冷蔵庫が出来た。電子レンジが出来た。ビデオが出来た。が、それらを所有する事が幸福だった時代が終わってすでに久しい。様々なモデルチェンジ。LPがCDになり、CDがDVDになる。それらがもたらすものはもはや「さらなる幸福」ではなく単なる「便利」さだ。俺たち(俺は今年36歳)世代は、そういう「熟成」の時代の先駆けであろうから、今の若者の考えがかなりわかる。彼らは「物」に幸せなど求めていないのだ。溢れかえる「物」を「いかに自分らしく使うか」......なんだよね。
分かりにくいか? つまりはこういう事だ。テレビという「物」そのものが無かった時代を知る人にとって、その出現は新たな価値観の提示であり、それを所有する事は幸福をもたらした筈だ。だが、今の時代、何処にでもテレビはある。どんなテレビを選ぼうが、「映像を映す」機能はこと足りている。商品に本質的な違いはない。映らないテレビなど何処にも売っていないだろう?そこにあるのは便利さ(デザインや品質も勿論含まれる)の差異だけだ。バイクも車も、全て同じことなのだ。10年落ちの俺のRと今度のR1000、どちらもちゃんと動く。品質はだいぶんと違うけどね。(笑)
そう、誰も考えた事もなかった「新しい物」が絶えて久しいのだ。ファミコンが最後じゃないのか?俺が育った時代はそんな時代だ。
産まれた時から物に囲まれて育った俺のような世代にとって、物など実際はなんだって構わない。似たような物は沢山溢れかえっているので、極論すればどれを選ぼうと同じだ。大切なのは「自分自身」であり、物は自分を飾る単なる道具に過ぎない。氾濫した物の中から、自分にあったものを選び、コーディネートし、自分自身を楽しむ。
俺たちはカタログ世代だった。DCが流行れば誰もが流れた。ヒットチャートを熱心にチェックした。「どれを選ぶか」が俺たちの世代の「センス(言い換えるのに抵抗があるが個性といってもいいかも知れない)」だった。だが、彼らは「それをどう楽しむか」にまで踏み込みこんでいる。TWが受ける理由は俺には分からない。だが、俺にはああいった『バイクの使い方、楽しみ方』は思いつけなかったと思う。俺たちよりもより一層、「自分」というもを持っているのさ。楽しい。気に入った。好きだ。理由なんてそれで十分なのさ。権威なんてどうでもいい。全ての人は「対等」な筈なのだから。権威をかざして管理できる時代はもう終わったのだ。成人式以降、マナー云々が叫ばれているようだが、それは価値観の押し付けになってはいまいか?全員が一斉に右を向く事を「秩序(マナー)」と呼ぶのなら、そんなものは糞喰らえだ。
下らぬ祝辞を30分も聴くくらいなら、同じ内容をメールしてもらった方が少なくとも俺は嬉しい。みんなで一緒に、揃ってきちんと。それが自発的な物なら素晴らしいと俺は思うが、俺は高校野球の行進を「清々しい」と思った事がない。「あるべき姿」がまず初めにある時代はもう終わっているのだ。
時間はゆっくりとしか流れない。だが、確実に流れてはいる。先の大戦を知る世代がこの世の中からすっかり駆逐された時、ひょっとするとこの国は変わるかもしれないと俺は楽しみにしているのだよ。彼らは主義(ism)やイデオロギーではなく、もっとスピリチュアルな部分で生きているのだと思うから。「好きな事を、やりたいように。迷惑をかけない限り、俺がする事を誰にも止める権利はない。勿論(そのかわり)、あんたがあんたのやりたい事をする事を俺は止めはしないよ。」
国民全てが一丸となり、同じ夢を見る時代なんてとっくに終わっているのに、この国の統治システムは相変わらずそれにこだわったままだ。が、そんな為政者の勘違いとは関係なく、こういった「価値観」が少しづつ育っている事をとても嬉しく思う。(ま、政治的無関心と表裏一体である事は確かだが、それすら気付かん為政者に関心を持つのにも、さすがの俺もそろそろ疲れてきたよ)
--そんな新しい価値観をもしっかりと支えているのが日本国憲法なのだが、繰り返しになるので割愛。--
属国
こういった事が起こる度に、俺は日本という国がどんどん嫌いになってゆく。今回はアメリカ潜水艦との事故。初動体制の不備だの、危機管理能力だのがやり玉にあがるのはいつものことだし、そんな事に俺が怒っているのではない。駐日大使とへらへら笑いながら握手を交わす外務大臣その人個人を責めている訳でもない。
先の大戦に負けた。戦争そのものの是非はここではひとまず置いておくが、まぁ、負けてしまった事はどうしようもなかろう。問題はその後である。「民主主義」。明治憲法下でもかたちの上では採用されていた政治形態であるが、敗戦後、アメリカ合衆国の統治の元、「アメリカのいう民主主義」を根付かせる壮大な実験が始まった。が、それを説くべきべき立場となった人々、為政者であったり、教師であったり、公務員であったり、いや、欽定憲法下の価値観にすでにどっぷりと浸ってしまうほど歳を重ねていた当時の大人たちにとって、その転換はかなり無理があった事を想像するのに難くない。今までの自分、おおげさにいえばアイデンティティーさえも根こそぎ否定されるような価値観の転換だったはずだからだ。そして、そういった人々が戸惑いながら説く「民主主義」を受け入れざるを得なかった当時の子供たちは、「昨日までと違う事を急にいうようになった」なんて気分で彼らの言葉を聴く。これを読んでいるあなたの両親がご健在なら、是非当時の印象を聴いてみるべきだと思う。「お仕着せだった」とは彼らは思っていないはずだ。「困惑していた」だけだとおもう。まぁ、もっとも、戦後暫くはそんな「思想」云々よりも、食い物の問題の方が切実であったろうとは思うが、その当時の子供たちが世の中を動かしている時代が「今」である。
ずいぶんと話がそれたが、この国はドイツのように分割統治される事もなく、アメリカの洗脳教育を施され、だましだましここまで歩んできた。少なくとも俺の世代より若い人間にこの「民主主義そのもの」を疑うものは居ない。とんとん拍子に戦後から脅威の経済復興の道を歩んできた訳だ。が、俺は法学部出身であるが故、今の日本国憲法をないがしろには出来ない。この憲法の説く「理想」はたとえそれがアメリカの押し付けであったにせよ、世界に誇れる、いや、日本が世界に提供できる独自の「価値観」となりうると俺は思っている。これほど誇りと決意に満ちた前文を持つ憲法を他に俺は知らない。だが、現実にはこの憲法は骨抜きだ。最高規範である憲法よりも優先されているものがこの国にはある。それが「アメリカ」である。
どのようなやりとりが敗戦当時にあったのかは俺は知らない。だがおそらく、日本は「天皇制の存続」という、どうしても譲れない(と当時の人が思っていた)「日本人の拠り所」と引き換えに、様々な密約を交わしたのであろう。「無い」とされたきたそういった密約が冷戦終了後にぽろぽろと公式文書としてスクープされる。特別驚くに価しない事ではあるが、なんとも馬鹿馬鹿しい話である。
ハワイ州という州がアメリカにはある。そう、あのリゾート地、ハワイだ。が、何故あそこが「アメリカ」なのかまで知る人は少ない。日本に天皇制が無ければ、この国は多分、「日本州」と成ったのだと思う。つい最近までの沖縄を思い出せば分かるが、日本州と成った姿はああいう感じだろう。だがハワイ州となったハワイ諸島の住民と同じように、沖縄の住民もまた、彼らのアイデンティティーまでも失う事は無かった。文化とはそういうものだ。「血」と「地域」によって伝承される文化はそれほど重いのだ。だが、この国の現実は、「日本州」となった姿よりも、より一層情けないものだ。アメリカの州であれば国内問題で済む軍事協定も、一応は国であるが故、様々な揉め事をひき起こす。この国に「国の主権」など無い。単なる属国。そして、それを心から憂いている為政者も居ない。なぜなら、この国に於はそれを「是」としなければ為政者への道そのものが開けないからだ。
あの潜水艦がロシア艦船なら政府はもっと激しく抗議しただろう。インドであれば経済制裁までちらつかせたであろう。だが、この国の為政者は今回もまたこういったのだ。「アメリカの謝罪を評価する」....と。
自国民の生命と財産を「守る」ことが「国家」の最大の存在理由、第一目的では無かったのか? それさえ保証されないのなら、何のために俺たちはこんなにも課税されているのだ? 一体何の「コスト」を負担しているのか?
