〜00.12.31までのSilly Talk |
メインコンテンツと同じく、こちらも今世紀最期の更新です。お陰さまでこのWeb Pageも無事1周年を迎える事が出来そうです。ご来場頂いております皆様には心より感謝しております。
秋口頃からメインコンテンツの更新が少しづつ滞るようになっている気がしますが、ネタにはそれほど困ってはいないので(笑)、そのうちまた熱心に更新を始める事と思います。
それと、以前ちらっとここに書いていたんですが、お手伝いしているライディングスクールのHome pageがぼちぼち形になってきました。URLは http://www.inagawa-circuit.com/ です。こんなのを並行して作ってたらそりゃ更新も滞るわけだ。(笑)当初はスクール関連だけって話だったんだけど、行きがかり上、サーキットそのもののHome Pageを立ち上げる羽目になってしまったんでちょい気が重いのですが、自分のページとは違って一度フォーマットが出来てしまえば更新自体はルーチンワークになると思うので軌道に乗れば運営は楽だと........いいなぁ。
まさかいらっしゃるとは思いませんが、猪名川サーキットでカート、ミニバイク、トライアルなどの活動を為さってる方がここをご覧になっていれば是非ご連絡ください。各コンテンツの管理人を現在募集中です。(カ-トの事など俺にはさっぱりなので)
ということで、皆様、良いお年をお迎えくださいませ。
頑張り好きの日本人
頑張る
私はこの「頑張る」&「頑張れ」なる日本語が嫌いです。スポーツの応援で一番顕著ですが、いつもいつも。テレビの中継や解説で流れてくる言葉は「頑張れ!」「頑張れ!!日本!!」.........あぁ、うぜぇ。
あくまで私の感じる語感なのですが、この「頑張れ」なる言葉からは、価値観の押し付けを非常に強く感じます。どことなく「バンザイアタック」にまで通ずるような、全身全霊をかければ物事は必ず思い通りになる。いや、思い通りにしたいからこそ、全身全霊をかけねばならないのだ!!さぁ、頑張れ!休むな!さぼるな!24時間戦え!国民の期待は君の肩にかかっておるのだ!.......考え過ぎ?(笑)
あまりに漠然とした話ではなんなので、手近な事例で先のワールドカップを例に挙げましょうか。
サッカーの試合は現在の成人公式ルールでは45分ハーフの前後半あわせて90分です。頑張れ好きの日本人達は、「せっかく出れた世界のひのき舞台。90分フルに、一生懸命ボールを追え!!歩くな!休むな!頑張るんだぁぁぁ!」(inspired byラモス留偉)てな論調を展開する事が多いです。馬鹿言っちゃイケナイ。90分間、全力疾走なんて出来る訳がない。
問われるのは、瞬間の判断と、瞬発力。「そのタイミングでベストがだせればそれでイイ」んです。
スポーツに限らず、勝負事にはどうしても譲る事が出来ないキーポイントとなる局面が必ずあります。時間にして約1分もないかも。その瞬間にベストの力が出せるかどうかで、残り89分をいくら全力で戦っても全くの無駄になってしまうんですな。反対に、89分を「それなりに」こなしていても、そのキーポイントの1分でベストをだせれば、勝利を手に入れる事ができるケースは非常に多いのです。
後者のようなセンスに長けている人を、日本では「要領のイイ人」という表現をします。しかもどことなくマイナスのイメージを伴って使われる事が多いですね。なんたって頑張れ!が主流の国ですから。江夏豊なんてそんなのの代表みたいな人でしたね。こういった流れを、先を読む「センス」は決して「頑張って」ばかりいては決して養えないと思います。
じゃ、どうすれば?..........う〜〜ん。(困)
うまく言えないんですけど、「楽しんで」欲しいです。全てにおいて。「楽しかった」時間を振り返ってみれば、殆どの場合、結果として「頑張っていた」事に気が付くと思います。「マイペース」で「テイクイットイージー」に物事を考え、多少の失敗は「ドントマインド」。こういった英語(元をただせばラテン語にまで遡る、ヨーロッパ民族の根っこにある思想)に相当する日本語が無い事が......。現状を象徴している気がします。
そんな中で、唯一私が近いと思っている言葉が、大阪弁の「ボチボチ」。
もうかりまっか?ボチボチでんなぁ。今ではギャグにさえならないベタベタな大阪弁なんですが、この「ボチボチ」で使われているスケールは発言者自身の主観的スケールです。自分が設定した目標に対しての結果の偏差がボチボチである訳で、具体的な(客観的な)金額の大小とは無関係ですよね。いい言葉だ。>ボチボチ。
ほんと、頑張らなくてイイから、楽しんで下さいね!!>皆さん。
もちろん、このHome Pageは「ぼちぼち」と作っておりますです。ハイ。よって更新頻度は「バラバラ」です。(笑)
Rockという言葉
久しぶりの友人から結構嬉しい内容のメ-ルを頂いたので、ちょっと頑張って更新。って、このSilly Talkに力を入れても仕方がないって説もあるな。(苦笑)
「あなたの座右の銘といえば何?」ってな感じの質問を受けると、まっ先に浮かぶ言葉が、『Rockであること』といつの頃からか答えるようになりました。初めはご多聞に漏れず、いわゆるRock Musicから始まったんですが、今ではRockという言葉は私の中では「生き方そのもの」を指す言葉に変わっています。何らかの選択肢に直面した時、「どっちを選ぶ方が"Rock"なのか」っていうような、ある種の基準になっています。何人もの人にこの価値観を言葉で説明した事があるんですが、やはり微妙なニュアンスまではつたえ辛いものがありますね。ずらずらとキ-ワ-ドを並べると、
......やっぱ良く分からんな。(笑)
うまく言えないけど、何かに「チャレンジ」するスピリットがRockだと思います。さらに言えば、「〜したいなぁ」、ではなく、「するのだ!」という強い意志なのだと思います。この国では一見、「〜しなければならない」ことが溢れているように見えます。ですが、それに慣れてしまっている人々は、「〜さえしていればイイ」という価値観にいつの間にかガチガチに縛られています。そして、ただ驀然と、「〜したいなぁ」などと口にします。だけど..........。
決して1歩踏み出す事は.....残念ながらしないのです。ほんと、残念だけどね。
Rock Musicがもつビ-ト感が大好きなのは、きっとあの「どこまでも転がってゆく、前進してゆく感じ」が大好きなんでしょうね。>俺
若干話がそれますが、MIDIに代表されるDTMにしょぼいのが多いのは「本質」を知らない人が打ち込んでいるケースが殆どだからだと思います。表面上のメロディーをなぞってるだけじゃ「ノリ」はきっとでないんでしょうね。うちで使わせていただいているMIDIの作者さんには誰一人としてお会いした事がないんですけど、きっと生き方も格好イイ人ばかりなんだろうなぁなんて想像しています。
どうせ作るなら、本物を目指したいものですね。←鍵盤もギターも弾けない"Drumer"には言われたくないだろうけどね。(笑)いや、バンドマンの耳から言わせていただければ、「ダイナミクス」と「アクセント」を工夫するだけでかなりノリが良くなるMIDIファイルって多いんですよ、ほんと。音色や音数じゃないんだよねぇ。>ノリ
MIDIを取り巻く現状
なんてタイトルだけど、それほど詳しくないってのが現実。とりあえず問題になっているのは、JASRACによる「Webで使用しているMIDIへの課金」である。で、どういう線引きをするのかでかなり揉めているようなのですが、課金が撤回される様子はない。今の所問題になっているのは「ダウンロード」か「ストリーミング」なのかって判断。JASRACの言分では、ダウンロ-ド形式なら著作権使用料を徴集(=課金)ってことになるらしい。で、この技術的な切り分けなのだが、いわゆる「プラグインモジュール」が表示されると「ダウンロード」と看做されるらしい。具体的に書くと、このサイトのindex.htmはフレ-ム構造になっていて、下側の見えないフレ-ムにプラグインを表示しない形式でMIDIファイルにリンクしている。この場合はOKなのだが、BGMページでは曲のタイトルから直接MIDIファイルにリンクしている。これは「ダウンロード」になり、NGなのだそうだ。
いかにもお役所系の考えそうな安直な発想だが、著作権保護の精神そのものには異論はないのでかなり悩んでいます。しかし、ネットがもつ『フリー』な精神(何をやっても良いというのとはちょっと違うが)も大切だし、なにより、自作MIDIを発表する事を目的としてネットを続けてきた人にはかなり手痛い決定だと思う。
今回はたまたま自分のサイトでMIDIを使っていたから余計に気になる部分ではあるのだが、同じような事が自分のサイトのメインコンテンツに起こった場合、どんなアクションを俺は起こすのだろうか?Webを支える精神はやはり『フリー』だと思うし、そのことはHTMLに代表されるように「その気になれば全てが見える」事に現れていると思う。つまり、安易に<BGSOUND>タグで背面にMIDIをもっていったとしても、ソースを読めば相対パスが分り、結局は「ダウンロード」出来ちゃんだよね.......。
毎年この日を迎えると少し心が痛む。あの日からもう20年。彼を撃った男に影響されて読んでみた「ライ麦畑でつかまえて」の内容はすっかり忘れてしまったが、彼の音楽から受けた影響は今の俺にずっしりと根を張っている事に気付く。12月は1年の終り。世紀末でもあることですし、ゆっくりと今年を、これ迄の半生を振りかえってみるのもイイかもね。勿論、彼の曲を聴きながら。
更新:
......重い。何がって、今メインで使っているBBSがだ。申込んだ時点ではサクサクと快適だったのになぁ......。なんかこんなのばっかりだ。また移転か??(笑)重いといえばこのhoopsも1年前の運用当初は物凄く軽かったのに、ここんところテレホタイムになるとかなり重い。まぁ、たいして需要があるページだとは思わないんだけど、なんか気分はよくない。けど、一旦運用を始めてしまうと、移転もなかなかままならない。これからは独自ドメインによるURL転送の需要もかなり伸びるのかもね。(ここ1年でびっくりするほど値段が下がったし。ここは安いよぉ。ちょっと考えちゃうね。)
短命に終わったステッカー |
かなり悩んだんだけど、シートカウルに貼っていたアゲハ蝶のステッカーを剥がしました。短い命だったな。ま、このバイクが『あげは』ってこっそりネームなのは変わらないんだけど。←かなり恥ずかしい。(笑) これといって理由はない...のではなく、全く関係ない3人から立て続けに「GRAと関係があるんですか?」って聞かれたのが一番の理由かな。それが『嫌だ』って訳ではないんだけど、本意でないのは事実。トレードマークじゃないけれど、「絵」ってやっぱりインパクトがあるんだなぁ....なんて思いました。ほんと、なんでアゲハ蝶なのよ?>GRA |
それと関連する訳ではないんですが、今まで頑に「メーカーステッカー」を貼る事を拒んできたのですが、来年以降、ステッカーを「貼らなくてはいけない」状況になるかも知れません。ま、その時は上のアゲハ蝶のステッカー跡地(笑)に貼る予定です。とはいってもパ-ソナルでスポンサーが付く訳では勿論なく、お手伝いしているライディングスクールのスポンサーさんからおこぼれ的に各種消耗品の支給を受けられる『かも』知れないだけです。金銭的に助かる(消耗品とはいえ、ブレーキパットやタイヤ、グローブなど、馬鹿になりませんしね)のは事実なんですが、「何を選んでも同じ」といった商品と違い、バイクの部品は相性とか好みとか、嗜好やフィーリングが結構重要なので、「支給される→使わねばならない→選べない」のもちょっとどうかなぁと思います。やっぱ、バイクに限らず、趣味の世界はあらゆるしがらみからフリーな立場でいるのが一番楽しいでしょうね、ホント。
そうそう、この冬にそのスクールのサイトが立ち上がる予定です。管理者は私。(笑)このページではUPしてない顔写真なども掲載予定........なのが辛いところだけど、URLが決まったらこっそりとご案内しますので、気が向けば覗きに来てください。来年度は3月10日から開講予定です。オンラインエントリーは事務手続きが煩雑になるので来年度は未実施の予定ですが、スク-ルレポなどを交え、雰囲気を掴んでいただければと思っています。できればご参加頂きたいのですが、決して『安く』はないので(笑)無理にとはいいません。
なんつ〜か、日本の政治ってのは.......どうしようもないよね。割りと熱心に政治をウォッチしている俺でさえ、今回のドタバタには呆れ返ってしまう。そりゃ政治的無関心な層が増えるのも無理ないよ。
加藤紘一ってもう少し頭がイイ人間だと思っていたんだけどね。勇気ある撤退って一体なんだ?「100%勝てます」って言葉を安っぽく使う人間を神輿に担ぐ若手が可哀相になった。このさき、どんなに立派な事を言ったとしても、「どうせ又嘘だろ?」って気持ちのフィルターを通して聞く事になる。
リクルート事件から長い時間を経て回復してきた「クリーン」なイメージが失わっれた事が一番堪えるだろうねぇ>加藤氏。
夢のような1日であった。本当に楽しい時間を過ごせて、関係者や参加者の皆様に感謝感謝である。
そんな楽しいひとときとは裏腹に、国内の二輪販売台数の落ち込みは相当酷いものがあるようで、Mr.スズキの口から冗談めかして発言された、「海外のモデルは売れているんだけどねぇ......。皆さん新しいバイクを買って下さい」って言葉が物凄く印象に残っている。実際、バイク雑誌の後ろの方にこっそりと載っている「国内販売/登録台数」を眺めてみると、ベスト10でさえ、月間登録台数が1ケ月で2桁台数なんてことも珍しく無い。世界一厳しい騒音規制など、「国内モデルを作る事は新車1台を新しく開発するのと変わらない金と時間がかかる」という噂も納得できるものがある。そこまでして作った国内モデルもたいして売れないのだ。そりゃ撤退の噂も出るよね。
現在の逆輸入情勢は悪くいえば「法の抜け道」を逆手にとったものであり、それがユーザーの需要と上手くマッチしているだけの話。スクーターやオフロードモデル、ビジネスモデルなどは別にして、国内スーパースポーツ系の未来はあまり明るいものでは無いような気がしました。何もスズキだけに限らず.......ね。
それにしても急に寒くなっちゃっいました。なんかここ数年、「夏」と「冬」しかないみたいで、「春」や「秋」は実質2週間も続かない気がしません?これじゃ、四季じゃなくて二季だね。20世紀という100年間で随分と地球環境も変わっちゃったんだろうなぁ。でも、一度手に入れたものを手放すのは容易な事じゃ無いし、この先どうなってゆくんでしょうねぇ。俺に出来る事ってなんだろ?
