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〜'01.09.30までのSilly Talk

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【01.09.29】

 老い

 たくさんの暖かいお見舞いを頂戴しながら、事故のその後の経緯をきちんと書けなくて申し訳ない。事故状況をあそこまで詳細に書きながら今さらの感があるのだが、やっぱ、誰が見ているか分からないネットであるが故、きっちりとカタが付くまでは詳細は書けないし、また、具体的な示談内容まで書くつもりは毛頭ない。ただ、

>>ケガの回復状況の更新くらいは あってもいいと思いますよー

との声も頂いたので(私信の無断引用申し訳ない)、それとからめて少しだけ。

 幸か不幸か、約20年に渡る二輪乗車暦がある私は、これまで人が絡むいわゆる人身事故を1回、相手が車の物損事故が1回、飛び出してきた相手を避けきれなかった自爆事故が1回と、公道で比較的大きな交通事故を3回起こしている。最後の交通事故は今から14年前なので今回の事故はほんと久しぶりではあるのだが、モータースポーツを始めてからは公道での事故は皆無になったがコース上での転倒がそれこそ数えられないぐらいに増えた。14年前の事故では右の鎖骨を骨折した。ぽっきり折れたその鎖骨は僅か1ヶ月で日常生活に不便ない程度にくっついた。5年前、競技ジムカーナを引退するきっかけとなった左鎖骨の骨折はくっつくのに3ヶ月かかった。そして、右鎖骨は2年ほどで骨折部位が判らくなるほどに回復したのに比べ、左鎖骨の骨折部位は未だに盛り上がったママであり、左右の肩の高さは未だに違うし、冬になると痛む。勿論、同じ鎖骨骨折とはいえ折れ方は全く同じではない故、単純な比較は出来ないにせよ、怪我の回復力が大幅に低下している事を思い知らされたものだ。そして今回の事故。幸いにして骨折もなく、医者の診断は全治1週間の打撲。事故当初、私自身の判断もその程度だった。3日で痛さを堪えながらも歩ける。1週間で普通に歩ける。競技での転倒を通じて、あるいは過去の事故経験を通じて、私は自分の身体の状態をそのように判断した。ところが....だ。

 実際には5日目までは満足に歩けなかった。1週間目にしてようやく多少足を引きずって歩けるようになった。10日ほど経って足を引きずる事は無くなったが階段をおりる事はまだ辛かった。(嘘ついててゴメンネ>某氏 ま、許せ)で、今日現在、痛みは殆ど無いし、走る事も出来るし、階段の昇り降りもこなせるし、ツーリングにも普通に行ける。が、このところ気温が下がってきた為か、足が痺れるような違和感が抜けない。ま、きっと私にしか分からないだろうし、その事で示談が長引いている訳ではない(一応、7日で完治した事になってる)のだが。ま、なにも近況報告をする事がこの文章のメインの目的ではないし、同情を引くつもりも無いので私の身体の状態についてはこれ位にしておくが、要するに、

 「俺はきちんと自分自身の身体の老いに対峙していない」

という事が、今回の事故で改めて露呈したのだ。確かにここ数年、大きな転倒は無かった。事故も無かった。が、5年前、当時の骨折の回復状況から痛感した「老い」が、1日として休む事なく進行している事をすっかり忘れてしまっていたのだ。1週間で治る。確かに今回程度の怪我は、5年前なら1週間で治っていただろう。だが現実には.....。もうすぐ1月になるというのに未だ左足の違和感が消えない。

 必要以上に年齢を意識する必要は無いと思うが、「今」の自分の身体の状態をきちんと把握できていない状態でバイクに乗るのは危険だ。走行ペースや休憩回数などに代表される体力的な側面はもちろんの事、反応速度や同体視力などの反射神経など。1年前の私は今の私では無い。極論すれば昨日の私と今日の私も同じでは無い。その小さなズレをきちんと修正し、自分の持つイメージと実際の自分自身とのズレを最小限にとどめる。その必要性を改めて感じる。残念だけれど老いは避けられない。ならばそれにきちんと対峙して生きていきたいと思う。