こんな国に産まれた俺たちは不幸だ。この国の何を一体、俺は誇れる?
事故
早々に洗車を切り上げ、なじみのSBSの傍に新しく出来たホームセンターにちょいとした小物を物色しに出かけた。昨日今日と天候はまずまずなのだが、あいにく風がちょいと冷たい。北大阪在住の方にはお馴染みの新御堂筋を北上。制限速度は60km/hなのだが+20Km/h程度で流れているのでそれにあわせて適当に流す。ここはバイパス+路側帯に余裕無しなので覆面追尾の可能性はほぼないのだが、まぁ、流れていてさえいれば俺は滅多にすり抜けて前に進む事はない。連休ということもあり、かなりの台数のバイクが俺の脇をすり抜けていったが、まぁいい。俺は別に急いでは居ないのだ。
桃山台辺りで少し混むのはいつものことだが、ここでトリコのCBR250R(ハリケーン2)がすり抜けていった。ここんところスクールのイントラ見習いのような事をやっている関係で他人のライディングフォームなどのチェックを無意識にするようになってしまったのだが、追い抜いていく彼のフォームを見た瞬間、何か嫌な知らせを感じ取ったのは経験からなのか、後からそう感じているだけなのか、これを書いている今でも尺然としない。
結論からいうと、俺が追いこされてから約2Km、時間にして2分程後に、彼は事故っていた。桃山台を越え、箕面方面と中央環状方面への分岐を過ぎたところで、道路に転がっているCBRとハザードを灯しているスポーツワゴン(車の名前は良く分からん)を発見。誰も止まろうとしないようなので仕方なく左に寄せ、救助に向かう。道路には生々しいガリガリ痕がついていたが、バイクの状態は左のハンドル、チェンジペダル、クラッチレバーが曲がってしまっただけのようだ。(もちろん、カウルはガリガリ)ライダーを探すと、ワゴンのドライバーによってすでに路肩に避難している様子なので、とりあえずバイクを起こし、路肩に寄せる。まぁバイクの様子からしてライダーのほうも大した事はないだろう。ちょうど車線が増えた辺りなので後続車に曵かれなかっただけでもラッキーだったのかもしれない。
文明の利器、携帯電話(俺は持っていない)とはさすがに便利なもので、この時点ですでに運転していたドライバーは119番通報しており、事故現場の位置などを懸命に説明していたので、俺はとりあえずライダーに話しかける。名前、年令、住所、母親の名前。全てに淀みなく答えたのでとりあえず頭の方は大丈夫だろうと判断。外傷を探ると左肘、左腰、左膝、左薬指、左の手のひらといった感じ。道路の状況などを総合的に鑑みるとこの時点でだいたいの事故の状況も想像がついたが、事故直後にあまり責めるような事も言う必要はあるまい。ハザード焚きっぱなしだったワゴン車をバックで路側帯に動かしたところで救急車到着。いずれにせよ人身事故には違いないので、このまま病院に行くことになるのだろうが、そこまでつきあう義理は俺にはない。
彼が応急処置を救急車で受けている間、ドライバーと奥さん、俺の3人で少し話し込む。どういう状況だったかは俺は敢えて問いはしなかった。ドライバーはバイクにも乗る人だそうで、この理不尽な状況を激昂する事なく努めて冷静に受け止めようとしているようだった。事故で100%どちらかに過失がある事は稀であるが、ワゴンの左ミラーの破損程度の物損とではとても引き合わない話だろう。たらればは禁物ではあるが、もし相手がバイクでさえなければ、擦った、擦らなかった程度の話で済んだはずだ。だが、相手はバイクだった。バイクは簡単に転んでしまうのだ。たかだか車のミラーにフロントブレーキを引っ掛けた程度で。すり抜けようとスロットルを捻り、加速体制に入ったバイクのフロントタイヤはわずかな入力でロックする。フロント荷重が抜けているからだ。
ワゴンの助手席にはチャイルドシートがあり、そこには推定1歳程の赤ちゃんが座っていた。奥さんはただひたすら動揺していた。子供の無事を確認した後なのかどうかは俺は知らない。幸せそうな、何処にでもいそうなファミリーだった。彼女はライダーには見えなかった。ただ、旦那はライダーでもあった。
救急車が停車している横を、何台もの乗用車が、バイクが通り過ぎた。俺が現場を去るまで、誰も停まる事はなかった。だが、全ての車両が、事故現場を徐行しながらゆっくりと見物していた。そう、車対バイク、良くある事故の風景そのものだ。そして殆どのドライバーは思うだろう。バイクは危ない....っと。
件のライダーとドライバーは救急車に同乗し、病院に向かった。後に残ったCBRとワゴンと奥さんと赤ちゃんと俺。ダイシンアルミにサンセイセパハン、メッシュホースにバックステップで飾られたCBRをさらに路肩に寄せ、半キャップの破片をタンクの上に置く。過去の俺の経験に照らしてみれば、おそらく奥さんがこのままワゴンを運転し、病院に向かい、そこから再度現場検証って手順になるのだろう。ワゴンのナンバーを救急隊員が控えていた事は確認済なのでこれ以上ここで俺にできる事はない。何の助けも出来なかった俺に対し、何度も何度も頭を下げる奥さん。礼などいわれる筋合いはない。
ワゴンのドライバーであり、ライダーでもある彼が、今後もバイクに乗り続ける事ができるのか。それは家庭の問題だろうから俺には何も言えない。ただ、無駄だろうとは思いながらも、「この事をきっかけに、バイクを嫌いにならないで欲しい」っと彼女に言わずには居られなかった。
俺にできる事って本当に何だ?