そうそう、明日はいよいよスズキのテストコースで行われる「GSX-R in竜洋」の当日です。嬉しくなって今日は朝から一日中バイクの整備に明け暮れる。で、その際、「ウギャァ〜〜〜〜〜、なんじゃこりゃ??」ってな発見をしてしまった。(笑)今月中にはレポをお届け出来そうですが、半年近くも気付かない俺も俺だなぁ.......っとちょっと反省。やっぱ、バイクは自分でいじるべきなのかねぇ。
ネタ切れ......ってほどでもなんだけど更新ペースがガタ落ちな今日この頃。アクセス数は全く気にしていないのだがお客さまとは正直なもので、新規に頂くメールも激減傾向。(笑)
ま、そんな事はどうだっていいんだけど、昨日メーラーがぶっ飛んでしまったのには困った。頂いたメールはサーバーに残してあったんでリカバリーできたんだけど、自分が書いたメールは全て綺麗さっぱりと消え失せてしまった。なんだかねぇ。
バックアップの必要性云々を今さらここで啓蒙するつもりじゃないんだけど、電子メールが日常に入り込んでくると、いわゆる「デジタル化」の恩恵のあまりの大きさに驚く。何をもって「オリジナル」というかは別にして、「自分の書いたメールが綺麗さっぱり消え失せた」って状況は電子メール以前のいわゆる「郵便オンリー」な状況と同じなのに........ね。出した(書いた)文章がそのまま手元にも残るってほんと、自分自身を見つめるにはいい手段だよね。サイト作りも同じ。再利用が楽だとか、メリットは色々言われる事が多いけど、携帯電話のような「便利さの延長」とはちょっと違うニュアンスを常々感じております。>ネット
話はがらっと変わって関西ジムカーナの団体から随分湿っぽい会報が届いた。まぁ、言わんとするところはだいたい理解できるんだけど、実際問題、登録人数2000人を越える団体に於いて「全員が運営に参加」なんて物理的に不可能じゃん。理想を否定するつもりはないんだけど、「ジムカーナ文化」っていう言葉をきいて『リアル』な風景を想像出来る奴なんて誰も居ないんじゃない?ってのが正直な感想。俺にできる事は「その日のスタッフを頑張る」事で精一杯.......なんだけど。それ以上を求められても困るし、少なくとも俺にとってGRAは「自己実現」の場では無い。
最近の会報には何故か「アゲハ蝶」の図柄がプリントがしてあるんだけど、俺のRのシートカウルのステッカー.......剥がそうかなぁ。(哀)なんでアゲハ蝶なのよ.......>GRA (T_T)
無事故無検挙.....
最後の違反(っつ〜か、検挙だね)がいつだったのかすっかり忘れているのですが、来年が更新の年で、前回の更新時、ギリギリでゴールドにならなかった事だけは覚えているのでかれこれ5年程経ってるんじゃないのかなぁ........。今日で終わったけど。(泣)
来週行われる竜洋テストコースでのGSX-R走行会に備え、「せめてオイル交換だけでも......あ、ついでにワイヤーロックもしとこかな」なんて思い立ったのが朝の10時過ぎ。秋なのにどこか「春」を感じるような陽気の中、ステンレスの針金を買いにいつものホームセンターに向かう。慣れた道(半バイパス状態で、片側2車線、歩道無し、上下車線の物理的仕切あり。かなり見通しが良い道路)なのでさほど緊張感もなく考え事をしながら「ぼ〜〜〜」っと走っていると(ちなみに完全な単独走行)いつの間にかミラーに紺色のセドリックが映ってる。念のためにメーターに目を落とすと80km/hを指していた。「確かこの道は.......制限が50km/hだったよなぁ........。」なんて思った時に赤色灯が回りました。あぁぁ。
一瞬、「こっちはバイクだし、もう少し走れば信号も抜け道もあるし(ちなみに信号は青だった)、フルスロットルあてようか?」なぁんて思ったけど結局停まりました。プレート曲げて無いもので。(笑)久々に後部座席に乗り込み、かなり粘った末、青切符にサイン。途中でなんか阿呆臭くなったよ。
交機の2人の喋り方が随分と丁寧だったので(多分、もっと年下だと思って停めたんだと思う)昨今の警察事情を伺えて笑えたけど、前述の通りの道路なので、その間おおよそ20分間、三角板とパイロン立てて片側1車線を完全に塞いじゃうんだよ?。サインする間にも言ったけど、「この状態のほうがよっぽど危険」だっつ〜〜〜の。さっきまで空いてた道がみるみる渋滞してるっちゅ〜〜の。いや、マジで。速度を出してたのは半ば確信犯なので申し開きはしないけど、マイクで「左へ寄せて停まって下さい。その辺でイイから」って言われた時、「マジでここに、こんな場所に停めさすのか????」ってのが一番ムカついた。
結局、記録用紙には74km/hで24km/hオーバー。2点で反則金12000円也。オイル交換は当然「延期」です。とほほ......。そんなけあったらモチュール試せるっちゅ〜ねん。
そうそう、ありとあらゆる検索エンジンで「道路交通法 反則金 行政処分 点数」などで検索をかけたんだけど、いわゆる「点数制度」についての詳細を書いた「行政正式サイト」って無いんだよねぇ......。これもまたびっくりです。県警規模ならちらほら引っ掛かるんだけど。ただでさえややこしい制度(特例が多すぎ)なんだし、条例じゃ無くて法律に基づいた制度なんだから、今のご時世でWebを整備しないってのは「怠慢」以外の何ものでも無いぞ。ほんま。教習所や個人のページのほうがよっぽど詳しいってのもなんだかなぁ.....だよね。きっと作戦なんだろうけどね。>ややこしいままのほうが「取り締まる(統治する)」には都合がイイからなんだろうけどね。やっぱ、担当者個人はともかく、組織としての「警察」「行政」には虫酸が走る事が多いなぁ......。
雨は嫌だねぇ。なんか気分が重くなります。
今回はバイクネタじゃなく、パソコンネタです。私のパソコン遍歴はMS-DOS3.1から始まり、あちこち動きながらここ5年程はMacOSひとすじ。けれど今使っているOSはMacOS8.1、ハードウェアも今は亡きMacOS互換機(UMAX APUS2000+G3/220MhzCPUカード)という構成です。つまりこの2年程、なぁんにも変化無し。(笑)
が、突然何を思ったか、LinuxPPCをインストールしてみたりしました。なかなかインストールが上手く行かなくてバタバタしたんだけど、なんとか成功。但し、日本語化はまだ。
ネットには繋がず、ローカルで遊んでいるだけなんだけど、全く新しい環境になかなか馴染めず、ついついMacOSを選んでしまう。(笑)保守的になってきているのかなぁ.....。同じコンピュータとはいえ、バックボーンがかなり違うので、戸惑いも大きい。
巷で良くいわれる「Macintosh vs Windows」に代表されるような、「どちらが優秀か」ってなスケールで物事を測るつもりはないんだけれど、俺にはやっぱりMacOSが似合ってるようだ。漠然としたイメージだが、
MacOS ハードウェアや各種デバイスなどをユーザーに意識させないOS。徹底的に隠しているので、転んだ時は大変であるが、きちんと動作している限りにおいてはこれ程「人の日常の延長」で操作できるコンピュータはないと思う。
Windows ハードウェアや各種デバイスを中途半端に隠しているOS。知らなくても使えるが、知っておいたほうが便利な事は確か。
Unix ありのままのコンピュータ。(笑)デスクトップツール等は「GUIのほうが便利」的思想であるように思える。つまり、全てを把握しないと使っていても面白くない。が、「なんでもTEXT」なオープンな思想は様々な事を考えさせられる。が、あの独特のユーモア?センスには馴染めないなぁ....。
ってな印象を受ける。ほんと、「文化」も多種多彩ですな。
寒い寒い。(笑)どんどん秋が深まってゆく大阪です。冬もすぐそこだな、こりゃ。
今週末はバイクイベント目白押しなのだが、どうも天気が下り坂っぽい。雨はメンテが大変だからあまり乗りたくないのだけれど、どちらも事前申し込みイベントなのでキャンセル出来ないところが頭の痛いところではある。
話は変わって、ネットオークションをたいした目的もなく検索してみると、見なれたバイクが出品されているのを発見したりして驚く事が多い。慌ててブックマークを辿ってオーナーさんのサイトを覗くと「乗り換えます」とか、Not Foundとか、バイク降りましたとか......。
事情は様々なんだろうけど、ちょっと寂しいよ、ほんと。そのサイトが「バイク中心」だったら尚の事。「ここに惚れてる!!」っと熱く語っていたのはなんだったんだ?って気持ちにもなるよね。一生物のバイクなんてないんだけどさぁ.....。
スーパーバイクに未来はあるのか?