 「昔は俺も速かった....」なんて格好悪いし、それになにより、いつまでもバイクには乗り続けていたいからね。 


【01.09.27】

 維持と中古車

 先日のひっそりオフで、久々にM氏のR1100Kに乗せていただいた。私のR750LもM氏のR1100Kと同じく10年選手であるのだが、排気量差を考えてもエンジンコンディションに雲泥の差がある事に改めて驚く。私のRのメカノイズの大きさは以前から気になっている部分なのだが、それ以外にも全体的なレスポンスや振動など、M氏のRは非常に「シルキー」であるのだ。最近は測っていないのでデータでは証明できないのだが、自分の感覚を信じるのなら、ピークでのパワーは昨年パワーチェックした時と遜色ないぐらい出ていると思う(きちんと6速レッド迄回るし)のだが、この2つのエンジンを比較すると明らかにM氏のエンジンは「アタリ」で私のは「ハズレ」だ。もっとも、違いが顕著にあらわれたのはエンジンだけであって、足周りなどは大きな違いはなかった。まぁ、人のバイクで限界まで攻める訳にもいかないので、所詮公道でのちょっとハイペースな状況下でのインプレなのだが。

 エンジン以外のメンテナンスメニューは頻度の違いこそあれほぼ同じで、

などをこの2年ほどの間にどちらも実施しているので、フレームがほぼ共通な故か、乗り味が殆ど同じ印象なのもうなずける話ではある。

 バイク初心者のバイク選びに際して、よく言われるのは

の2つのスタンスだ。どちらもそれなりに説得力がある言葉であり、意図するところも理解出来るのだが、一般論で言えば、私なら迷わず後者を推奨する。ま、免許取得費用等も考えると予算にそれほど余裕があるケースは少なく、新車を選択肢に残せる人は多くないのだろうが。

 私が新車をすすめるのにはいろいろ理由があるのだが、なにも「保証がある」からだけではない。中古車を「維持」する事にどれだけ手間も金もかかるかを知っているからだ。バイクを所有する喜びには様々なものがあるが、外装の傷などは別にして、やはり「走ってナンボ」だと私は思うのだが、同じ「走る」にしても、なんとか動くというレベルから絶好調まで実に様々なものがある。その違いを感じ取る事の難しさに加え、仮に不具合を感じ取ったにせよ、一部だけを修理しても全体のレベルが底上げされるケースはマレで、かえってバランスが崩れてしまうケースも非常に多い。駆動系なら駆動系、足周りなら足周り、それらは全体としてメンテナンスすべきであって、スプロケットが減ったからそれだけ交換してハイOKっとなる物でもないし、仮に足周り全てがリフレッシュされても今度はエンジンや電装系に不満が出るなんてこともザラだ。そんな事を考えると、本気でリフレッシュしようと思えば、中古車の価格と同じぐらいの費用が維持にはかかるし、なにより時間と手間が馬鹿にならない。せっかく買ったのに修理で乗れない時間が長いのは、「いじる事も楽しみの1つ」と思えなければとてもストレスが溜まるものだ。

 維持する事もバイクの楽しみの1つ。そんなスタンスで私なんぞはバイクと関わっているのだが、やっぱりバイクの楽しみの基本は「走ってナンボ」な訳で、免許取得したばかりならなおさら、走る楽しさだけに専念してもらいたいと思ったりする。あてもなくそこら中を走り回る事こそバイクの楽しさの原点だ。それにはやっぱり新車をチョイスするのが一番だと思うし、維持の楽しみなんて歳喰ってからも出来る。言い換えればある程度のキャリアがないと維持/メンテナンスの楽しみは理解できないっと私は思うのだ。それに、全てが新品の「ゼロ」の状態から乗りはじめられるという事は、オイル交換に始まる全ての基本的メンテナンスの効果を一番効果的に体感出来るし、各種O/Hの履歴管理も非常に楽である。