ノーマルが最高だ!!
っと私が思っていると誤解されている方がひょっとして居るかもしれませんが、私は別に「ノーマル至上主義」をバイクライフに於いて唱えているつもりはありません。まぁ、ここにも書いているとおり、いまのRの維持コンセプトがそれに近いことは認めますけど、一時期のホンダウィング店に見られたような、「ノーマルでなければ悪だ!」っとまでは全く思っていませんし、事実、私のバイクにもノーマルじゃない部品はけっこう付いてます。目立ちこそはしませんが(笑)
カスタムなる言葉がバイクの世界に広がってどれぐらいの時間が経ったのかは私も良く分からないのですが、昔は「改造」とか「チューニング」って言ってたような気がします。RG50Eのハンドルをスワローや一文字に変える(いつの話だ?)のは勇気がいりました。Rが水冷になった頃、いや、ゼファーなんかが売れだして、スティードあたりで火が付いた気もしますので、カスタムって言葉が一般的になってかれこれ8〜9年程経つのかもしれませんね。当時私は「月刊オートバイ」や「モーターサイクリスト」などのA4版バイク雑誌を買わなくなった頃で、代わりにコンビニで手軽に購入できた「ロードライダー」なんて雑誌をよく読んでいました。そう、あの『グッドルッキン』な雑誌です。もっと昔、初期型ガンマが出た頃もよく本屋で読んでいたのですが、当時のロードライダーはもう少し地味な雑誌で、レジまでもっていくことは稀でした。
この当時のロードライダーの凄かった点は、いわゆる「新車情報」にほとんど力を入れていなかった事です。(笑)それよりも、「パーツ」であるとか、「ワンオフ」であるとか、今まで全く光が当たらなかった、けどライダーが非常に情報をほしがっていた「物」にスポットを当てていたんですね。語り口も切口も、まさにバイク版の「ポパイ、ホットドックプレス」だった訳です。これにはハマりました。いや、ほんと。発売日を楽しみにし、週末はパーツ屋さんであれこれ蘊蓄を並べ、安くはない金を払ってパーツを交換。それだけでとっても楽しかったことを覚えています。規制が徐々に緩和され、JMCAなんて業界自主規格なんかも登場し、その流れはますます加速していったように思います。
けど、いつの間にか、そういった自分のバイクに対する姿勢に疑問を感じることが増えてきました。これはモータースポーツを始めたことが大きかったように思います。つまり、軽量化や換装による性能アップ。もちろんこれは当時でも体感できていたのですが、その後の「メンテ」って部分を当時の私は全くやらなかったのです。まさに付けただけのボルトオン。同じスピードから制動して隣のバイクに負ける。それもドノーマルに。もちろん、今となっては個人の技量差と笑い飛ばすこともできますが、当時の私は???状態。で、昼休みなんかにそれとなく愚痴ると、「一緒に点検しましょうか?」なんて言葉とともに、自分のご自慢のバイクをマジマジと見られるわけです。「を!すげぇ。ワンオフのバックステップにアールズのホース、よく見りゃキャリパはブレンボでリアのスプロケもワンオフですか!」なんて言葉を聴きながらいい気分に浸っていると、「チェーン、ダルダルですね。もうスプロケ、終わってますよ。よいしょ。フロントを持ち上げますからタイヤ回してみて下さい。うげぇ。思いっきり引き摺ってますね!いつ掃除しました?」
.......むぅぅ。(泣)
で、その後いわゆる「メンテ系」に目覚めるのですが、相変わらずロードライダーも買っていました。別にこの雑誌の悪口を書くつもりはないのですが、だんだんと内容の薄さを感じる機会も増えてきました。発売と同時に「ロードテスト」と称され、ろくに乗り込まないまま次々とパーツ交換されてゆく新車達。タイミングよくパーツメーカーから連絡が入り、こないだ交換したマフラーは外され、またちがったブランドになる。そう、結局は「タイアップ広告」なんですよね。この雑誌が受けているサービスと同じものを読者は決して受けられないことに気付いちゃったんです。ま、それだけ私が子供だったって事でもあるんですけれど。
で、その後、それまであまり買わなかった様々な雑誌を手当りしだい買いました。そして辿り着いた雑誌が、「タッチバイク」と「バイカーズステーション」。まぁ今ではよっぽど私好みの特集じゃないとどちらも買わないんですが、なんというか、どちらも編集方針が誠実、且つ、読者の側に立っているように感じます。「知っている」と「理解している」の違いとでも言いましょうか。ロードライダーに代表されるカタログ系雑誌では「知っている」という知識は豊富になるんですけど、なかなか「理解」までは出来ないんですよね。特集組むのも手間がかかるし、需要もあるのか分からないし。これもまた最終的には「文化」ってなご大層な話にまで発展しちゃうんでこの辺で止めますが、「自分達が納得したものしか世に出さない」って気概がぷんぷんと薫ってきます。こういう雑誌が(辛うじてではありますが)なんとか商業的に成り立っていることが、少しは日本もマシになってきていることの一つの証しなんじゃないかなぁ......なんて思いますね。もっとも、
こういった、バックナンバーの売上げ度外視な事がネットで出来るまではとても無理なんだろうけど。今やすべての雑誌は電子編集時代だというのに、少し残念ですね。
BGM
早いもんで21世紀に入ってからもう1月が経過しちゃったね。
なんかここんところ根をつめて更新してしまった気がするので表側は暫くお休み。スイングア-ム関係の写真も、組み上がった今となっては上手く撮れないし。(笑)
さて、過去に何度かとりあげたMIDIの話題だが、JASRACの方針がある程度はっきりしましたので、このサイトでBGMが鳴るのは今年の6月30日までにほぼ決定しました。とにかく、金を払ってまで鳴らすつもりはないです。作詞作曲者、あるいはMIDI作者へは感謝しきれないほど感謝しているので、誤解のないように。ただ単に、ああいった「団体」が大嫌いなだけです。もし仮に、俺がこのサイトのテーマ曲を何か一曲決めたとすると、7月からは年額1200円をJASRACに払う事になるらしいのだが、その1200円のうち、どれだけの金が著作権者に分配されるのかさえ明記されていない規約なんて馬鹿らしくてとても払う気にならない。