ってタイトルですけど、実は私自身はそれ程レースウォッチャーではないので、歴史的な側面は概略しか知りません。が、温故知新の諺もあることですし、ざっくりとスーパーバイクの歴史を紐解いてみる事にしましょう。
言葉の定義....ってのも結構難しいのですが、スーパーバイクはもともとUSAの「オープンプロダクション(市販車改造)」レースから派生し、1976年にAMAによるシリーズ戦(年4戦)が組まれたのが始まりのようです。当時のレギュレーションは、「排気量は1000ccまでのボアアップ(ストロークは変更不可)、フレームとサスの改造」がOKってな感じで、その後徐々に変更可能なパーツは制限されながらも増えてゆきました。1994年にはFIM主催のオープンプロダクション(TT-F1)もスーパーバイクレギュレーションに変更され、今ではベース車にキットパーツ組み込み程度の改造しか許されないような状況になっているようです。
さて、そもそもこの「スーパーバイク」の主旨なのですが、「改造コストを下げる事でエントラントを増やす」ことが主目的なのではなく、「ノーマルフォルムを大きく崩さない事でオーディエンスの共感をよび、入場者数を増やす」ことが主目的(今も基本理念は変わらないはず)だったそうです。つまり、「町中で俺が乗っているのと同じバイクがサーキットで走っている」事が大事であり、それにより、入場者数が増え、バイクの販売台数も増え、改造パーツの販売も増えるって図式ですね。AMAの初期スーパーバイクレーサーなんか、ダミーながらもスピードメーター装着が義務だったらしいし。(笑)凄い話だ。
が、1994年以降の「スーパーバイク」は、それ以前のスーパーバイクとはなんか「熱さ」が違う感じがします。スーパーバイクが国際格式になった事により、ワークスが参入した事。さらにいえば、その参入の仕方が、「限定車を小数(ホモロゲーションが取れる数だけ)販売し、それをベースにレースをする」ようになってしまった事が一番の原因でしょう。レースですので、参入する以上、勝たなければ意味がない。だけれども、本来スーパーバイクが持っていた主旨からは大きく外れてしまいます。だって限定車なんて簡単には買えないもんね。(笑)高いって理由だけならなんとでもなるでしょうが、限定台数を抽選って......。RC45なんていまだに現物(ストリート仕様)を見た事がないぞ。
そんな事情(あと、ネイキッド人気)を反映して、日本国内ではNK-1クラス(含む:X-FORMULA)も全日本スーパーバイクレースに参加(勿論クラスは別表彰)出来るようになりました。こちらはかなり改造可能範囲が広く、昔のTT-F1クラスっぽい雰囲気ですね。実際、ここ数年の日本国内における大排気量ブームを如実に反映しているというか、TVの小さな画面を通じてさえ、「なんか面白そう!」って感じますので、オーナーさんなら尚更なのではないのでしょうか?まぁ、レースとしてみた場合、あまりにラップタイムが違うバイクが混走するのは「危険」な側面もあるんでしょうけど....。
そう、現状のスーパーバイクってどことなく位置づけが中途半端なんですよね。純粋な「速さ」を競うカテゴリーにはGPがある(まぁ、コストは桁違いですけど)し、結果が当初の主旨どおり販売に結びつかない。レギュレーションがあるから、レースがあるから仕方なく参加しているって雰囲気がどことなく匂います。(勿論、レースそのものはそんな背景には全く関係なく非常に面白いんですけどね)このままだと存続自体がかなり怪しいかも知れませんね。単純に考えて、来期、R1000のX-Formula(ヨシムラさんにはすでにGSX-R1000の実車がデリバーリー済みだとか)がSB勢に割り込むぐらい活躍したりすると「国内トップカテゴリー」の地位すら揺らいじゃうし....。単純にGP500を復活させるってのも国内で廃止になった背景を考えると興行として成り立たんだろうしね。
まぁ、それぐらい、今度のGSX-R1000はスゲェ!って話し.....なのか?(笑)レギュレーションで改造範囲を絞るってのも本末転倒な解決法方だろうし、いずれにせよ、来期の国内SBは面白くなりそうであります。
パンク.......
まずはこの週末の顛末から。8日に愛知県豊橋市でTSRAという団体主催のジムカーナ大会が行われ、それに備えて7日の土曜日はほぼ終日整備。各部の増し締に始まり、空気圧、減衰などを実績ある数値に調整して早めに就寝。初めての会場なので朝の3時過ぎに出発。吹田から名神に乗り、ガス補給の為大津SAに立ち寄る。まだ夏も終わったばかりのような気がしていたがこの時間に走るとかなり冷える。養老SA、上郷SAに寄り道しながら会場に到着したのが午前7時。(笑)早く出過ぎたようである。(受付開始は8時から)
保安部品を取り外し、トランポ組と合流。関東遠征組とも挨拶をかわしたりしてバタバタと時間が過ぎてゆく。天候が下り坂という事もあり、スケジュールは午後からがかなりタイトに変更された。結果は追ってレポするのでここでは割愛。(笑)
走行結果が散々だったので疲れているけど9日のホリデースクールにも参加する事に決定。午後5時過ぎに豊橋をでて部屋に戻ったのが午後10時。帰りは相当疲れてしまって途中で意識が無くなる事多数。やばいやばい。目覚ましを朝5時にセットして速攻就寝。
起きると雨。がテレビの天気予報は午後から回復とあったのでやはり強行参加。こちらも追ってレポするので割愛するが、低速系を重点的に練習。がコース走行、トライカーナを含め、なんか非常に乗れていない感じ。それがバイクのせいなのか、疲れのせいなのか、はたまたコースコンデションのせいなのか判断がつかず。かぁ、転ぶ事なく予定終了。天気予報は思いっきりはずれて、午後からはかなり激しい雨でした。
そして今日。雨で汚れたバイクを重点的に整備。そして気付く。(長い前振りだぁね)
リアの空気圧が.........1.6kg/cm2しか入っていない事に。(泣)入念にタイヤの汚れを払い落とすと長さ15mmぐらいの割りピンが刺さってます。抜いてはいけないとは知りつつプライヤーを握ってしまう私。(笑)抜いた跡からは「ぴゅぅ〜〜〜」って音がします。ツバをこすりつけるとプクプク泡が出来ます。う〜〜ん、バイク屋に持ってゆかねば。念のため、トレッド表面とサイドウォールにマーキング。
さて、ここで問題です。このパンク、一体いつからなのでしょうか??
答え:恐らく8日の会場に着くまでの間に踏んでた(そう考えないと納得がいかない事が多すぎるので(笑))と思う。......そうです。これだけモータースポーツに参加しておきながら、前日の整備時を最後に全くのノーチェックだったんですね。>空気圧←笑えない。
普段はこんなヘマはやらないんですが、長距離自走のしんどさ、悪天候でのバタバタで基本をおろそかにしてしまった私。イベントそのものは(結果はともあれ)実りもあった2日間でしたが、「なんか乗れてないなぁ...」って程度にしか感じない「感性の鈍さ」をなんとかしないとなぁ........。結局、疲れや天候のコンディション変化で揺らいでしまう程度の自信しか持っていない訳だ。>ライディングに関して。
先はホンマ、長いぞ。
P.S.不甲斐ない自分自身の走行結果とは裏腹に、WGPではケニーロバーツ(スズキ)が、F1ではシューマッハ(フェラーリ)が、TSRAではHピ〜(KGC)が、それぞれチャンピオンを獲得!!皆さん、ホンマにおめでとうございます。モータースポーツに携わる全ての人たちに幸あらん事を。
バイクの不調
「なんか最近調子が悪いなぁ、俺のバイク」って感じる事はライダーなら結構多いと思う。故障ではなく、不調。燃費の悪化であったり、プラグのカブりだったり、アイドリングの不調だったり、斜行だったりと現象は様々だろうけど。
で、思う。「キャブか?」「ステムか?」
メカいじりって奴は好きな奴には堪らないものがあり、私なんぞも結構その傾向はあるのだけれど、雑誌にメンテの特集本なんかが載るとついつい必要もないのに挑戦してしまう事も多い。まぁ、それはそれでいい経験にもなるだろうし、失敗もある意味財産ではあるので否定はしない。というか、ジャンジャンやってください。が、殆どの場合、その作業で最初の不調が納まる事はない。
そう、切り分けの順番が違うのだ。よっぽどの事がない限り、キャブなんざぁ壊れないし、転倒してなければステムは歪んだりしない。もっとも単純で、且つ、確認がおろそかになるのは、タイヤの空気圧であり、エアクリーナの清掃であり、プラグの交換であり、チェーンの遊び調整であり、タイヤの磨耗であったりするのだ。ここの確認を怠って次のステップへ飛び越えてしまうとろくな結果にならない。
吸排気系、あるいは潤滑系、どちらもそうだけど、分解さえしなければ、異物が外部から混入する機会はほぼない。逆にいえば分解する際にはそれなりに配慮が必要になるし、4連キャブならパーツの入れ代わりにも注意が必要になる。同じダイヤフラムだからといって1番のダイヤフラムを2番に組んでしまうとさらなる泥沼の始まりだ。三つ又にしたって意外と構成部材は周辺に多いし、組み付け順を間違ってしまったり、締め付け忘れがあると作業前より操安が悪くなる事はザラだ。
問題が故障ではなく不調であるなら、まずは消耗品のチェック。そして、必要部分への給脂。これ、基本であります。
どうすりゃバイクは世間から認めてもらえるのか
....なぁんて堅い、しかもかなり漠然とした話題。大阪の妙見が土日祝二輪通行禁止になって随分経った気がする。関東方面では伊豆/箱根地方の二輪規制論で激震中みたいだし、時代は巡るというが、まさに80年代のバイクブームの再来(それも悪いことダケ)の様相を呈してきている気もする。レプリカブームが去ってバイクの死亡事故は一時期かなり減っていたらしいが、大型免許制度の導入とそれにともなうビッグバイクブームが今回は主要因のようだが、真相は不明だし、そもそも究明は困難だろう。まぁ、行政サイドがきちんと事故統計を取ればある程度判明するのだろうが、いつの時代も量の増加が質の低下を招くものだとも思う。もっとも、数年前の「限定解除制度」がベストだったとも思えないので、教習内容(何も二輪に限らないが)が現実の交通社会から乖離しているのが一番の原因のような気もする。一種の「通過儀礼」、「試験はいかに減点をしないかを競うゲーム」だもんね。本音と建て前のお国柄なのは何も免許制度だけに限らないし、それに依存する社会体質(教習所がビジネスとして成り立つ背景でもある)なんか、俺が死ぬまでかかっても直りはしないし、程度の差はあれ、「権力」があるところにはその種の問題は起きるものだろう。
峠その他に関する私見は過去に色々書いているので繰り返しはしないが、「どうにかしたい」という気持ちと、「じゃ、何が出来る?」って気持ちがもやもやと胸に渦巻く。事故には様々な要因があり、「こうすれば無くなる」なんて根本的解決は難しい。が、行政として事故をそのまま放置する訳にはいかず、結果、「二輪締め出し」という結論になってしまうのも分からなくは無い。事実、俺が高校の頃に通行禁止になった箕面の滝道では以降二輪の絡む死亡事故は起きていないはずだ。行政のトップは数字しか見ない。死亡事故が0にさえなれば「どうやってそれを実現したか」なんてわざわざ現場に問う事は無い。「それは間違っている」っとライダーである俺は思う。が、それはある種のエゴであり、世の大多数はそうは思わない......というか、「無関心」なのだ。ちょうど俺が、あなたが、サケ/マスの漁獲割り当ての増減に、在日外国人の参政権問題に無関心であるのと同程度に。当事者にとっては死活問題であるにも関わらずにね。マイノリティーであるがが故とするのは簡単だが、それは反面、アイデンティティーでもあるのが普通なので、当事者にとっては深刻である事には変わり無い。
あまり漠然とした事についてダラダラと書き綴るのも気が引けるけど、バイク/ライダーの印象は総じて「良く無い」。理解ある人も勿論多いが、ライダー「個人」は好きでも、『(総体としての)ライダー』には敵意を抱いている人は少なく無い。原因は様々だろう。暴走族に悩まされている人もいるだろうし、すり抜けに憤慨している人もいるだろうし、事故で身内を亡くした人もいるだろうし、勝手に突っ込まれて死なれた人もいるかも知れない。何も事故に限らず、惚れ惚れするようなレーシングサウンドをただの騒音に感じる人は多いだろうし、転倒痕の残った駐車/放置バイクを見て「漠然とした恐怖感」を感じる人もいるだろう。
バイクは孤独な乗り物。そして危険な乗り物。それは非日常への扉。それこそが魅力であり、それこそが全て。ようこそ、こちら側へ。
よくある「バイク乗り」の世界だが、その種の世界に憧れる気持ちは俺にもあるし、事実、極論すれば、俺は本心ではそう思ってさえいる。けども.....だ。臭い言い方になるが、人は一人では生きてはゆけない。あなたの(俺の)ご自慢のバイクにしたって、鉄鉱石を掘るところからあなたが一人で作った訳ではあるまい。 バイクを買う金はどうした?勿論自分で稼いだ。が、どうやって?そこに「他者」は介在しては居まいか? 走っている道だってそうだ。山を切り開き、鋪装したのはだれだ?その金を出したのは誰だ? ゴミだってそうだ。峠のゴミは持ち帰りましょうというのは簡単だ。では何処へ?コンビニのゴミ箱へ?そこから先は?ゴミ箱へ入れた時点で「あなた(俺)の責任が全うされる」のは、その後の作業を誰かがしてくれるからでは無いのか?