 距離計が信用できない中古車は未だに沢山あるし、仮にそれが正確でも、オイルやプラグ、エアクリーナやブレーキオイルの交換頻度までは分からない。中古車購入時にそれら全てを新品にして納車してもらっても足周りや駆動系には不安が残るものだ。が、ここに切実なジレンマの種が隠されている訳で、新車チョイスがベストと分かっていても、少なくとも私には現行販売されている新車に魅力を感じる事が.....殆どないんだよなぁ。(笑)

 確かに、ちょいと乗ってみたいと感じるバイクはF4Sを筆頭にそこそこの台数はあるのだが、所有欲まで掻き立てられるバイクはやはりあの輝ける80年代後半の国産レプリカになってしまうのだ。そんな人、案外多いんじゃないかな。まぁ、「レプリカ」という言葉が示すように、当時のレーサーのコピーであったりベース車両であるので、ライポジや乗り味など、決して「乗り易い」類いのバイクではない訳で、1台目のバイクにはとてもお勧め出来る代物ではないし、ツーリングに代表される、バイクを道具として使う楽しみの基本を味わうには不利なバイクではあるのだが。

 いずれにせよ、みなさんのモーターサイクルライフが幸せなものでありますように。 


【01.09.22】

 朝なんて...

 来なければイイのにっと久々に思った。この世に生まれてからざっと13000回以上も俺は朝を迎えた事になるのだが、自分の事以外でそんな思いを抱いたのは初めてかもしれない。

 日付けがかわる頃、仕事を終えた某氏と落ち合い、24時間のファミレスで食事。帰宅して今彼が抱えている作業を見守る。いや、見守る事しか出来なかった。彼の作業が一段落したのち、彼には出来ない作業を俺が引き受ける。その間に入浴を勧めたのだが、ベットに倒れこんだ彼はスイッチを切ったように眠りに落ちた。時刻は午前2時30分。彼を起こさぬように気をつけながら依頼された作業をこなす。大きな音が出る作業ではないのだが、寝返りを打たれる度にドキっとしてしまうので後半はトイレにこもって作業。それほどはかどったとは思えないが、終わった頃には白々と夜が明けていた。スーツ姿のまま眠っている彼を起こそうか迷ったが、結局そのまま寝かせておく。が、俺の眠るスペースはない。彼の起床時間までぼんやりと過ごす。

 目覚ましが鳴る。彼は起きない。一旦とめるが、また鳴りだす。彼は起きない。ステレオが鳴りだしたところでようやく彼の目があいた。俺は今日は休みだ。が、彼にはこれからいつもの激務が待っている。彼は言う。

 「5時間も寝たから体調はバッチリ。俺はまだまだ若いんだから心配しなくてイイ」

 だが俺は知っている。持病に加え、気遣いが多い上に立ちっぱなしでの長時間労働、そして連日の睡眠不足で彼の体調が最悪な事を。命を削る。まさにそんな感じで彼は「今」を生きている。俺は彼を見守る事しか出来ないし、彼もまた、それ以上の事はかえって迷惑に感じるだろう。

 だが、朝さえ来なければ、1日が始まりさえしなければ....。

 ほんと、ご自愛下さい。  


【01.09.19】

 友達と知り合い

 ちょいと考え込む事があったので。

 友達と知り合いの境目ってどの辺りにあるんでしょうね。会う頻度なのか、話の内容なのか.....(困) こうやってサイトなんか作ってると色んな人からメールを貰ったりBBSでやりとりがあったりするし、スクール関連でもどんどん知り合いは増える。何もバイクに限らず、職場関連でも同じような事は何度も起きるし、旅先でもちょいとした出逢いがあったりもする。