話は少しずれますが、このBGMの選曲、ほんとに大変です。実は私は非常にロックミュージックが好きなのですが、そういった自分の大好きなバンド(The WhoとかOasisとかZepとか、まぁようするにギターバンドのことだ)の曲は全滅。これはどうかな??なんて期待してダウンロードしても100曲のうち99曲はそのままゴミ箱へ直行してしまいます。邦楽も殆どがそう。もう少しインフラが整えばMP3も今よりWebで使い易くなるんだろうけど、モデムの人も多い現状ではBGMとしてはまだちょっと辛い。で、そういった中からあれこれやりくりして10日に1回のペースで変更し続けてるのですが、ほんま、一体どれだけの人が聴いてくれてるんだろうね。(笑)
まぁ、80年代の軽いポップロックが一番MIDIとは相性がいいように最近は思います。けどさすがにこれだけ大量に聴き比べていると、いわゆる「ノリ」の正体(というか、俺の好み)もある程度はっきりしてきて、ノリノリベースにタイトなドラム&サイドギター、縦横無尽なリードギターって感じかな。あとは適当にうねったピアノの刻みやファンキーなオルガンなんかがあればいい感じかな。とにかく、ダイナミクスとアクセント、そして音符の長さの統一性。こんなちんけなソフト音源でさえ、打ち込んだ人の個性が如実に出るから、やっぱり音楽は不思議だ。こいつとは音楽の趣味があわん!!って方はこちらにブックマークしてくださいね。
ネットサーフィン
ここんところ頻繁に取り上げるオランダのR Houseの話題です。「この売国奴め!とうとう異国に魂を売りおったか!!」なんてお叱りは甘受しますが(笑)、今回は何故、私が彼のサイトをお気に入りなのかについて少しだけ書きます。
彼のサイトを見つけたのは今のRを買ってすぐの事。今から2年弱前の話。R1100ならまだしも、90年当時の逆輸入R750のスペックなんて国内のメディアじゃ何処にも掲載されていなかったので、海外の検索エンジンで必死こいて調べました。(同時進行でスズキのお客さま相談室に手紙を書いた。欧州一般向けのカタログのコピーを送ってくれた>感謝)で、R Houseに辿りついたんだけど、自分のバイクのスペックがある程度分かったことも収穫だったんだけど、「GSX-Rはこんなに世界中で愛されている」って事が凄く嬉しかったように思う。当時から比べると今では随分とコンテンツも増えたけど、基幹となるのはGSX-Rの記事の掲載雑誌の紹介と、各年度別モデル詳細、そして、世界中のGSX-R乗りの紹介の3本。最初は「随分とでかいオ-ナ-ズクラブだなぁ」なんて思ってたのだが、どうやら個人運営のサイトらしいとおぼろげながら気付き、二度びっくり。とても個人でできる仕事とは思えん充実ぶりだった。
その頃はまだこのサイトを立ち上げる予定も無かったので、「どえらいGSX-R馬鹿が世の中にはいるもんだ! 全く世界って奴は広いねぇ」なんて一種の畏敬の目で彼のサイトを覗く日々だった。そして、ある日気付く。当時のトップページには、スズキ、ヨシムラ、横内氏への謝辞が並んでいたのだが、そこに「伊藤光夫」氏の名前が一緒に並んでいる事に。(スーツを着た写真まで掲載されていた)
検索エンジンで氏の名前を検索すると良く分かると思うが、このマン島で勝利した唯一の日本人(スズキ)について記述されているサイトは「皆無」だ。いくら俺が産まれる前の話とはいえ、これは一体どうした事か?殆どの日本人が知らない氏を、オランダ人が何故知っている?誰がこの国をこんな国にしてしまったのだ?
勿論、ヨーロッパスズキの販売戦略で、あちらのショー(ケルンなど)の時には氏は何度もスズキから駆り出されていたらしいので、メディアへの露出機会など、単純な比較も難しいだろうし、彼らにすればGSX-R=伊藤氏っぽいイメージ(私がGSX-R=横内氏、POPってイメージをもっているように)があるのだと思うけど、それにしても日本での知名度の低さには涙がでそうになった。もっともこれは今の日本人GPライダーも同じか。世界選手権が自国で2回も開催されるというのに、スポーツニュースでダイジェストすら流れない日本。ほんと、「あなたたち作る人。僕たち、それに乗る人」じゃないが、どんどん日本という国が嫌いになってった。まぁ、これはなにもモータースポーツに限った話では無いが。
でも、そういった文化的な壁を、ひょっとして俺は自ら作ってしまっているのではなかろうか? 彼のサイトを覗いているうちにそんな事を考えるようになった。その当時、R Houseのメンバーになっていた日本人はわずかに3名......。その現実を前に、Guestbookに書き込む事を「ためらっている」俺。そのためらいの正体はなんだろう?なんて考えた。幸いな事に俺の使っているMacintoshは特別な事をしなくても英語のページをすんなり表示できるが、何かをBBSに書き込んだりするのはとても勇気が要る。でも、その勇気って、俺に限ってみれば、「下手な英語を笑われたら恥ずかしい」って感じの、とても詰まらん事だと気付いちゃったんですな。
で、自分のサイトを作るにあたり、せめてTopPageだけは文字化けしないようにって事を今まで以上に意識して作った。「日本のモーターサイクル文化」なんてアドバル-ンを打ちあげるととても大層な響きになっちゃうけど、俺にできる事なんて所詮小さな事でしかないしね。
そんなこんなで、ひょんな事から始まった彼とのメールのやり取りもいつの間にか30通を越える事になった。きっと向こうは俺の英語を理解するのに四苦八苦している事だと思うが、話題を探しては何度もメールしてくるのはきっと、「日本のR事情」をもっと知りたいって気持ちが強いからなのだろう。なんたって日本はRの母国。生っ粋のR馬鹿(笑)の彼が気にならない筈が無い。R250やR400など、欧州では情報があまり出回らないGSX-Rも多いのだ。で、今朝届いたメールには、こんな事が書いてあった。
「やぁ、たつを。日本人向けの写真投稿フォームを作ってみたんだけどチェックしてくれないか? 俺は日本語がてんでダメだから、これはベルリン大学で日本語を学んだ友人に作ってもらったんだ。よかったら感想を聞かせてくれよな。じゃ、また。」