この国で、そして恐らくどの国でも、あなたが生きてゆくには「あなた以外の誰か」が必ず必要なのだ。あなたの「走る権利」を制限する事は俺には出来ないし、また、誰にも出来ないだろう。が、それを主張するなら他者の主張にも耳を傾けねばならない。当たり前の事ではあるが、それが「協調」であり、社会のルールだ。明確な線引きなど出来る訳はないし、そもそも無意味だとの主張もあるだろうが、今の状況では再び二輪規制強化が叫ばれても仕方がないと思う層が大多数を占めるだろうことは想像に難くない。
じゃ、俺に、あなたに、具体的に何が出来るのか??........でいつもの無限ループだ。リセットボタンを押すなんて手段が通じるのはバーチャルな世界だけの話。転倒痕のタッチアップでもいい。5往復を3往復に減らすことでもいい。スモークシールドをクリアに戻すことでもいい。追いこし、割り込みの合図をお辞儀に変えるのもいい。走行暖気に切り替えるのもいい。バッフルを付けてみることでもいい。個人でできる事なんてたかが知れているし、善かれと思う内容はそれぞれだろうけど、誰に強制される訳でもなく、自分のできる事を、心掛ける事を、もう少し増やすことは出来ないだろうか.....なんて思っている今日この頃です。
.....すまん。支離滅裂/中途半端な文章だが、せっかくなのでこのままUPだ。
>>少なくとも1速でのレッドまでフル加速/そこからの急減速には慣れておいた方が楽しいと思いますよ。
ばっっかやろぅ。お前の10年前の750と違ってこちとら最新型のリッターだぜ?そんなことしたらフロントはポンポン上がるし、後ろだってジャックナイフなんだよぅぅ。
なぁんて感想が来るかと思っていたんですが、全く来ないので(笑)少し拍子抜けですが、あなたの意見は半分正しく、半分は間違っている。私の750だって浮かす気になれば結構簡単にフロントもリアも浮きます。が、フル加速が目的であって浮かす事は目的でないならば、「浮かさず、且つ、もっとも効率良く(速く)加速する」ように乗るのが「テクニック」です。具体的な対処はバイクの出力特性や体格などによっても違うのでしょうけれど、バイクの特性を一番把握しているのはオーナーであるあなた自身ですから、前に乗るなり後ろに乗るなり、クラッチワークを練習するなりスロットルワークを工夫するなり、色々試してみて下さいってことですね。(←予定調和的な表現だよなぁ....) そう、こういうように締めくくられる文章がバイク系には多いんですけど、具体的にはどうすればいいのかまで「有料のメディア」なら案内する必要があると思うんだけど。
現実問題、一番問題となるのは「場所」ですよね。サスのセットアップなんかも現実的にはワインディングを利用するしかないのが殆どだし、フル加速、急減速にしても信号までの直線利用(やった事がないとは言いません)なんかだと本末転倒な話。近所に適当な空き地があるならいいんだけど、都市部ではなかなか見つからないし、「バイクが走り回ってる」ってだけで警察がやってくる事も多い。
某団体が掲げる、「ジムカーナ文化」までいっちゃうとあまりに漠然としてピンと来ないんだけど、どうすればバイクにまつわる環境を「少しでも良く」出来るのか。なぁんて、ほんと、考えちゃうよね。個人でできる事なんて限られているんだけど。
話は変わるが、確かにオリンピック競技は感動的だけど、「感動をありがとう!!」的な過剰演出はいいかげん反吐が出るな。「感動」なんてものはパーソナルなもんなんだからメディアが演出する類いのもでもなかろうに。テレビってメディアはどうも好きに成れんなぁ.....。
ジムカーナ、あるいは講習会にあまり馴染みのない人が参加してみて一番「違和感」を覚えるのはなんといっても「1速オンリーの走行」だと思う。振り返ってみれば初めて講習会に参加した時は発進後ためらいなくシフトアップしていたし、それで特別問題も感じなかった。ところがある程度参加回数が増えてくると「1速だけで走ってごらん」なんてアドバイスをもらい、試しに走ってみたところ、これが「恐い」のだ。
が、慣れとは恐ろしいもので、今では1速走行に疑問を感じる事がない。勿論、ただ漫然とジム=1速と考えている訳ではなく、当然それなりの必然性があるし、また、ジムに興味があまりない人も1度は経験してみるべき世界だと思う。
1速のみでの走行を「恐い」と感じた裏側には、慣れだけでは済まない理由があって、ともすれば「ギクシャク」と表現される通り、全ての挙動が激しく出るのだ。高いギアだとそれなりに誤摩化せる車体ホールドやスロットル/ブレーキ操作が、1速のみだと追随しきれない。つまり、ライダーの意識よりも車体の挙動の方が先行してしまうので「恐い」と感じてしまうのだ。が、これ以上挙動が激しいギアは(ファイナルをいじらない限り)バイクにはないので、1速でのフル加速/フル減速に慣れるだけでもライディングの幅は確実に広がると私は考えています。つまり、「常にライダーの意識がバイクよりも先行する」ことがライディングにおいてもっともマージンを生むと考えているのですね。丁寧かつ確実な操作の練習にもなるし。
例えていえば、峠の登りの立ち上がりで、2速のつもりが3速だった時、「おっせぇなぁ〜〜〜」って感じますよね?ライダーの意識にバイクがついてこない状況。まぁ、それはそれで「安全」だとは言えないのですが、全てのギアにその感じを持つというか、発進にだけ1速を使うのははっきりいって勿体無いです。きょうびのビッグバイクなら引っ張れば3桁、250クラスでも(物に拠るでしょうが)5〜60キロは出ます>1速。この1速走行の挙動に物足りなさを覚え始めたらもう泥沼なんですが(笑)、そこまで行かなくとも、少なくとも1速でのレッドまでフル加速/そこからの急減速には慣れておいた方が楽しいと思いますよ。せっかく5〜6段もギアがあるんですから。
今回も写真を撮るのを忘れていたのできちんと更新出来なかったが、こないだの日曜日にエアクリーナエレメントを交換した。2度目なのでそんなに苦労はなかったのだが、構造的にかなり無理な位置にクリーナが設置されており、やはり「やるぞ!!」っと気合を入れないと取り掛かる気持ちに成れない。(笑)性能に直結するパーツ故、整備性よりも機能性を優先させた結果なのだろうが、やはり不便だ。
さてさて、先の講習会レポでも少しだけ触れた話題なのだけれど、「油面調整」の意味などについて少しばかり語ってみようと思う。端的に言って、油面調整とは、「動的なフロントの車高調整」と考えるのが一番理解しやすいと思う。車体を支えてくれない減衰力は無視するとして、フロント側で車両姿勢をいじる方法には、
あたりが考えられる。それぞれ調整する事にる副次的な効果もあるのだけれど、原則的には、
って感じですかね。で、問題となるのは2と3の関係。ご承知の通り、サスペンションの基本は「バネ」なので、イニシャルで調整するのが一番なんだけれど、「フルストローク近辺で切れ込むが他は概ね良好」なんて症状(要するにサスが入り過ぎてキャスタが立ち過ぎている状態)の場合、それを嫌って(沈み込み量を減らすために)イニシャルをかけてしまうと初期のハンドリングまで一緒に変わってしまう事が多いのです。突き出しを増やして静的なキャスタを寝かせて解決する事もあるのですが、それも同じようにロール軸が変わってしまってハンドリングまで変わってしまいます。(余談ですが、イニシャルをかけた方がハンドリングがクイックに感じのは、同じ荷重がかかった場合の実ストローク量が減る、すなわち、サスが動いてバランスポイントで釣り合うのに要する時間が短くなる=それだけ速くタイヤに荷重がかかるからです。キャスタは寝るのですが、その変化はイニシャル程度では微々たるものです)
そこで登場するのがこの油面調整でして、フルストローク近辺ではスプリングの反力に加え、空気バネの反力も無視出来ないぐらい大きくなる事を利用したセッティング項目なのです。1G'近辺ではこの空気バネの影響は殆ど無視出来るぐらい小さいので、初期動作は突き出し&イニシャルで決めて、深くストロークしたあたりの調整をこの油面の高さ(空気の量)で行う事が出来ます。油面を低く(空気を多く)すると反力の立ち上がりが緩やかになり、結果奥までストロークしますし、油面をあげれば(空気を少なく)反力が急速に高まり、結果、ストローク量は減ります。が、全体的な反力はバネ+空気バネで決まりますので、どうしてもトライ&エラーが必要になります。その場合、やみくもにオイル増減→試走なんてやってられませんので、イニシャルあるいは突き出しを増減して、「初期動作は無視してフルボトム近辺の感覚のみ」を探り、上げる(あるいは下げる)べきストローク量を見つける努力をします。
あとはそこから逆算して足す(あるいは抜く)オイルの量を計算して油面の高さを決定するのですが、10mm油面を上げたからといってストローク量も10mm減るのではない(空気は圧縮されるので減るストロークはもっと少ない)ところが難しいところですね。(笑)
が、これらがうまく噛み合うと、かなり乗りやすいバイクに仕上がると思います。
話は変わりますが、最近のBig Machine誌、なかなかいいですね。全く興味の範疇外の雑誌だったんですが、9月号/10月号の特集は結構充実していると思います。(どちらも人に勧められて立ち読みしたのですが、結局2冊とも買ってしまいました)
1週間以上ほったらかしていた当サイトですが、そろそろ落ち込みも吹っ切れてきたのでぼちぼちと更新再開を.....努力します。(笑)
やっぱ、こうやって何かしら書いてないと近況も分からず、要らん不安を駆り立ててしまうらしいので。
ふがいない結果から這い上がる為、先週は毎朝4時起きで某所の走り込みを実施........していた訳もなく、じつはふとしたきっかけでいわゆる「エミュ」の世界にどっぷりとはまっておりました。どちらかというとアングラ寄りのジャンルだったので(まぁ、エミュレータ本体は「ハッカー系」、Romサイトがアングラなんでしょうな)何となく避けていた&Macintosh使いなので選べる程エミュレータがなかった事が原因で、その存在を知りつつも今まで深入りしてなかったのです。
が、偶然にもMacintosh専門エミュレータサイとを発見し、折しもドラクエ?・の発売とも重なり、今、ドラクエ?「(誤植じゃないよ)なんかを必死で遊んでます。(笑)なにやってんだか。
けど、未だにファミコンの画面がMacintosh上に再現される事の凄さに感動してしまう。もちろんMacintosh上でWindows98をエミュレートできる時代なので、ファミコンなんてお茶の子さいさい......なんだろうけど、マシンパワーの進化もさる事ながら、アーキテクチャからして全く違うハードウェアをソフト的にエミュレート出来る「技術(ハック)」のほうがどちらかといえば畏敬を感じる。コンピュータを少し詳しくかじった事のある人なら何となく実感出来ると思う。
著作権など、とかくネガな部分がクローズアップされるジャンルであるが、ハードウェアの違いを超え、「全てのデジタルリソースの共有」が可能になる時代もすぐそこなのかも知れないなどと改めて思った。
全く関係ないが、HTMLメールと、ワード/エクセルによる公式文章の配付の習慣はやめてもらいたいなぁ....。
割りと真面目な更新スタイルは一旦休止です。書きたいネタは沢山あるんですが、改めて「ライディング」や「バイクの構造」を文章で表現するのは大変だなぁ....っと実感。チャリンコ1台を囲んで説明できれば微妙なニュアンスも掴みやすいんだろうけど、単純な図形の併用程度では限界は低い。
気がついている人もいるかも知れないが、実は「嘘」とまでは言わないが、表現が難しいので書くのを避けていたバイクの大きな特徴がある。それが『バンク角』。パソコンにおまけで付いてきたドローソフトではなかなか上手く3D透視図が描けないのも大きな理由なのだが...。
いわゆる「(実)舵角」はハンドルの切れ角(これが0だとバイクは傾くだけで方向は変わらない)ダケに依存するのではなく、バンク角にも当然依存する。それらをきちんと考慮してコンテンツを「わかりやすく」作る自信は今の俺にはない。需要があるのかも良く分からんしね。(笑)
今回は「バネ(スプリング)」の話です。
バイクで一番多く使われるバネはいわゆる「コイルスプリング」と呼ばれるタイプですね。フロントサスやリアサス、負圧キャブのダイヤフラムやリアブレーキペダルやスタンドのリターンスプリングなどなど、ちょっと眺めただけで沢山発見する事が出来ます。