 けど、知り合いから踏み込んで、友達として付き合いが始まるかどうかは結構微妙なのです>私の場合

 このサイトに限っていえば、「お友だち募集、仲良くなって下さい」って方針では運営していないので、BBSに於いてもある程度距離感を保っているつもりですし、また、実際にお会いした人と、まだお会いした事のない人の扱いに出来るだけ差を付けないように心掛けてもいるつもりです。ま、これは個人的な運営方針なので「暖かさが感じられない」っと批判されてもどうってことはないんですがね。けど、そんな中でも、なんというか、シンパシーを感じた人には自然と親切になっちゃう傾向は否めませんけども。(笑)

 でだ。考え込んでいるのは別にサイトの運営方針とかではなくって、「友達」って言葉に付いてなんですよね。なんかこういった単純な言葉ほど、その意味するものは人それぞれになっちゃうので、結局「言葉遊び」にしかならない事も多いんですけど、なんつ〜か、「友達なんだから〜」って表現である種の価値観を押し付けられたり、頼み事をされると、非常に辟易するというか、なまじ知り合いなだけに却って扱いに苦慮するというか....(困) そして、多くの場合、そういう表現を使う相手を、こっちは「知り合い」としか思ってないケースが多いんですよね。ま、その種のトラブルの多くは相手が外人の場合なんだけどさ。(笑) なんていうかなぁ....。距離感を保つのに苦労しちゃうんだよね。Top Page、日本語に戻そうかなぁ....。(悩)

 醜くて嫌らしい表現になるけど、いわゆる「友達」にも、知り合いに限り無く近い人から親友まで、様々なグレードがある訳で、会う頻度もバラバラだし、全ての友達に対して平等に付き合ってますなんて俺はとても言えない。けど、それは哀しい事でもなんでもなくって、なんというか、役割が違うんだよね。それぞれの友達は「代わり」なんて有り得ないスペシャルな存在なんだけど、ある事象に対してA氏の意見やアドバイスは全く無力であったり、反対に、別な事象に関してはA氏の存在は絶大だったりする訳だ。だもんだから、こっちが想定している役割を飛び越えた行動を取られる、ありがた迷惑な事が時々起こります。ま、本当に仲がイイ友達だとまず起こらないんですけどね。

 全人格を通して付き合う事こそ「友達」だ....なんて思ってた事もあったけど、そういう付き合いが出来る人数はやっぱ限られる訳だし、なんというか、そういう存在には「成りたい」なんて一方的に思っても成れるもんじゃないでしょ。相手の気持ちもあるんだしさ。

 ま、もちっと考えて下さいな。>Andre ←日本語で書いたって通じる訳がないか。(笑)I was a bit suspicious.... なんて言うなよ(泣) 


【01.09.18】

 見える景色

 私がバイクに乗り始めてからかれこれ20年が経過した。事故や転倒、整備に改造、ツーリングにスポーツ走行などなど。色んな事をバイクを通して経験してきた訳だが、同じような状況に遭遇した時、見える景色はその都度違うように思う。免許を取り立てだった頃、バイクの仕組みなんて全く分からず、見えていたのは単なる「フォルム」だった。雑誌なんかを漁りはじめると今度は新しいメカニズムにしか目が行かなくなった。それを過ぎるとさらに細かい事、例えばアクスルが中空かどうかとか、前後輪の重量配分だとか、ホイールのリムサイズだとか、スイングアームの角度だとか。

 そういった「見える景色」の変化を「成長」のように思っていた事も一時期あったんだけど、裏を返せば、こういう事なんだよね。

 「昔には戻れない」

 スクールなどを通じていわゆる「キャリアの少ない」ライダーさん達と話をする機会も随分と増えたのだけれど、今の私から見ればつまらない失敗や悩み、そしてこだわり。「若いよなぁ〜〜」なんて感心する反面、とっても羨ましく感じる事も多い。

 どうか、今を精一杯楽しんで下さいな。その景色は今しか決して見る事は出来ないんだから....ね。


【01.09.16】

 押しがけ

 ↓で書いた翌朝に......(泣)