指定されたURLにアクセスするとちょっとだけへんてこな(笑)日本語が並んでいた。けど、そんな事は問題じゃ無い。俺の書いてる英語だって似たようなもん(いや、もっともっと酷い)だ。文字コードや言語など、我々の間に横たわっている壁は結構厚く、そして高い。けど、そうやって向こうからも乗り越えようとしてくれる心意気が何だかとっても嬉しかった。
「Maido, Jasper. Check shita yo. Iikanzi dato omou yo.tyottodake nihonngo wo syuusei shita node, kono mail ni tenpu shite okuri kaesu ne. Kansei shitara oshiete ne. Ore no Site de syoukai suru yo. Nippon no GSX-R nori ga anta no Site ni kigaru ni tudoeru to ii ne. Cheers.」
まぁ、だいたいそんな感じ(笑)のメールを書いて返信した。奴は生っ粋のGSX-R馬鹿だ。自分のサイトに世界中のGSX-Rの写真を掲載するという、馬鹿げた、でも、とてもどでかい夢を、少しづつ、少しづつ、実現しようと試みている。その夢は必ずしも俺の夢とは重なりはしないのだが、もしここにそのURLへのリンクがあれば、あなたはフォームを埋めるだろうか? 送信ボタンを押すだろうか? 「ネットサーフィン」 今ではすっかり死語となってしまったが、Webを作る時間がない「あなた」にも、出来る事があることに是非気付いて欲しいと強く思う。見ているだけ、眺めているだけでは、「ネット」はその可能性の1/10も見せてはくれない。なにもいきなり外国のサイトに投稿しろと言ってるのではない。だけど、「見てるだけ、読んでるだけ」って姿勢は勿体無い、いや、きつい言い方をすれば卑怯だとさえ思う。気に入ったサイトのBBSに書き込む、メールする。俺も最初は凄く勇気がいる行動だった。けどね、そのほんのちょっとの勇気の先には、まだあなたの知らない世界が広がっているのだよ。
これ、普通の人よりちょっとだけネット暦が長い、私の実感(何もバイクサイトに限った話じゃない)です。
ある場所で「(昔のあなたのサイトを知る私には)この "Ride on GSX-R" は作り手の顔が見えなくて寂しい」というニュアンスのご意見(笑)を頂いた。ま、別に怒っちゃ居ないのだが、これを聞いてちょいと考え込んでしまったよ、あたしは。
個人の作っているWebSiteにはほんと、実に様々なものがあると思うが、この「Ride On GSX-R」の主役は私ではなく、「GSX-R」というバイクであります。それも「GSX-Rはこんなに素晴らしいバイクだ。さぁみんな、GSX-Rに乗ろう!」ってな論調でもないですし、GSX-Rの素晴らしさを世に広げるために作っているのでもないし、GSX-Rを好きになるきっかけになればイイなとも思っていない。強いていえば、商用メディアがまず取り上げないであろう地味な部分に特化している程度かな。だもんで、バイクに乗っていても「乗って楽しむ旅人系」にはつまんないだろうと思うし、作り手の俺も対象読者として彼らを視野に入れてはいない。(もっとも、ツーリングが楽しいのは私も同じであるので、そういうサイトには良く行きます)
「たつを」という個人をある程度知る人にとってみれば、書いてある内容や、そこかしこに滲んでいる価値観もわかってもらえると思うのだが、主役はあくまで「GSX-R」なので、あえて「たつをという人」に関する記述は自己紹介以外に設けてないし、また、日々の雑感もバイクやネット以外の事はあまり書くつもりもない。まぁ、このSilly Talkだけは日の丸とか選挙とか、堅い話題も書いているけど、個人総合ページにあるような「日記」とか、「好きな小説」とかをトップページに「コンテンツ」として並べる気持ちはない。(それをする事を揶揄する意図はないので、念のため。)
過去に運営していた私のWebSiteを知る人にとって、そういった運営がもの足らないと言われれば頭を下げるしかないが、いつまでも昔を懐かしんでいても何も始まりはしないと思うよ。要するに、「たつを」という個人をWebで表現する事はもうやめたのだ。あのWebSiteは「もう終わった」のだから。
(殆どの人に意味不明の更新で申し訳ない)
最近、いろんな方からメールをいただくようになったのですが、1つだけ困っていることがあります。それはHTMLメールについてなんです。私はMUSASHI3というメールソフト(シェアウェア)でメールを管理しています。で、このMUSASHI3なんですが、HTMLメールなんてものはまるっきり「読めません」。っていうか、これ日常的に使ってる人っているの?ほんの10行ぐらいの本文のあとにずらぁ〜〜っとHTMLが続く様子はけっこうげんなりします。ごめんね。せっかくメールくれたのに文句言ったりして。
ですんで、わがままですが、HTMLメールは出来れば遠慮して頂けると助かります(どういう状況か想像がつかない方は試しに今御覧のこのページを「ソースを表示」にしてみてください。ネスケなら表示メニューに、IEならツールバーにあります。...ね。かなりきてるでしょ?)
HTMLメールをきちんと読むためには私は以下の手順を経なければいけません。
なぁんだ。意外に手間じゃないね!......イエイエ。これが、結構手間なんですよ。読んだあと、再度別ファイル(Text形式)で保存して、メーラーに戻しているんですから。(だって、せっかくもらったメール、捨てられませんもんね。)
で、こんな手間をかけて読んだHTMLメールの内容の何処にもリンクや強調表示がないとかなりげんなりするのも事実です。MicrosoftのOutLookとNCのメーラーをデフォルト(インストールしたまんまって意味ね!)で使ってらっしゃる皆さん。お願いですから、メールの形式を選ぶ所で「Text」形式に初期設定を変えておいて下さい。(何処に有るのかは俺は知らんが)
#もちろん、あなたに悪気があるとは私は考えておりません。
#こんなの、どう考えたってメーカー(ソフト会社)が悪い!!