この「コイルスプリング」なんですが、誤解と言うか、誤った知識をお持ちの方も多いようです。
である事について書いてみます。
まず最初に、この概念図(最近こればっか)をご覧下さい。
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まことに「なんだかなぁ」という感じのやっつけな図ですが、色に敬意を表して、左をオーリンズ、右をペンスキーとでもしましょうか。 この二つのバネ、どちらが「固いバネ」かというと、黄色いオーリンズの方です。一般に、材質が同じで、巻径、巻ピッチが同じであれば、線径の太いの方が固いバネになります。 |
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こちらは同じオーリンズでも、高さがちがう場合です。 この二つのバネ、どちらが固いかというと、右の低いバネです。一般に、線径、巻径、巻ピッチが同じであれば、背の低い方が固いバネになります。 1巻カットの車高短(シャコタン).....なんて由来も知ってる人は減ってしまったかも知れませんね。 |
っとまぁ、このあたりは結構解説される事が多いのでご存じの方も多いと思いますが、もう少し踏み込むと、「バネ」に対する理解も深まりますし、応用問題に直面したときにも便利です。
「巻いてある」ことが特徴のコイルスプリングですが、それぞれの部分をミクロな視点で見てみると、いわゆる「捩り」や「たわみ」の動作によって反発力を得ている事に気付くと思います。つまり、上図のそれぞれは、以下のようなバネと本質的には何の違いもありません。(材が板なら板バネ、棒ならトーションスプリングなんて呼ばれますね)
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それぞれのバネをほどいて真直ぐな鉄棒に戻します。一端を固定し、もう一方にそれぞれ同じだけの力を加えます。 同じ長さなら、太い方が固く(たわむ量は少なく)、同じ太さなら短い方が固い事が容易に理解できると思います。 |
バネの解説では、巻径がどうだの、ピッチがどうだの、線径がどうだのと色々書かれています。けど、ここまで展開して考えれば比較的簡単に「バネの固さ」もイメージできますし、比較も容易です。同じ太さ、同じ長さの鉄棒であれば、どのように巻こうが、得られる「反発力」は同じです。
この「反発力」こそ、サスペンションの第一目的である、「バネ上(車体)を支える力」に他なりません。(ダンパーは車体を支えてはくれません)ライダーを含めた車重や、加速力、減速力によって必要な「バネの反発力」は必然的に決まります。前述のとおり、バネ材はどのように巻いても反発力は変わりませんが、バイクの場合、スペース的な問題と、操安の関係で「この範囲の中で上下して欲しい」数値がある程度決まっています。今のロードバイクだと前輪で120mm前後、リアサスの実ストローク(リアのアクスルではない)で90mmぐらいですか。車体を浮かすのに必要な「反発力」は同じでも、巻き方によって「どれだけの力で押した時にどれだけ縮むか(** kg/mmという表記が一般的)」をかなり自由に変える事ができるのがコイルスプリングの一番のメリットです。それらを総合的に勘案して線径や巻径、ピッチなどが決まるんですね。
つまり、
って感じです。一言で「固いバネ」と表現される場合も、どちらの要素の話なのかは大事です。まぁ、通常は後者(** kg/mm)しか問題にならないとは思いますが。
同じバイク向けのリプレイスサス(サスの全長はほぼ同じ)でも、付いているバネは結構違います。同じ「**kg/mmのバネレート」でも、細く長い材料を巻径やピッチを広く巻いているのか、太く短い材料を小さく狭く巻いているのかって感じ。まぁスペース的な制約があるので極端には違わないと思いますけど。特集なんかでよくショックの写真が掲載されていますが、ボディーだけでなく、バネにも着目して眺めてみると、メーカーのバネに対する考え方の違いなんかもおぼろげに見えてくるかも知れませんね。
タイトルにそぐわぬ内容ばかりで申し訳ないのですが、気分で更新するのは昔からの癖なので、まぁ、ご容赦を。(ドロー系ソフトを使いたい年頃なのよ)
今回は、「タイヤのグリップはタンジェントθ」です。(笑)何のこっちゃ良く分からんと思いますけど。
まず最初に、この概念図(モデルケース)をご覧下さい。
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これは地面に接地しているスリックタイヤを真上から見たところです。現実は少々違うのですが、まん中の黒い丸が地面との接地面です。垂直荷重が同じ条件であれば、前後左右、どの方向にも同じだけのグリップ力を発揮します。 また、二輪タイヤは走行により、左右にバンクしますが、四輪タイヤと違い接地面がラウンド形状になっていますので、傾く事による接地面積や形状の変化は考えないものとします。 |
この「グリップ力」を仮に「100」という数字で表現する事にすると、どの方向にタイヤを押しても、100以内であれば滑る事はなく、また、100を越えるとズリリっとスリップを始めます。が、実はこの「100」のグリップ力を、我々は意識する事なく、100以上に使っています。それの説明が下の概念図です。
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イメージしにくいかも知れませんが、この大きな円がタイヤの持つグリップ力と考えて下さい。中心から円周までの距離は何処で測っても等しく、この場合では「100」のグリップ力です。 黄色い線は前後方向のグリップ力で、イメージとしては直進状態。駆動力に対する後輪のグリップ力と考えてもいいですし、フルブレーキングの時のフロントタイヤと考えてもいいです。それぞれの力が100を越えると、リアタイヤは空転を始め、フロントはロックして流れます。 対して、灰色の線は、左右方向のグリップ力です。まぁ、これは実際の走行では体感する事は出来ませんが、イメージとしては遠心力です。(但し、前後に動かず、遠心力だけが働く機会はバイクには殆どありません) そして最後が、赤や青の斜めの線。イメージはコーナリング中のバイクのタイヤです。遠心力に対抗しつつ、加速や減速に対してもグリップしている状態です。そのグリップ力は100で、それを越えると流れるのは前後左右と同じ。但し、決定的に違うのは、赤や青の線は、前後左右方向の力の「合力」と看做す事ができる事です。合力ですので、前後左右方向に力を分解して考える事が出来ます。それがそれぞれの色の細い線。 つまり、分解した前後左右の「グリップ力」を足し算すると、初めの「100」を越えるグリップを発揮している事が分かると思います。 |
きちんと角度を測って描いた絵ではないですが、赤の線をハードに減速しながらのバンキング(あるいは大きなRを駆動力を駆けて立ち上がっている)と考えると、分解した力で見れば100しかないグリップ力のうち、約85を前後方向のグリップに使っています。単純に考えると残りのグリップ力は15程度しかないように思えますが、実際は図でもお分かりのとおり、左右方向にも30程度は使えるんですね。それが、「タンジェント」。(笑)中学以来久々にこんな単語を使った気がします。
まぁ、こんな事を知っていたからといってどうって事はないのですし、現実のバイクタイヤのグリップ事情はもっと複雑なのですが、「グリップ限界を超えてスリップ転倒」した時に、「どの方向に無理があって限界を超えたのか」を理解する助けにはなると思います。.....って要は自分への戒め更新ってとこですかね。とほほ。
まぁ誰も期待して無いと思うけど似非セッティング講座でも。具体的な私の実践値はこんな奥まった場所にひっそりと更新してあるんですが、わざわざ項目立ててコンテンツとして独立させるのもなんだか恥ずかしい話だし、ここに書くのがきっと丁度イイんだろうと思います。
オートバイの諸元表には様々な数値が書いてあります。キャスターだのトレールだのホイールトラベルだのホイールベースだの。近ごろのスーパースポーツならだいたい同じような数値に納まっているようですが、GMDが言うように「スイートナンバー」があるのかもしれません。が、物事はそんなに簡単では無いと思います。つまるところ、どれだけ改造しても私のGSX-R750Lは88NSR250やR7にはならないって事です。勿論、キャスタ等の具体的な数値をそれらのバイクと同じにはできるでしょう。が、その結果、同じハンドリングが得られる程バイクの構造や構成要素は単純では無いのです。そのバイクが持って生まれた「設計思想」は最後まで生きていますし、つまるところ、それこそがそのバイクが持つ「個性」であるともいえます。GSX-RをR1にする改造はそもそも無意味で、買い替えた方が楽であるばかりで無く、GSX-Rである事の意味が無くなってしまうと思うのです。まぁ、「いじることそのもの」も結構楽しい作業ではありますが、できる事ならそのバイクが持つ長所を活かし、ネガな部分を潰す方向でセッティングする事が一番楽だと思いますし、バイクの個性も活きると私は考えています。
さて、セッテイングには色々な調整個所があり、混乱の元になっていますので、一度整理してみることにします。
解説本を紐解くとやれ1Gだのなんだのと書かれていますが、基本となるのはいわゆる「1G'」、すなわち、「あなたのバイクにあなたが乗った状態」です。カタログのキャスタ値などは全て空車状態(1G)ですので、実はあんまり意味が無い数字なんですね。
この静止1G'のディメンジョンを決める事が一番最初のステップになります。具体的にはリアのイニシャル。これだけです。(本当はフロントのイニシャルも関係するのですが、こちらはどちらかというとハンドリングの調整機能と捉えた方が楽です)この具体的な数値は「乗車時にリアホイールトラベルの1/3沈み込むようにイニシャルをかける」を基本にします。要するにリバウンドストロークを総トラベルの1/3に設定するってことです。走らない状態での調整ですから、調整作業は簡単ですし、機械的な作業ですのでインプレも必要ありません。この設定で走ってみて容易に底付きするようならば、バネの変更(固いバネにする)でしか根本的な解決は図れませんし、反対に、イニシャルを最大限抜いても1G'を1/3に取れないのならこれまたバネの変更(柔らかいバネにする)必要があります。
現在ポピュラーであるモノショックだと大体8kg/mm程度のレートのバネですので、装備重量が60kgの人と80kgの人では同じイニシャル/レートのセッティングだと20÷8で縮み量はショック部分で2.5mmの差。たいした事が無いようですが、モノショックにはレバー比(これもややこしいけど、ここでは直押しのモノショックと考えてます)がありますので、リアのアクスル部分だと4mm〜5mm違って来ます。まぁ、「全くの別物」に感じる程2人のインプレが違うとも思えませんけど、ちょっとした差です。が、もし仮に、この2人が自分用にきちんと1/3のイニシャルをかけていた(要するに、乗車時のディメンジョンが2人とも同じであれば)とすると、走行時の荷重に応じてリアが沈み込む量は同じになりますので、ほぼ共通したインプレ、すなわち、そのバイクの素性をより正確に掴み取る事ができるようになります。(厳密にはライダーの体重が違えばかかる荷重も違うのですが、ここでは無視します)
続く......のか??(笑)
転倒補修も一段落。やっとこさここも書く事ができるが、タイトルとは裏腹に今回は真面目な「セッティング」の話し。
サスペンション特集やそれ専門の本が出る程、足回りのセッティング/チューニングは奥が深いし、様々な要素や個人の好みなどが複雑にからみ合ってより文章であらわすのが困難な状況であると思う。さらには、「せっかくのフルアジャスタブルサス、色々試して好みのセッティングを見つけよう」なんてお決まりの言葉で結ばれちゃうと、俺程のキャリアがあっても困惑する事も多い。また、読み方によっては殆ど正反対の事が同じ特集で書かれているケースさえあり、話を更に複雑にしてしまう。
勿論これには理由があり、二輪車のディメンジョンというのは、1つの要素を変更しただけで、それに伴ってほぼ全ての要素まで変化してしまうからなのだ。例をあげると、リアのイニシャルをかけると静的な車高が上がると同時に、スイングアームの垂れ角、フロントのキャスタやトレール、ホイールベースまで微妙にではあるが変化する。