 某所で目覚め、某氏を送りだし、ヤボ用を済ませて某所をあとにしたのが午前11時過ぎ。(どうでもイイけど「某」ばっかだな(笑)) その足で銀行に寄ってSBSに向かうついでにバッテリー交換をなんて目論見だったのだがあっさりと崩れる。実は昨夜5Kmほど走ったのでなんとか1回ぐらいはセルは回るだろうと思っていたのだが、痛恨の始動ミス(チョークを引くのを忘れた)で敢え無くバッテリーはお亡くなりになってしまった。インジケータやウィンカーを点す程度の余力はあるんだけど、冷えたエンジンオイルに打ち勝つ力はもはや残されていないようだ。今までありがとね。

 この段階ではまだ「押しがけすりゃイイや」なんて、かなりお気楽に考えていたんだけれど、良く考えれば左足の打撲がまだ完治していない事に気付く。(泣)痛みをおして押し始めたはイイが、今度はシングルシートに変えている為に、痛んだ足では上手く飛び乗る事が出来ない。とほほ....。振り上げた右足を何度かシングルシートにぶつけながら飛び乗った頃には車速は落ちて空しくリアはロックするのみ。う〜〜〜〜〜〜。2スト250なら2歩でエンジンがかかるのにぃ〜〜〜(羨) あ、殆どがセルなんて付いて無いか。(笑)

 このチャレンジでかなり痛み始めた左足を引きずるようにして、結局約1Km程、ホームセンターコーナンを目指して押しました。奴に押せて俺に押せない訳が無い。(謎←この書き方はあんまり好きじゃ無いのだが、ま、今回は特別に)登り坂が無かっただけ押し歩くのは楽だったのかもね。

 今回はいつも行くコーナンとは違う店鋪だったので、バイク用のバッテリーを在庫しているか辿り着くまで不安だったんですが、なんとか無事確保。店先で電解液を注入し、ブクブク泡立つバッテリーを入れ替え。「即用式」との表記を信じて祈るようにセルを押すと「ジョン!!」っと元気にセルは回り、無事にエンジンはかかりました。はぁぁ。古いバッテリーは店に引き取ってもらい、補充電を兼ねて新御堂を4速巡航で北上。

 いやぁ、始動性も勿論なんですが、やっぱ、元気なバッテリーは高回転でのパンチが違いますな。低回転では殆ど違いは分からないんだけど、こんなにイイ感じならギリギリまで延命させずにもっと早く交換すれば良かったなぁなどと思うことしきり。けどまぁ、私が使い始めてかれこれ2年と4ヶ月、それ以前にどれだけの期間使われていたのか不明なバッテリーにしては長く持ったのではないかと思います。やっぱマメに乗る&補水は大事ですね。

 しかしまぁ、バッテリー買えるだけの現金を持ってて良かった。(笑)(店を出たら所持金が1円になった。(笑)バッテリーの店頭価格が8580円。財布には9000円あったので自信もってレジへ行ったら表示は9008円....。必死でポケットから10円を探しましたとさ。社会人になって最も心細かった瞬間かも(笑) 消費税の馬鹿野郎〜〜!) 

 .......いかん、こりゃMy GSX-Rの更新ネタだったな。←使いまわし決定(笑)


【01.09.15】

 雑記

 示談交渉が少し長引いているので更新はまだお休みです。今週中には終わらせたかったんですが、1週間ほど伸びそうです。う〜〜ん。身体もかなり回復してきたし、さっさとケリつけてスッキリとした気分で秋を満喫したいのだが....(困)

 忘れるといけないので、一応更新予告....というか、備忘録(死語)ですな。

って感じです。

 世界中を震撼させているアメリカへの大規模テロへの私の所感は.....まだきちんと文字に出来るほど情報を集めてないので今のところUPするのを保留してます。


【01.09.08】

 防衛運転

 事故後3日が経過した昨日、相手方と会合を持った。事故当日に口頭で交わした全額弁済の約束を法的に有効な念書として作成する為だ。3日ぶりに会う相手方は事故当日よりも少し痩せて見えた。ま、これは俺も同じか。(笑)満足には歩けないし、生憎の雨だったのでこちらまで出向いてもらったのだが、車で来ると思ってたら電車だった。やっぱ、今は車は運転したくないらしい。ま、当然だわな。