ネットネタが続きますがご勘弁を。アクセス解析cgiがまともに動き出してかれこれ10日ほど経過。この間の延べアクセス数は500弱。「知らない方が幸せだった」的なプレシャーを感じる数である。50人/日もの人が何かを期待してブックマークを辿ったり、リンクをクリックしたり、検索エンジンを通じてここに来てくれる。index.htm経由の人のみの数字なので総数はもっと多いのだろう。作者のアクが滲み出るのか、このサイトはBBSの閑散具合を見ても分かるように(笑)基本的に「コミュニケーション」というか、お友達募集、みんなでガヤガヤとやりましょうページとして運営していないので、その手のユーザーさんにはつまらないサイトだと思うんだけど.......。正直言って、ログの内容をきちんと解析して、ここの運営にフィードバックするつもりは全くない。(笑)ここで得た各種のログはもう1つのサイトの方に積極的にフィードバックする予定。こんなコンテンツがあればイイな......なんて声も頂戴すれば考えると思いますが、できればその思いを「自分のサイトを作る事」で実現して欲しいというのが本音。このサイトに足らない部分をきっかけに、何か新しい物が産まれれば、これほど嬉しい事はない.......っとまで語ると格好つけすぎだね。(大阪ではイキリと呼ばれる)
誰も気付いてくれないのは寂しいからここにこそっとリンクします。お暇なら読んでね。
そんなこんなで、まっとうな?ルートからアクセスされる可能性のあるファイルから2バイトコードを全て削除。なんとも手間のかかる話だけど、もともとが1バイトコード圏で発達してきた文化に基づいている(WWWもPCも)ので、それを「利用させてもらっている」こちらから歩み寄らねばいけないもの致し方あるまい。もっとも、こんな場末のサイトにそれほど外国からアクセスがあるのかを考えると、失った物の方が多いのかも知れない。もともとの対象が日本にお住まいのRライダーなのに、トップページが全て似非エイゴってのもご迷惑な話だと正直思う。けど、辞書が必要なタイトルをつけている訳でも無いし、できるだけ軽い表示を心掛けているつもりなので我慢してやって下さいな。とはいっても、オープン当初からtop.html(フレーム化前はindex.htm)だけは2バイトコードは意識的に外してたんだけどね。(笑)
ただ、誤解して欲しく無いのは、俺がしている事が「正しい事」であり、殆どの日本の個人サイトがまちがっとる!!っとはこれっぽっちも俺は思ってないのです。ただ、ネットワーク活動が、ほんの少しだけ一般的な方よりも長いだけだし、いくつかのサイト運営を経て、考えさせられる事が多かっただけ。啓蒙の意識なんてないので、「勉強になります」なんてコメントを頂いてもこまっちゃうんですよ、>某氏(笑)
個人のサイトなんてほんと、基本的には好きなように作るべきだし、誰から文句を言われる筋合いの物でもない。つまらぬ決まりごと(これがまた口うるさい人が多いのよ。ALTタグは必須だ!!なんて言われても面倒だっちゅ〜に)に縛られる必要なんてないし、第一、そんな事を気にしていたら「楽しく」ないもんねぇ。どんなに表示が重かろうが、横スクロールが大変だろうが、ミスリンクが多かろうが、誤字が多かろうが、「俺が読みたい!!」っと思ったらたいていの事には我慢して読むし、「あんたの作り方は間違っている!!」なんて言うつもりもない。ブラウザクラッシャーはかなり頭に来るけど。
その気になればアクセスできる場所にUPされている。
ネットに於いては、この事実は何よりも重く、そして、何よりも優先されるべきだと俺は思っている。見た目がどうだの、レイアウトがどうだのなんて俺にとってはそれほど重要な事ではないし、「ネットサーフィン」(死語か?)している「ダケ」の人からは言われたくはない。「個人サイトの第一の読者は作者である自分自身」って言葉が一番本質を突いていると思う。あなたの好きな事を、あなたの好きなように。
どうかこれからもサイト運営を楽しんで下さいね。>Web Master各位。
オランダ人から見た日本
ふとした事がきっかけで、オランダのGSX-Rクラブ、" R-House "のWeb Master、Jasper氏とメールのやり取りをするようになった。うちのサイトからもオープン当時から彼のサイトにリンクさせていただいているのだが、とても個人が運営するサイトとは思えない充実ぶり。バ-ジョンアップするたびに重くなるのは頂けないが、それはうちも同じだし、なによりインフラが日本とは違うのだろう。過去に一度だけゲストブックに書き込んだ時にも丁寧なメールが来たのだが、自分の英語に自信がなくて結局そのままにしていた。が、今回はなんとか頑張って慣れない英語でメールをやり取りしています。彼にしたって英語は母国語じゃないはずなのに、その流暢さにはかなり引け目を感じてしまうが、オランダ語と日本語でやり取りするよりははるかにマシだしね。(笑)
で、彼に限らず、ヨーロッパのライダーは日本に無茶苦茶憧れているらしい。そりゃそうだろう。イタリアを除いて、いわゆるスーパースポーツバイクはほぼ全て日本で作られているのだから。WWWが発達し、彼も何度も日本のサイトを覗きに来ているそうだが、ご承知のとおり、PCの世界では文字コードという垣根が存在するので、満足に覗く事もままなら無いらしい。英語などの1バイトコード圏のPCは日本語やハングル、中国語などの文字をきちんと表現する事が出来ない。「漢字」なる記号がある事は彼らも知っているのだが、それがディスプレイに表示される事はない。Windowsの世界の事はよく分からんが、Macintoshなあなたなら、Simple Textを立ち上げて、フォントをCicagoに変え、適当に日本語を入力してみるとよく分かる。←のような何だか訳の分からない記号ばかりが表示されるはずだ。桁揃えに便利な全角のスペースすら文字化けの対象になってしまう。彼らは、俺たち日本人がこんな記号を使っていると思う訳だ。(マジ) Sorry. Japanese Onlyなんて表示を全角で書いてもそれすら伝わらない事を知っておいた方がイイ人は多い。
便利なのか不便なのかよく分からん世界だが、日本人である俺が、GSX-Rの母国の住人である俺が、「何故、わざわざオランダのサイトを覗くのか?」が彼には凄く不思議だったようだ。で、俺が教える。「日本のGSX-Rは馬力規制されている。正規の販売ルートでフルパワーのGSX-Rを買う事は出来ない。わざわざ逆輸入するのさ」 彼らにとってそれは目から鱗が落ちる話らしい。
口の悪いイタリア野郎はいう。" You made it, We ride it. "
悔しい話だがある意味それは真実だ。結局はモーターサイクル文化なんてものにまで行き着いてしまう話だが、じゃ、俺に何が出来るのか?.......なんていつもの話に戻ってしまう。この国にモ-タ-スポ-ツは根付く事はないのか?あまりに悔しいので、先のGSX-R in竜洋の自慢話をしてやった。(笑)「あんたが乗ってるRが生まれた場所でこないだ走ってきたぜ。50台も集まったよ。あんたの大好きな86RR Ltdや89RRK、そしてYoshimura X-1も走っていたよ」 はぁ......。(虚)英語でメール書くと疲れるんだけど、なんか世界が広がったようで結構楽しい。もっと英語が話せるようになるといいなぁ......。
馬鹿正直に「アクセス解析しています」なんて表示をしているサイトも珍しいのだが、やってみると色々な発見があって結構楽しい。中でも一番驚いたのが表示解像度1024×768クラスで見ている人が殆どだって事。日本の住宅事情では17インチディスプレイは普及が難しいなんていわれてたのが嘘のようだ。が、640×480でご覧になってる人も居ない訳じゃない事も確認出来たので、収穫はあったと思う。
レンタルスペースの関係で堂々とは公言しにくいのだが、わざわざ複雑にフレ-ムを駆使しているのにはそれなりの訳があるので、このサイトマップを参考にあなたの環境(表示領域やBGM再生など)を考慮して見やすい場所にブックマークして下さいな。