が、どんな物事にもセオリーというものはあり、上の例ではイニシャルをかけるという事の本来の目的はサスの初期位置を決める事であり、それに附随する様々な変化はいわばおまけのようなものである。よって、キャスタ不足を補うためにリアにイニシャルをかける事はいわば「その場凌ぎ」であって、本来は一部のレプリカバイクや本物のレーサーに見られるように、「可変キャスタ」若しくはネックの切断再溶接によることでしか、キャスタそのものを狙った数値に持って行く術は無い。
情報の混乱はこういった、「その場凌ぎ」的な情報が溢れる事が原因であり、それはメディア側の責任が大であると俺は思う。というのも、本質的な部分でのディメンジョン関連の解説を雑誌では読んだ事が無いからだ。
例えば、「フルボトム近辺でタイヤが切れ込む状況に悩まされている。これを解決するにはどういうアプローチをすれば良いか」なんて良くある状況(今の俺がそれ)に対して、
のどれが一番「本質を突いた解決法方なのか。また、それは何故か」を答えてくれる特集を俺は知らない。(正解は4番です)
需要があるならこの辺も書いてみたいと思うんだけど、実際の所、どうなんだろうねぇ。
が、実際の所、正解が4なのは分かっていても1や2でとりあえず解決を図る事は良くあります。設備や工具の無い現場では尚更ですね。けど、「それは応用であって本質では無く、たとえ問題が解決しても今度は他のネガが出る可能性はある」ことは忘れてはいけないと思っています。本質を突いた解決をしない事が泥沼に陥る原因だと思います。>足回り
あ〜〜あ、転んじゃった。(泣)
まぁ、バイクの性質上、車と違って「転ぶ」のは仕方がないんだけど、なんとか避けたかったなぁ........。今のRに乗り換えてから、2回目の転倒なのだけれど、前回は原因もはっきりしてるし、なによりコースの中での出来事なのである意味仕方ない転倒だったんだけれど、今回はなんというか、原因もはっきりしないし、正直なところ、『なんで??なんでこんなところで??何が起こったんだ??」って気持ちばかりが残る。次回以降のライディングにフィードバック出来ない転倒は最悪だ。
二輪の宿命とも言える『転倒』なんだけど、骨折以来、『転ばない事をなにより優先』させてきた俺にとってほんと、今回の転倒は腹が立って仕方がない。ましてやオイルを撒いてしまった事も。
二輪は危険。バイクは危ない乗り物。
どうしてもそのイメージが抜けきれないし、実際、安全な乗り物ではないと思う。だけど、モータースポーツの魅力と同じように、バイクそのものはやはり「楽しい」乗り物である事に違いはないし、そういう側面を全面に出すためには、「転ぶ」ことはマイナスなのだと俺は思っている。
本気のモータースポーツにおいて、自分の事だけを考えて110%にチャレンジしている時は別なんだけどね。けど、今回の転倒はそういう状況ではなかった。だからこそ腹立たしいのだ。実績も何もないタイヤ(このタイヤは流れだしのインフォメーションも何もない、ただ「そこそこグリップするだけ」のクソタイヤです>BT-010)をわずか1回のツーリングと1回のセッティング走行で信頼してしまった事。見た目/整備性を重視してアンダーカウルを外してしまっていた事。判断が甘いんだよ。
転んで愛車が傷付くのは誰でも嫌だ。お金も無くなるし、なにより、痛い。転んでバイクが傷付くからライディングスクール関係に行くのは嫌だって人も世の中には多い。
転んで上手くなる、あるいは、上手くなるためには転ぶ事もある。俺自身を振り返れば確かにそういう道のりを辿ってきたし、今トップクラスで走っているライダーも例外なくそういうステップを辿ってきているのは事実だ。だけど。
いわゆる一般的なライダーにその覚悟をせよ!というつもりは全くないし、反対に、「いかに転ばずに上手くなる(=スポーツとして楽しむ)か」の道のりを示すのが俺のような「中年ライダー」の義務でもあるとさえ思ってる。(決して「遅く走る」という意味ではない) 半分は自己満足ではあるが、サイトに於いて、整備関係や講習会関係のレポを充実させているのはそのためでもある。同じ10万円をマフラーなどのドレスアップパーツ交換に使うのか、上手くなる、スポーツとしてライディングを楽しむために使うのか。そういった、「ソフト面」での選択肢を提供したい.....なんて柄にもなく思っていたのさ。
110%にチャレンジしてた訳でもない。気を抜いて走っていた訳でもない。ゴール後の何気ない「いつもの操作」がいとも簡単に裏切られた虚無感........。今回の転倒で、今まで築き上げてきた『自信』が綺麗さっぱり失われたのがなによりも悔しい。
俺は、へたくそだ。
バタバタとお盆が過ぎましたね。残暑お見舞い申し上げます。
......っつ〜か、ほんま、今年は暑いよ。去年も結構暑かった記憶があるけど、今年はそれ以上なのではないでしょうか。そういや最近全然雨が降って無いけど、一頃に比べて水不足とか叫ばれなくなったねぇ。
そんななか、大阪は枚方にある南海部品系バイク用品屋(兼:バイク屋)「バイク愛ランド(ありがちなネーミングだ)」が商売換えの閉店セールをやっていると噂で聞き付け、暑い中をRに乗ってR1を京都方面に走らせました。お目当ては「モトジャージ」だったのですが、セールにはいってからかなり時間が経過していたため、主だった商品は殆ど売れてしまってました。ヘルメットはまだまだ在庫ありって雰囲気でしたが、売れ筋サイズはもう残り僅少でした。
で、色々物色したのですが、取り急ぎ必要なものは何も無いので何も買わずに退散.........しようと思ったその時!!
ず〜〜〜〜っと、「こんなのあったらイイなぁ」っと探していた、「アゲハ蝶のステッカー(大)」を発見。(笑)定価1200円!!がどれでも1枚100円(外税)だったので最後の1枚をすかさずゲットしました。
「何故アゲハ蝶なのか」って?
物凄く恥ずかしいのですが、我が愛車GSX-R750Lにこっそりと名前を付けていたのです。それが「あげは」って名前。人前でそう呼ぶ事も、また、一人っきりで整備している時にも「あげは」なんて話し掛けはしないのですけれど。(笑)
ネーミングの由来は2つあって、1つはそのカラーリング。スズキらしく無い「赤/白/黒」の塗り分けが、どことなくヤマハっぽいんですね。で、私の持ってるヤマハ車のイメージが「蝶々」なのです。なんかヒラヒラと軽やかなイメージ。(実際は重いんだけどね>GSX-R750L)
で、もう1つが、ここ数年で一番好きな邦画、「スワローテイル」の登場人物の女の子から。確か「伊藤歩」って名前の女優が演じていたと思うけど、女優そのものにはあまり興味が無いので割愛。(笑)まぁ、ストーリーそのものはかなりご都合主義な映画なんですが、なにより「音楽(Rock)」がむっちゃ格好イイ映画なんです。登場するキャラも結構みんなはまり役って感じだしね。昨年レンタル流れのビデオまで中古で買ってしまうぐらい気にいっているのです。>スワローテイル
まぁ、そんなこんなで結構恥ずかしい告白となった今回の更新ですが、キーボードの前に置いてある「アゲハ蝶のステッカー」を眺めながら、本当に貼ろうかどうかかなり迷っているのも事実。メーカーステッカーは貼らないと決めているのですが...........。
どうしようかなぁ....。
MIDIに引き続き、JAVA Scriptなるものにも挑戦してみた。.....どこが更新する暇無しなのだ?
それにしてもインフラの整備というのはある日を境に突然進むんだなぁ等と思う。ISDN導入がかなり遅れたのだが、現在はフレッツiでの常時接続。契約プロバイダである@niftyも来月から商用BBS利用を含め、無制限で2000円/月に料金体型が一本化されるそうだ。
実際、パソ通を始めた頃は「課金君」と罵られる程、長文を書くのもはばかられたし、そもそも秒単位の課金を気にし、電話代にも神経質になってた時期もあった。
が、一旦自分の環境が整ってしまうと、今度はそれを「標準」というか、評価の基準にしてしまうので、表示が重いかどうかなどの基準がかなり甘くなってしまうのは否めない。まだモデムはあるのでそれで確認はできるんだけど、別料金になってしまうため(笑)、どことなく躊躇ってしまう。
このページは出来るだけ閲覧環境に左右されない表示を心掛けてるつもりなのだが、HTMLそのものの修得に意欲がないため、かなり古いホームページ作成ソフト(クラリスホームページ)を中心に、手書きHTMLを追記する形で作成しているので、ソースを読むと「なんだかねぇ.....」って事も多いんだろうな。
ま、インフラやマシン環境が向上する事で冗長なHTMLでもそれほどイライラする事は無くなってくると思うんだけど、その昔、自分がイライラした記憶もまだ褪せてはいないので、ご指摘はジャンジャン受け付けております。買い替えるにしてもパソコンって安くはないもんね。
あ、一応、
にて動作確認をしております。ほんの一部のコンテンツを除き、横スクロールは必要無いと思うんですが、改善要求があればお気軽にメールでも下さいな。
なんかバタバタしてて更新作業に裂く時間が取れん。........(困)
まぁ、ぼちぼちと更新するつもりですので↓の記述はちょっと延期です。(笑)
義理堅いのか日本人
ってなタイトルであるが、なんというか、「私はホンダ党です」とか、「ビールはキリンしか飲まない」とか、「俺はジャイアンツを熱愛しています」ってな話は日常的によくある事だ。「〜党」って表現には一種の「帰属意識」と、それに伴う「連帯感、安心感」みたいなものがあるよね。
かくいう俺自身もパソコン関係はMacintoshと心中するつもりになっているし、国内4メーカーの中ではスズキを応援する気持ちが強かったりする。ま、この先どう転ぶかは分からんけど。
具体的な個々の物、すなわち、愛車であるGSX-RやMac OS8.1等への愛着などは自分で理由がはっきりと分かるのだけれど、「企業全体」などのもやもやした実態が掴みづらい物に対する好印象や悪印象ってのは一体どこから生まれるのだろうかなんて考えてみたりする事も多い。それは親戚や友達に勤めている人がいたり、口コミであったり、過去にその会社の製品で泣かされたりなどの経験であったりする事も多いのだが、知らず知らずのうちに「洗脳」されているのではないかと愕然となる事も多い。
「広告は洗脳だ!」などといわれて久しいが、「ブランド」の醸し出す「雰囲気(イメージ)」というのは企業にとって経済社会を勝ち抜く上では最重要課題なのだろう。まぁ、極端な話し、CMに出ているキャラクターで製品、ひいては企業のイメージも左右されるって話だね。好感度No1女優(誰なのかは俺は良く知らんが)がちやほやされる訳です。
あまり話が脱線すると自分でも何を書こうとしていたのか忘れて困ってしまうので(笑)、次回からは国内4メーカーに対する、「俺自身が持っているイメージとその根拠」なんぞをぼちぼちと書いてみようと思ってるんだけど、どんな展開になるのやら。ま、ここは雑多な文章が混在する部屋にするつもりなので気楽に書きます。(笑)
あ、「洗脳」って言葉に反応された方には以下の本がお勧めです。随分古い本だけど、結構面白いです。
いつ見ても "404 - File Not Found" という表示は寂しいものがあるね。プロバイダの乗り換え→引っ越しならブックマークしなおすだけでいいんだけど、完全閉鎖/コンテンツ全削除になっちゃうと、それまでの経過が全く分からないので余計に寂しくなる。特にバイク関係は下に書いたように「何かあったんじゃ無いか?」なんて要らん心配もしちゃうんだけど、それは「更新されないページ」のほうが顕著か。更新ペースは個人の事情によるところが大きいだけに距離間を取るのが難しいねぇ。
実際にオフラインでも会う機会がある人なら「どしたの?」なんて気軽に聞けるけど、ネットでだけの知り合いはWebの更新やBBSの書き込みが唯一の接点だけに、やっぱ心配になるよな。
暑い日が続きますが、夏を楽しんで下さいね>皆さま。
いつものごとく徒然に。
今年も夏の風物詩、鈴鹿8時間耐久ロードレースが終わった。優勝は加藤/宇川のホンダペア。応援していた北川/梁のスズキペアは2位。注目していた柳川/井筒のカワサキペアは転倒/リタイヤって感じだった。他にも中井さんや山口さんの結果もネットのリザルトとラップチャートでは確認出来たんだけど、ダイジェスト番組じゃ詳細は全く分からん。実は22時のNHKのスポーツニュースを注目して見ていたんだけど、8耐の結果は最後の最後でほんの少しのアナウンスと、スチール写真が放送されただけ。どうなっとるんだ?