 明細は私も見ていないので不明だが、バイク屋から連絡があったざっくりした金額を相手方に伝え、念書を作成。内容は、

  1. バイクの所有者は善意の第三者で、この事故には無関係
  2. 俺は相手方の車を修理する義務はない
  3. 相手方はバイクの現状復帰にかかる金額の全額を負担する
  4. 3については別途示談書を交わす

の4項目。たいして揉める事なく話が進んだのは、相手が100%の非を認めている事の他に、様々な裏事情があるのだが、まぁ、あえて書くほどの事はあるまい。事故当初、相手が自賠責しか入ってなかった事にかなり驚いたが、今のところ、その件がネックになっている事はない。

 事故から日を置かずに会合を持ったのは、交通事故に限らず、人の気持ちのうつろい易さを経験的に知っているからだ。その日、その時、何が起こったのかを一番良く知っているのは当事者しかいない。が、うちのBBSでもそうだが、何か事が起これば様々な人がお見舞いしてくれるし、色んなアドバイスや助言も頂く。俺の周りに居る人が俺に同情的であるのと同じように、相手方にもまた、そのような人が沢山居て当然だし、気持ち的にも助けられているはずだ。すると、事故直後の生々しい記憶が次第に自分に有利なように無意識のうちに修正されてしまうのだ。「私が悪かった」から、「運が悪かった」へと。哀しい事だが、それが「人間」だ。

 その記憶が薄れぬうちに、上記2点を確認し、とりあえず全額弁済の念書をとれた事で事故処理は少し進んだ。後は最終的な金額が入った示談書を交わし、俺の怪我の示談をすれば今回の事故はひとまず決着となる。早ければ来週の半ばぐらいには終わるだろう。急いでいる訳ではないが、長引くのはごめんだ。

 が、壊れたバイク、そして、バイクの持ち主との人間関係の修復は....これからまだまだ時間がかかる。起きてしまった事故はどうしようもない。ならばあの日、事故を起こさず、「ありがと。楽しいバイクだね」っと笑顔で返却出来た以上の関係を、この事故をきっかけに築いてゆくのが俺の義務だ。不謹慎ではあるが、それはある意味、楽しみでさえあると今の俺は思っている。

 だけど。そう思えるのも生きていていればこそ。あの瞬間、地蔵となり、左折動作のままバイクを進めていれば横っ腹に突っ込まれ、車の下敷きになっていても不思議ではない状況だった。多少なりとも切り返し動作が出来た事が、こうして下らん更新が出来る事に繋がっているのだが、そうした回避動作云々は置いておいて、やっぱ、俺は思うのよ。

ってね。

って事なんですから。そこまで思いを巡らすのは馬鹿げた事なのかもしれない。が、法的には何も落ち度がない運転であったにせよ、バイクに乗り続ける事を、生き残る事を、そして誰も哀しませない事を最優先させるのであれば。俺はまだまだ未熟で下手くそなライダーなんだなと改めて反省しています。公道における防衛運転はほんと、難しい。

 どうか皆様も、より一層の防衛運転をお願いします。  


【01.09.04】

 交通事故

 What's Newでも書きましたが、本日午後0時10分頃、交通事故を起こしました。っつ〜か、貰っちゃいましたってのが正しい表現のような気もするのですが....。ま、自分への戒めって意味もあるので、ちゃんと文字に残しておきます。

 事故の状況は下図の通り。

 変則的な交差点(長柄橋北詰。上が十三方面、左が天六方面です)なのですが、赤色が私(バイク)、青色が相手の乗用車です。共に前方が青なので交差点に進入。進入時に相手が左折のウィンカーを点けているところは確認しました。つまり、私の方が後に交差点に進入してます。相手方は左折専用レーンなので気にせずシフトダウンしながらこちらも左折開始。青の左折専用レーンから左折後に中央線寄りにまでふくれてくる車はかなり多いのでいつも気をつけてはいるのですが、まさか「気がかわって(本人談)」直進されてはこちらは避けようがありません。(泣)左ハンドルということもあり、相手は「全く」ノーケアだったそうです。>右側