状況もよく分からんのだけど、バイクで死ぬ話はもう沢山だよ、ほんと。元気出してね......なんていうのは簡単だけど、どう乗り越えるのかはあなたの問題。残念な話だが、俺があなたに出来る事なんて無い。
いつかまた笑って話せる日が来るとイイね。>某嬢
------以下、過去に運営していたWeb Pageより一部改編の上、再掲。ご冥福をお祈りします。
今年(98年)3月4日。私の友達が逝去されました。
人の死は、いくつになってもこたえますね。
彼とは直接お会いしたことはなく、Niftyの会議室だけでのおつきあいでした。
ほんの2、3日前までアクティブだった方が突然お亡くなりになる。
私には初めての経験でした。
いつもいつもいつも。死は突然やってきます。でも...............。
いくら哀しんでも故人は帰ってきません。
だからこそ、「死」は、あれほど厳粛なのですね。
それがたとえ、どんなに理不尽な死であっても。
私たち残された者は、今日を、明日を精一杯生きるしかないんです。
日常から「死」はこの国ではほぼ完全に隔離されています。
実感としての「死」は遠いところに追いやられてしまってます。
ですが、スーパーで売られている「肉」「魚」etc....。
どれも何かの「死」から生まれてくるものです。
もとより我々は人肉を喰って生きている訳ではありませんが、人が生きていくためには
必ず何かの死がその陰に潜んでいます。(業........ですね)
「無駄死に」なんて言葉がありますが、そんなものはこの世にありません。
死は厳然と、ただ、そこにあるだけです。
こと、人の死に関しては、無駄死ににするかしないかは、
残された者がその死をどう受け止め、その後、どう生きて行くか。
ただその一点にかかっているのだと思います。
みなさんも、「楽しく」生きる努力をしてくださいね。難しいんだけど。
生きていることはそれだけで.........。かけがえの無いことだと思います。
やぁ。俺の名前はネジ太郎(仮名:13歳)さ。今日は俺と、俺の兄弟の紹介をしようと思ってるんだ。俺の正式な名前は、43529-17C00。マニアな君ならすぐにピンと来たと思うけど、GSX-R750Jのフットブラケットをフレームに固定する為に産まれてきたんだ。何の事はないM8のボルトなんだけど、この言葉に嘘はないんだぜ。同じサイズのネジが規格品にちゃんとあるのに、SUZUKIがわざわざネジ屋に特注したんだから。格好良く、ちょっと頭を丸めたかったんだろうね。俺の兄弟は45000個ぐらい居たんだけど、そのうち40000個はR750Jに組み付けられて、製品として日本中どころか世界中に散っていったね。みんな元気かなぁ。で、残った5000個の内、4000個が世界のディーラーに「補修パーツ」として販売され、残り1000個の内、600個は同様に国内ディーラに販売され、400個がスズキの倉庫に今もこうして眠っている訳さ。俺が生まれた時にはスズキはネジ屋のオヤジに50万円ぐらい払ったんじゃないかな。@10円強だね。で、ディーラーからは@40円ぐらい貰う訳さ。差し引き138000円の儲け。はした金だぁね、実際。でもまぁ、45000個って数をまとめないと単価がもっと上がるのよ。で、あんたがヘマをしてネジを舐めたりして、俺たち兄弟をバイク屋に頼む訳だ。「ネジ1個は勘弁してよ。通信代だってタダじゃないんだから」なんて泣き言をいわれながらさ。バイク屋はディーラーから75円ぐらいで俺を仕入れるんだな。で、あんたはバイク屋に90円を払う。それぞれの取り分はだいたいこんなもんさ。
でもね。もっと馬鹿馬鹿しい話があるんだな。俺みたいなステップのネジなんてよっぽどの馬鹿しか注文しないもんだから、スズキにもディーラーにも売れ残って余ってしまう訳だ。けどメ-カーの姿勢も問われちゃうので在庫ゼロなんて思い切った事もやりづらいんだな。今日が2001年の1月だから、俺なんかかれこれ13年もこうして倉庫で出番を待ってるんだよね。しかもただ眠っているだけなんで場所代もかかるし、税金まで取られるのさ。絞れる所からはとことん絞り取るのがこの国の税法だからさ。だからあんたのいきつけのバイク屋さんに置いてある「スズキ純正部品価格表」ってのが毎年改訂されてるだろ?税金や在庫費用の分を価格に転化してるのさ。だもんだから88年には90円だった俺の値段も、21世紀の今では@150円ってなありさまさ。なぁんにも変わってないのにね。え?それでお前は幸せなのかって?そんな事聞かれてもなぁ.....。
.....慣れないスタイルは疲れるな。(笑)まぁ、実際の所、全てがこんな調子って訳ではないですが、なんにせよバイクのパ-ツは馬鹿みたいに高いです。今でこそ、機種間のパ-ツの共用などでコストダウンを図る事も多くなりましたが、機能パーツは基本的に全て「ワンオフ」ですので、量産効果が見込めなければ単価は異常に上がります。これは工業製品の宿命ですね。但し、流通経路や在庫管理体制などにも問題が無いとはいいません。大阪スズキなんて、部品番号から「そのパーツがなんていうバイクに使われているパーツか」さえ検索できない(マジです)んですよ、今どき。結果、在庫期間が長くなり、最終的にそのコストはユ-ザ-が被る事になりますね。昔はネジ1つとっても、「強度が徹底的に計算された純正部品が安心」なんて事がまことしやかに語られましたが、今日の日本の工業製品(ネジやベアリングなど)は非常に優秀ですし、また、そうでないとバブル以降の激動の時代を今日まで生き残ってこれたはずがありません。(ネジはその殆どがいわゆる「町工場」で作られています)材質、ピッチ、リーチなどが判明していれば、規格品で代用しても何の問題も無いと思います。脱線しますが、TL-Rのレ-ス部品が処分価格で国外コンストラクターに根こそぎ販売(在庫整理)された話は結構有名ですね。不良在庫を抱えちゃうと今のご時世、ほんと、大変なんでしょうね。
また、頻繁に部品を取り寄せるかたはよく分かると思いますが、包装が本当に過剰です。勿論、組み間違いや出荷ミスを防ぐという事も大事なのかも知れませんが、全てのパーツが丁寧にビニールに梱包され、ラベリングされ.....。これ、全て人の手作業です。そんなのも含めての単価ですから、そりゃ高くなるよね>純正部品。
なんにせよ、工業製品の末端価格においては、値段に原材料費が占める割り合いは非常に低く、その殆どが「(開発費を含む)人件費」「在庫費」「流通コスト」だって状況は「売れなければ話しにならない」資本主義経済に於いてはしごく当然の結果でしょう。それだけバイクは「世の中から必要とされていない」って事の裏返しでもあります。オイルやバッテリーなんて商社ぼろ儲けの図式が今もはびこってますしね。
「それこそがバイクのアイデンティティーさ」ってな価値観を否定はしませんが、少なくとも「世間から嫌われる状況」は避けたいものですね。そのために何が出来るのか........はとっても難しい問題だとしても。
(実はこの更新がそのままMacintoshにあてはまる事は内緒だ。(笑)今年が勝負の年だろうなぁ>Macintosh)
ネットでいろいろ検索していて偶然発見したページ。これを笑える人は結構R750オタクだと思う。
Λ_Λ
( ´∀`) オマエモナー
( )
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(__)_)←一度使ってみたかったのよ。(笑)←あそこ風には(藁
http://www.nakky.forus.or.jp/negiri/kaiwa3.html (無断リンク)
長い間、ずっと不思議なんですが、バイクのカタログで走行写真とは別の、バイクが真直ぐに立っている写真ってあるじゃないですか。↓こんな奴ね。(モデルは大好きなRK)
これって随分昔からあるけど、やっぱり後ろからつっかえ棒か何かをして支えて撮影してるんでしょうか?今どきならレタッチでなんとでもなりそうだけど..........。背景が何となく暗い写真ばかりなのはやっぱ棒で支えてるのかな。バイカ-ズステーション誌はメーカー提供のカタログ写真じゃなくて自社撮影で上のような写真をよく使ってるけどあれもやっぱり支えてるの?借り物のバイクのカウルとかに傷が付いたりしないんですかねぇ。求む:詳細!