今回の8耐では死亡事故が起きた。130Rでの転倒だそうだ。昨年の茂木でも死亡事故が起きているし、全日本開幕前の合同テストでも死亡事故、マン島の英雄、ジョイダンロップも今年帰らぬ人となった。
「人の命は地球よりも重い」なんていわれる事がある。額面通りに受け止めるのはあまりに抽象的すぎて難しいのだけれど、言わんとするニュアンスは十分伝わる言葉だ。
いわゆる一般的な「スポーツ」「格闘技」に比しても、モータースポーツが本質的に持つ「危険」はあまりに大きいと俺は思う。「死と隣り合わせ」。格闘技などでは煽り文句として宣伝材料に使われるような言葉だが、こと、モータースポーツは掛け値無しにその通りだと思う。モータースポーツは危険。レースは危険。バイクは危険。一般的な人々の感想はそんなところだろうし、実際、バイクに乗らない俺の父母の認識もその程度だ。
そもそも、モータースポーツに意味などあるのか?
工業技術の発展、販売拡張、走る実験室。レースの目的は様々だが、人の命を賭けなければ「前進」できない時代では無かろう。それでも俺が今なおモータースポーツに魅せられるのは何故だ?マラソンよりも、テニスよりもゴルフよりも野球よりも。他のどんなスポーツよりも輝いて見えるのは何故だ?
それこそ数え切れない程の人の命を奪いながら、「発展」してきたモータースポーツ。そこに見えているのは「スピード」だけなのか?「安全性」を理由の1つに挙げてF1は何度も何度もレギュレーションを変えた。それでF1は面白く無くなったという人もいるし、俺自身もそう感じる事もある。
......きっと答えなんか出ない。「もっと速く!」はライダーが本質的に持っている「業」だ。
今年、8耐の宣伝では、以下のようなコピーも使われた。
●「1000万円から2000万円に優勝賞金倍増!」
2000万円という金額が高いのか安いのかは見るスケールによって違うだろうが、単純に2人のライダーで割ると1000万円/人、チーム全員に分配すれば幾らになる?金では買えない、計れない名誉。8耐は特別なレース。確かにそうだろう。優勝した2人に、チームに、いや、どんな形にせよ8耐参加した人にはそう言う資格があるのかも知れない。「我々が求めているのは優勝賞金では無い。名誉なのだ」と。が、見ている側が、演出する側が声高に叫ぶべき内容では無い。なにしろあれだけ努力し、リスクを負い、死亡事故を乗り越えての「2000万円」なのだ。対して、昨日金融再生委員長を辞任した久世氏が受けた利益供与は2社から合計「3億円」である。この違いは一体なんなんだろう?
この国にモータースポーツは根付く事はないのか?
==こういった更新だけは決してするまいと決めていたのですが......私の「価値観」や「Webに対する距離感」を端的にあらわしている一文だと思うので、過去に運営していたHome Pageの文章を一部加筆修正の上、UPします。==
基準
人は誰でも自分を基準にして生きています。平均思想が蔓延していた昭和の時代から少しずつ時代は変わり、個人主義がかなり認められるようになりました。かつては『基準』となる『平均的生き方』があり、それに従い、それを目指すのがあたりまえだった時代もありました。
私だって自分一人『だけ』で生きている訳ではありません。ですが、私は『平均と自分を比べること』はもうしていません。同じく、他人と自分を比べることもしていません。
だって、そんなこと、意味ないじゃん。
こうありたい自分。それを目指せばいいと思ってます。自分の基準は自分です。それ以外にありません。自分がおかれている現状に自分自身が満足していない以上、私は(バイク以外でも)マダマダ子供であり、さらなる自身の向上を目指すでしょう。精一杯生きて行きたいです。
私の人生は私だけのものですから。
》人は誰でも自分を基準にして生きています。
どうしようもないことですが、これは事実です。
私には片目の見えない友人がいます。が、彼と話しをしていても、自分は両目が見えることを意識することはあまりありません。へまをやった時、
「両目が見えてもこれだから、もし俺が片目だったなら...」
そんなことを考えることはありません。その気持ちが差別へと繋がります。では、逆のことは?
その友人とは中学以来のつきあいです。いろんなことを今まで話して来ました。最初はやはり、悔しかったそうです。(彼はライダーではありません)日常生活ではいわゆる健常者に便利なように物事は出来ています。それが悔しかったと彼はいいます。
でも、今は違います。彼は自分自身に自信を持っています。自分は所詮自分でしかないのだ。他人と比べたって意味がない。彼はそう言います。
そのとおりなんだ。私もそう思います。
全ての人が、障害があろうがなかろうが、自分を基準に生きています。平均や標準なんてこの世に具体的に存在してはいません。そんなのと自分を比べたって、意味がありませんよ。
世の中の殆どのことは不平等に出来ています。だからこそ、私とあなたは、対等なのです。人間に優劣なんてあるわけがありません。私自身も『色弱』という障害?を持っています。パイロットにも医者にも理工系学部にもこれが原因で進めませんでした。でも。自分のことは大好きですよ。
英語のBE動詞に相当する自動詞が日本語には無いそうです。これは非常に珍しい言語だそうです。
そのことの現われなのだそうです。噂話しは誰でも好きです。悪口も好きですね。その場にいない人の悪口は盛り上がります。そして差別ネタも好きです。.....ですので一向に差別は無くなりません。
こういった、「国民気質的傾向」を変えるには大変な努力が必要なのかもしれません。
私だって他人と自分を比較することはよくあります。ですが、それは、自分を確認する為のものではありません。相手を確認する為です。自分との差異を知り、相手を理解し、相手を自分と対等の位置に置くために必要なのです。「対等」と「平等」は、言葉こそ似ていますが内容は全く違います。
様々な局面において、各々の持つ能力には優劣はあるでしょう。当り前です。それを我慢できない人は「不平等だ」と言うかもしれません。ですが、それは間違いだと私は思います。
一人として同じ人間はいません。だからこそ、人と知り合うことが刺激となるのだと思います。全人格を問うたとき、そこに優劣などあるはずがありません。全ての人は、平等ではありませんが、対等だと思います。自分を認めてもらうには、相手の存在を認めねばなりません。相手を理解する事は、自分を理解していなければ出来ません。
みんな、自分のことを好きになってくださいね。
「対等の位置に置く」ってニュアンスが良く分からん!って指摘をうけました。
要するに、
ってことが書きたかったのですが...。言葉って難しいですね。
他者との比較、基準値との比較。これを自己の存在定義としている以上、優越感や劣等感は無くならないのではないかと思います。
ってことに一喜一憂して暮らしている人は多いですね。私も昔はそうでした。価値基準を自己以外に求めるから基準より優れてる、劣ってるってなるんですね。結局、自分に自信が無いんでしょう。みんな。他人の目にびくびくしちゃって。
自分自身を振り返って見れば、10代は自己嫌悪の時代だったと思います。20代は自己認識の時代だったなぁって感じます。
完全な人間なんてこの世にいませんし、自分自身も不完全です。でも、認識した自分が、どんなに不完全でも、「それこそが、その不完全な姿こそが自分自身なのだ」と「認める」こと。それが出来ないから、価値基準を自己以外に求めるのだと思います。これが出来ないと、自分を好きにはなれません。そして、自信も持てません。
なぁんて、夢見たってしかたないじゃないですか。
勿論、目標や、憧れ、向上心は誰でもあると思います。ですが、それは、絶対値としての客観的スケール(基準値、他者との比較)では無く、自発的、主観的スケールであるべきです。人生に試験なんて無いんですから。自分の基準は自分です。目標を自分で決め、満足したか否かも自分で判断する。生きるっていうのはこういうことだと私は思っています。
そういう次第ですから、当然、価値観は人の数だけあります。その人の価値観がたとえ私と違っていても、それは当り前です。私の価値観は私にとっての基準であって他者には一切無関係です。逆もまた真ですね。価値観の押し付けはしないように心がけているつもりですし、されたくはありません。
ですから、
と書きました。(分かりにくいですよね。ごめんなさい)
様々な価値観(個性といってもいいでしょう)を持つ人達とふれあうことで私の価値観もまた少しづつ変化していきます。ですが、そこにあるのは優越感や劣等感を生む『比較』ではなく、『刺激』なのだと思います。
ネットワークにおいて、私はいつもいい刺激を様々な方から受けています。いつもありがと。>ALL
ほったらかすときはとことんほったらかす癖に、書く時はまとめて書いてしまうな。
「伏せ字について」
なんつ〜かパソコン通信時代からの流れなのか、意味の無い伏せ字って多いと思いません? ス●キとかカワ●キとか、ラフ&●ードとか.....。赤●爵と書いたと思えば●男爵と続けてみたり。
昔はねぇ、商用利用がNGだったので、「広告行為」と思われたく無いって意識があって伏せ字が少し流行った事もあったんですけど、上記のような意味の無い伏せ字って、(爆)に通ずる、「伏せとけば何書いてもイイんだろ?」って意識が見えかくれして、なんだかなぁです。
勿論誰だってネガなことは正面切って書きづらいし、こんな時代ですから名誉棄損など、予期せぬトラブルを未然に防ぎたいって意識もあるのかも知れません。お店紹介的な記述でも住所や電話番号などの記載はどことなく躊躇われるというか、断わった上で掲載するのは当然だと思いますが、少なくとも自分の書いた文章には「責任」を負おうよ。バイク関係特有だと「フワワkm/h」とかね。
不法行為はどんなに表現をごまかしても不法行為ですし、ましてや、こんな程度の置換表記なんて当局もご存じな訳です。画期的な表現方法とも思えないし、曖昧にする事で「免責」される事を期待するぐらいなら、その件について全く触れないか、不法行為自体をしなけりゃイイじゃん。
どうもこの手の「曖昧さ」を好む層は好きになれないっつ〜か、自分の書いた事、自分のした事に「責任」をもつって意識が感じられないんだよなぁ。そのくせ、「自由、自由、自由」ときたもんだ。
「自由と責任」....語り尽くされた話題のようにも思うけど、分かって無い人って多いよね。
What's Newに書こうかとも思ったんだけど、なんとなくこちらに。
Link Pageの最下段に「お気に入り」として5件のサイトを別枠登録(一部無断リンク)しました。
昔BBSに少し書いた事もあるし、私の過去のサイトをご存じの方なら2番煎じな話になっちゃいますけど、「個人運営のWeb Site」って基本的にどんな内容でもいいと思うし、好きな事について好きなペースで綴ってゆけばいいと思っています。「情報発信」なんて言葉がその昔叫ばれましたが、そんな堅苦しい意識を持つ必要なんて無くて、どんなページも「等価」だと私は思っています。WebにUPさえされていれば、必要な時にアクセスは出来るんですから。古い情報には価値が無いなんてこともなくて、古い情報こそ価値があるケースさえ多いですし。
要するに、「きりがない」んですよ。お友達リンクを筆頭に、自分のIEのブックマークをそのままWebにUPしたって仕方がないと思っているんです。で、そこで悩み....というか、「リンクする、しない」の取捨選択の必要に迫られる訳です。まぁ、ここはGSX-R系を標榜しておりますので、そちら系には出逢う度に無条件でリンク依頼させていただいているのですが、それ以外でとなると、今も昔も基本的には変わって無くて、
1)商売中心で無い事(商品広告はするつもりがありません)
2)虚飾の無い事(作り手の顔が見えるって意味)
3)価値観(個性)が一貫している事
を一応の基準にさせていただいています。なんというか、Webって「自分以外の誰か」に簡単になれるメディアじゃないですか。嫌になれば簡単に姿を消せるし(←お前が言うなって反論は甘受します)。勿論、お会いした事のある方ばかりでは無いですので、Webの記述からの判断になるのですけれど。
けど、「こいつぁ凄い!!」って思うページも沢山あるんですね。特定の話題(ここではバイク関係だけですが、ほかのジャンルのWeb含めてね)を通じて、その人の生きざまとでも言うか、価値観とでも言うか、そういったものが滲み出しているサイトが。
「影響」って便利な言葉があります。「〜〜に影響を受けて●●を始めました」とか、そんな感じで使われるんですが、そういった発言の99%は「〜をパクリました」なんですね。そういっちゃうと身も蓋も無くなるので「影響」なんて言葉を選んじゃうんでしょうね。
で、私が衝撃を受ける(何もインタネだけじゃなく、実際に会ったり、見たり、触ったり)のは、「刺激」なんです。自分とは違った「価値観」とでもいえばいいのかな。そういった世界に触れると非常に刺激を受けて年甲斐も無くワクワクしてしまいます。「個性」といってもいいですね。