 「あれ、なんかぐんぐん車がこっちに来るんですが??」

 「グワシャ!!」

でした。後続車に曳かれなくてホンマ、よかったっす。(恐)

 こちらに落ち度は何もないとはいえ、事故とは嫌なものです。交差点のど真ん中で寝転がってるバイクと私を居合わせたピザ屋の兄ちゃんとドライバーが助けてくれ、歩道までバイクを移動させてくれました。私は左脚打撲でその時は歩けず。けど、永年の転倒経験から折れてない事は判断出来たので、救急車の要請を断り、自分の携帯で110番。便利だなぁと実感。

 なんだか警察が来るのが遅く、現場検証が本格的に始まったのは通報後1時間余りが経過した午後1時20分頃でした。私への事情聴取は一切なく、担当警察官は相手方からだけ話を聞いてました。曰く、「これは加害者を罰する為に取っている調書です。被害者のあなたを聴取する必要はありません。何の落ち度もないのは明らかなのですから」だそうな。ま、そうだわな。

 相手の車に同乗して病院で診察/レントゲン撮影/診断書を作成して今度は警察署に出頭。この時点で午後3時過ぎ。こっちは借り物のバイクで車検証の所在不明、相手は自賠責のみ加入っと非常に揉めそうな状況だったのですが、とりあえず今日のところは「全額弁済」で話がついてます。が、現場に戻り、エンジンがかかった事を幸いに持ち主の行きつけのバイク屋まで自走したのですが、細部点検でハンドルストッパーが飛んでる事が発覚。まともに見積もり取ったら新車が買えちゃうかも。(汗)

 これが自分の愛車なら事故成金的な考えも浮かぶのですが、人のバイク、しかもどれだけ愛情と情熱を注いでいるかを良く知っている人のバイクであるだけに.....。はぁぁぁ.....(ため息)

 長い入院からやっとバイクが帰ってきたばかりなのに....ごめんね、某氏。


【01.08.26】

 脱水症状

 お盆も過ぎて夏ももう終わりかな....などと思いながらも日中はまだまだ暑いですな。そんな中、昨日/今日とセントラルサーキットにてホットハートランが行なわれ、私はライディングスクールのインストラクターとして参加してきました。西宮名塩SAでCBR929RRのU氏と待ち合わせののち、とても人に言えないようなアベレージで滝野社ICを目指す。(笑)それにしてもジーパン/ジェットヘルという出立ちで飛ばすのはかなり恐い。そしてなにより、バイクの挙動がおかしい。ギャップを越えた時の収束がかなり遅く、後ろで見ていたU氏は

 「うわぁ〜〜〜〜。バイクってあんなふうに振れるのね........」

 だそうで。(泣)こりゃ根本的にセッティングを見直さにゃならんだろう。(作業は本日かなり進んだので、レポはまた後日に表側にでも)

 そんなこんなで予定より5分遅れの午前6時35分にセントラルサーキットに到着。今回はサーキット内ではなく、サーキット下の駐車場を利用してのスクール開講なので、日陰がなく、生徒さんも、そして私もかなりヘトヘトになってしまった。コンビニで買い込んでいた2Lのお茶も僅か3時間ほどでからっぽ。これだけ水分を採ってもトイレに行きたくなったりすることはなかったので、全て汗に消えたんだろう。ゲロゲロ。

 なんたって一番驚いたのは、バイクを停めてアドバイス中にタンクに水滴が落ちてきたので「あれ?雨か?」などと天を仰いだのだが、その水滴の正体はヘルメットの頬パッドから溢れ出た汗だった事。ひぇぇ〜〜〜〜。スクール終了後、着替えの為に脱いだ長袖モトジャージを絞るとドボドボと汗が....。