警官が血まみれになって逃げている犯人を追いかけている
ハッピーマンデー政策とかの影響で、今年の成人の日は1月8日(月)だそうで。土曜日がお休みの人なら3連休ですね。確か体育の日にも書いたような気がするけど、どうもこういった変則的な暦は馴染むのが難しいです。暦の作成は大昔は天子(天皇の事ね)の秘事(実務は土御門家に委託)であったそうですが、こうして政府の都合で祝日や休日(違いを知ってます?)を増やしたり動かしたりできるって事はそれだけでも少しは「民主主義」なるものが根付いてきている証拠の1つなのでしょう、きっと。♪Rainy days and Mondays always get me downなんてその昔カレンが唄ってましたが、憂鬱になるのが火曜日に変わるだけって気もしますね>ハッピーマンデー。
閑話休題
何を今さらって気もしないではないのですが、こうしてテキストを何年も大量に打ち込んでいれば少しは「文章能力」なるものが向上するだろとか思ってみたりもするのですが、自分のサイトや過去に作っていたサイト、書いたメ-ルなどを改めて読み直すと、誤字脱字や不自然な言回し、かな遣いの不統一など、いわゆる「練れていない文章」の多さに辟易する事もしばしばです。誰に頼まれて書いている訳でもなく、また、締め切りがある訳でもないのに一向に文章能力が向上しないのは自分自身の意識の低さが原因なんだろうな、きっと。
「情報発信」なる言葉から受けるプレッシャーとは対極にある事のようにも思うけど、「何の推敲もしないまま、惰性でWebに文章を上げる」ってお気楽な今の姿勢をもう少し今年はなんとかしたいと思う今日この頃です。って手後れか。(笑)誤字脱字などは見つけるたびにこっそりと修正しているんですが、FTPする前にもっと自分の文章を読み返す事にします。
さて、タイトル部分のボルドー表示の短文です。この更新を読んだ時、あなたの頭に浮かんだ情景はどっち?
やっぱ、文章を書くって難しいよねぇ.......(ため息)
さて、今日から21世紀。......だなんて気張ってみてもたった一晩では何にも変りはしないな。(笑)幼い頃、漠然と描いていた「21世紀像」とはまるで違ってるんだけど、携帯電話(俺は未だに持ってないんだ、これが)やインターネットなど、かなり近いニュアンスの変化が実際に身の周りに起きていたりもする。多くの人が言うように、「農業革命」、「産業革命」に続く、第三のパラダイムシフト、「情報革命」は確実に進行中なのだろう。
古くから「情報」は為政者が統治の手段として使ってきたものだ。カレンダ-ひとつとってみても誰にでも手に入る時代なんて歴史的に見れば最近の話だし、日食、月食、彗星や流星の接近など、時代が違えば今の俺たちはいっぱしの「シャーマン」に成る事さえ出来るだけの「情報」を自由に操る事ができるのだ。
「世の中」って言葉は随分と漠然とした響きを感じるが、全ての人は「自分の周りの環境」を通して世の中の流れを感じている。タクシーの運ちゃんは客を通し、クロネコの兄ちゃんは荷物を通し、パチプロのおっちゃんは台や客層を通し、主婦はスーパーの値段を通し、それぞれの目で「世の中」を見てきた。そして為政者達も彼らの目を通してみた「世の中」を発表し、統治してきたのだが、彼らが持っていて俺たちが持っていなかったのは「情報」そのものではなく、「情報の流通手段」だったのさ。
全ての情報は等価である
これはネットを始めて改めて実感している事であるが、情報にもはや権威など無い。政府の発表も、朝日の記事も、その「出所」が故に説得力を持つ時代はもう終わった。ここの所さわがれる「景気」なんてキーワードも、運ちゃんや主婦の何気ない一言のほうが真実を伝えているし、そしてまた、そんな一言が「確実に伝わる情報の流通経路」がこうして確立されつつある事にこそ、本当に価値がある事なんだろうと思う。バイクやパ-ツのインプレッション1つとってみても、5年前は必死に探さなきゃいけなかった事を俺は忘れてはいない。
つまらない情報、下らない情報。こうしてwebを作るにあたり、「情報発信」なる言葉が重くのしかかる事もある。だけど、つまらない、くだらない、有意義だ、無意味だなんて「価値観」は受け手が付けるものであって、少なくとも送り手である俺が意識する事では無い。どんな情報も情報それ自体には優劣なんて無い。それよりも........。こうしてせっかく用意された流通経路に情報を載せない事の方が「罪」だとさえ思う。あなたにとってはいつもの当たり前の出来事だって、俺からすれば目から鱗が落ちる事も多いのさ。
「俺には提供する情報なんて無い」「どんな事を書けばいいのか分からない」
そんな事を理由にWebを作る事をためらっている「あなた」。こんな駄文を読んだのも何かの縁ですし、せっかくの21世紀、なにか新しい事を始めてみませんか?
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