私はネットに対してその種の「刺激」を求めているのであり、アクセス増や、情報交換などは副次的なものとしてこのサイトを運営しています。(これもまた、「私がそうである」ってだけの話で、運営目的はそれぞれだということは前述の通りです)
そして、幸いな事に、相も変わらず、いい刺激を受け続けています。いつもお世話になってます>運営者の方々。m(..)m
ライテクについて
バイク関係のWebを気の向くままに散策すると、一番目に付くコンテンツは「バイクの紹介」、次いで「改造/パーツインプレ」なのですが、「ライテク指南」的コンテンツも随所で見る事が出来ます。いわゆるスーパースポーツのオーナーサイトに多いですね。
で、見つける毎に「どんなんかなぁ.......」っと覗いてみるのですが、これがまた、殆どのサイトがいわゆる『パクリ』とでもいいますか、要するにRiders Clubの記述をそのまま写したものばっかりで辟易してしまいます。参考文献として同誌の名前が上がっているのはまだましで、その多くが「自ら発見したもの」であるかのように書いてあるのも......なんだかなぁです。もっとも、書く事には、「それによって自らの知識を再確認する」って側面がある事は否定しませんけども、やはりオリジナルには敬意を払うべきだと私は思います。
私は殆ど雑誌は買わないのですが、つい最近、「リアブレーキホースをメッシュにしたらコントロール性が落ちる!」なんて話をBBSで読んだり、直接聞いたりしたのですが、どうやらRoad Riderという雑誌で浅川氏が書いていたそうです。情報は多い方がイイに決まってるのですが、なんかみんな、「権威に弱い」っつ〜か、もうちょっと自分の感覚を信じればイイのにねぇ。(私のRのリアがノーマルのゴムホースのままなのは別にコントロール性を狙っている訳ではなく、単に「費用対効果」が悪いからでして、コストに見合う効果が得られない事を「経験上」知っているからです。所詮足で操作する部分にコントロールも糞もないしね。)
話は戻りますが、ライテクを文章で著すのは非常に難しいと思いますし、ましてやそれが「未消化部分のある他人の知識」だと尚更です。実際、内足荷重だ、外足過重だなんだとWGPクラスのトップライダーでも意見が別れるぐらいなので、乗り手の体格やコースコンディション、バイクの種類によっても違ってくるんでしょうし......。ま、ブレーキかけたら前が沈むとかのバイクの普遍的な挙動は共通なんでしょうけど、そこから、ブレーキリリースをきっかけに倒し込もうが、少し引き摺って倒し込もうが、抜重をきっかけにしようが、加重をきっかけにしようが、結果として「効率良く曲がる」事ができればそれでイイ訳で、コーナー単体だけを取り上げて云々できる話じゃないし、要は「全体の組み立て」が一番重要だと私は思っています。特にコース走行ではね。先の分からない公道だと余計にそうなんじゃないのかな。なんというか、全てのコーナーを完璧にこなせば完璧な走りになるって感じの「足し算的思考」は危険だし、結果として遅いケースは多いです。
が、ここに一件、皆さまに自信を持ってご紹介させていただきたいサイトがあります。それが、
我楽多のススメ (http://homepage1.nifty.com/FIREBLADE/)注:MS IEが推奨ブラウザです。
です。おなじツーリングクラブに所属しているH.Funoさんのサイトです。いわゆるライテクだけではなく、ライディング全般に渡って「自身の経験」に裏打ちされた記述は必見。超お勧めであります。こんなサイトがあるんだから、私がライテクについて云々するなんてリソースの無駄ですね。(笑)
そうそう、バイク関連書籍では、
●「ライディングことはじめ」 つじつかさ著 グランプリ出版
●「ベストライディングの探究」 つじつかさ著 グランプリ出版
●「ライディングの科学」 和歌山利弘著 グランプリ出版
あたりが参考になる事が多いと思います。(心構え的な部分はつじ氏、コントロール云々は和歌山氏の著作に私はかなり影響されています。)
(爆)
なんかこの馬鹿話しコーナー、更新記録には書いてないはずなのに意外と評判がよろしいようで。ま、こういった適当な更新頻度が作ってる側にも心地よいペースであるのは確かでありますな。
で、今回の馬鹿話しはこの「(爆)」であります。
古くはパソコン通信の時代から顔文字と共に便利に使われているこの()表記ですが、(笑)、(困)、(泣)等にはすんなり馴染めたのですが、(爆)だけはず〜〜〜〜〜〜〜っと馴染めんのです。モニターに向かいながら、「え〜〜〜い!!爆爆いうなぁ〜〜〜!!」って思う事が多いです。
というのも、もともとこの(爆)は(爆笑)の意味だったんだけど、インタネの普及と共に、いつのまにやら(自爆)って意味あいに変わってきたんですな。「火暴」のような倍幅表示もパソコン通信の頃は新鮮だったけど、(核爆)とかに至ってはなんつ〜〜か、日本人ならもうちょっと言葉を選べよって感じます。
とはいっても、こんなのは結局は「慣れ」なんでしょうし、自分の更新している文章を改めて読むと「やたら(笑)が多いよなぁ.....」なんて感じてしまうぐらいですから、ほぼ無意識に使っちゃうんでしょうね。IMが勝手に変換してくれるし。(全然関係無いけど、以前にも増して雑誌記事等にもこの()表記が増えましたね。昔は対談などで(笑)が末尾に付くぐらいだったけど。そのうち小説にも使われたりするのかねぇ.....)
それでもやはり、(笑)等とは違って、感情を伴わない最近の(爆)って表現には、「それさえ末尾に付けておけば何を書いても許される筈」って意識が透けて見えるようでどうにも好きに成れないんだよなぁ....。
まぁ、こんな事考えてるのは私だけでしょうけれど。(爆)←こんな感じ。(ちなみにこの更新を除き、このHome Pageには(爆)はない筈です)
「攻める!!」
奇しくも同じ事を田村さんが書いてらっしゃったので、2番煎じの感は否めないが.......。
妙見を攻めてます!、とか、随分攻めてますねぇ....とか、バイクに乗っていると聞いたり言われたりする事が多いですけど、そもそも「攻める!」ってどんな状況をいうのだろうか?なんて考えてみた。
峠などで、いわゆる「バトル状態」になることはしばしばあるけど、個人的にそのような状況で「攻めている」って感じる事は少なく、精々「頑張ってる」って感じまでしかテンションは昂まらない。それはやはり歳をとったという事の影響が大きいのだと思う。廻りの状況や、明日の仕事、そして装備面などなど。バトルしている間にもどこか頭の隅にそれらの事が残っていて、「ここから先は危険」という、ある種のラインが目の前に見えちゃうんだよなぁ。それは絶対的な速度やタコメーターの回転数、スロットルの開度などに比例する訳ではないし、天候や道路状況、既知の道か否かなどによっても変わってくるんだけど、おおよそ、自身の限界(あるいは限界と思っている)の90%程度のペースになるとそのラインはうっすらと見え始め、95%程度ではっきりと見えてくる。
が、それを超えたところに「本当のスポーツライディングの魅力」というか、知ってしまうともう戻れない密の味が隠されているんだけれど、今の俺は「公道」にそれを求めていないだけなのかも知れない。勿論、道交法を完全遵守ってペースでもないし、端から見れば無理な突っ込みや追い越しに見える事もあるだろうし、とろけたタイヤを見て、「えげつなぁ......」っと感じる人も居るのかも知れないけれど。
俺が考える「攻める」って状況は、6月20日付けで書いている通り、「110%」に挑戦している状況なんだと思う。本人にとって未知の領域であるからして、何が起こっても不思議でない状況。「生きている」って感覚が研ぎすまされ、「暮らす」なんて生温い世界から離れ、完全に「個」に戻り、全能力をライディングのみに使っている状況。
さすがにこれを公道では出来ない。少なくとも、俺は。
昨日はφさんところのFunoさん主催の我楽多ツーリング(大台ケ原編)でした。総勢10人に及ぶマスツーリングは結構久々...というか、ひょっとして初めてかも。まぁ、レポのほうは追ってこちらに書きますが、なかなかハイペースで楽しいツーリングでした。乗車暦が比較的長い人たちとのツーリングは楽でいいですね。一度はぐれてしまいましたが.....(ごめんなさい)
で、食事休憩中の会話で、
「たつをさん、今日のツーリングの為に何かしてきましたか?」っとのjunさんの問いに上手く答えられなかったのでここにこっそり書いておきます。いや、メンテなんかは日常的にやっているので特別な事は何もしてなかったのですが、実は...........。
『勝負パンツ』を履いていました。(笑)
私は普段、いわゆる「トランクス」を愛用しているのですが、サーキットやジムなど、革装備&本気で攻める場合には「ブリーフ+スパッツ」というアンダーを「勝負パンツ」にしています。ナニがブラブラすると攻める気にならないのです。(笑)
事前に結構ハイペースになる予感はしていたのだけど、革はさすがに着てゆくつもりにならなかったし、革+フルフェイスだと私の事だからマジで攻めちゃうのでジェット+ジーンズ+ジャケットの軽装備(一応ツーリングだしね)でまとめたのですが、実は下着だけは臨戦体制の「本気モード」だったって事ですかね。(^^ゞ
その甲斐あって、途中スイッチが入ってしまいましたが。(笑)あれぐらいのペースが一番楽しいです、ハイ。路面温度も高く、グリップも上々で、いい感じでリアタイヤがとろけてましたし。
皆さんのペースもだいたい把握できたので次回が楽しみです。
眠れないので小ネタでも。
「4スト」「2スト」、あるいは「4サイクル」「2サイクル」。代表的な二輪のエンジン形式にはこの2種類があげられますが、一体どちらが正しい表現なのか?あなた、知ってます?
正解は.......。どちらも正しい。(笑)
いや、正確な表現だと、「4ストローク/サイクル」「2ストローク/サイクル」ってことになるのかな?
サイクル(cycle)の和訳は「周期」となり、「あるものの状態が一定の変化を経過した後,再び元の状態に戻ること」という意味あいになります。対してストローク(stroke)のほうは和訳が難しいのですが、「ひと動き、ひと振り、一打」ってなニュアンスです。バイクのエンジン型式で言うところのストロークはピストンの上下運動で、上から下、あるいは下から上で「1ストローク」と数えるんだそうで。外人の考える事は良く分からんね。(笑)日本人的な発想ならクランク角を基準とした「2回転/サイクル」「1回転/サイクル」の方がピンと来るような気がします。ってそんな事考えるのは俺だけか??
"Sorry. This page is Japanese only."
なぁんて断わり書きがTop Pageに掲げられているWebは多いし、うちのindex.htmに至っては不馴れなEnglishのみで「日本語(2バイトコード)」すら無い始末。正直、屈辱的な気分ではあるのですが、Webってやつは今までのメディアとちがって国境に代表される垣根が無いので、どこの誰がどういうルートでやってくるか分からんので、それなりの配慮って奴です。せめてトップページぐらいは文字化け無しで見てもらいたいしね。
けどほんと、「インターネット」って凄いよねぇ。WWWだけを考えてもそうなんだけど、HTMLというか、リンクという概念というか。ほんの少し前までなら「参考文献」や「引用」的な手法でしか引けなかった「他人の知識」が、クリックひとつで「原典そのもの」にアクセスできる。まぁもちろん、その「原典」がWebにUpされていないと不可能なんだけど。
元は軍事目的ネットワークだったらしいんだけど、その後、学術研究ネットとなり、商用ネットとも繋がって現在に至る。俺はアメリカ合衆国という国があんまり好きでは無いんだけど、「好きでは無い」ってことは少なくとも意識しているって事で、ある種の「価値観」を提供し続ける力があるって事は認めています。
特に「インターネット」の成立/発展の背景にある、「人の良心を信じています」的な、ある意味「性善説」に則った思想には正直、「こいつらにはかなわんなぁ.......」っとさえ思ってしまいます。C言語やUNIXにしてもそうだよね。
反面、MSに代表されるような、全てのコンピュータリソースを自社独占する事が使命のような価値観の会社が同じ国から出てくるところが「面白い国だなぁ.....」とも思いますが。(笑)あ、MSを揶揄するつもりは無く、実際現在使っているWWWブラウザはIEの4.5 for Macintoshです。導入にあたってはかなり悩んだんだけど、やっぱ、「良い物は良い」って判断が出来なくなるのも困りものだしね。
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