 食欲も減退し、すっかり脱水症状な一日でしたとさ。 


【01.08.16】

 ネットでの商売

 お盆休みはいかがでしたか? 私は久しぶりにセッションの為にスタジオに入り、音楽三昧....とはいってもメンバー誰もがやっつけコピーなので出てきた音は....。(恥)録音してなくて良かった。(笑)

 ま、それはまぁ置いておいて、いつものごとく、終了後は飲み会。夕方のかなり早い時間からだらだらと居酒屋で飲んでいた訳だが、今回集まった6人も遂に全員ネットにつながっている事に気付く。ま、サイトを運営しているのは私以外にもう一人しか居ないのだけれど、それにしたって昭和40年代世代の「おやじ」どもが、会社のPCではなく、個人のパソコン(6人中4人がMacintoshだ)を持っているという事実には改めて驚いた。ついこないだまではパソコンなんて「オタク」っぽいイメージがあったように思うのだけれど、大阪は日本橋(どうでもイイが、いつの間にかパソコンの街になっちゃったな、ここも)に溢れる人達も、いわゆる「普通」の人が占める割合いが高くなったし、なんだかんだ言ってもマイクロソフトウィンドウズが果たした役割ってのは大きかったんだろうね。(ま、いいかげん、そろそろ役目を終えて欲しいが(笑))

 で、ここまでパソコンが普及し、比例してネット環境/インフラが整備されてくると、これをただ単に「便利」の延長線だけで使うのは勿体無い事ではないかと思ったりもした。ま、ネットの使い方なんてまさに人それぞれなので私なんぞがとやかく言うのもはばかられるが、その一歩を越えるか越えないかで見える景色は全然違うものになるのになぁ...などと話をしながら思った。ネットはある意味においてテレビに似ているところがあると思う。特にウェブサイトはそうだ。受け取るだけのネット生活であれば、ネットサーフィン(死語)は無数にあるテレビのチャンネルを切り替える作業に過ぎない。事実、私もニュース系のサイトはそのようなスタンスで見る事が多いし、実はこのサイトもこのSilly Talk以外はそのような需要に応える事を目的として作っている。特定の話題に特化したサイトであるればあるほど、受け取る側は利用しやすいだろうと思っているからだ。

 アクセス数に全く興味がないなどと表明しつつも、極たまにこっそりとアクセス統計を取る事がある。8月頭のこのサイトのトップページの平均アクセス数はだいたい100件/日。たいした更新もしていない筈なのだが、ちょいとプレシャーを感じる数字ではある。で、その話を居酒屋でした時に、その100件を商売に結び付けないのは何故か? なんて話になった。マスを対象にしたCMが殆ど効果を上げない事に気付いたスポンサーは、より効果的な広告媒体を探しているらしい。極端な話、このサイトに来て下さるお客さんは9割方がライダーさんであろう。世話になっているバイク屋さんだと余りにローカル過ぎて効果無いだろうけど、サーキットスクール関連でお世話になっているスポンサーさんにバナーでも入れてもらえばそれなりの反響はあるやもしれぬ。が、詳しく書くと長くなっちゃうので別のページに譲るが、私はこのサイトで商売をするつもりが全くない。

 かつてインターネットの商用利用の是非が激しく論議された事があったのだが、現状を見ていると方向はすっかり固まったようだし、また、私自身もネットで商品を購入したりする事に全く抵抗を感じて居ない。にもかかわらず自分のサイトに商売を持ち込まないのは、何の制約も受けず、好きな事を好きなように書ける場所としてこのサイトを位置付けたいという想いと、金銭には換算できない「何か」をネットを通じてやり取りしているという漠然とした、だが、確かな実感を持っているからだと思う。金銭に換算できない「物」の存在なんて、資本主義経済の否定に繋がりそうだが、実際、その傾向は至る所に見受けられる。個人総合サイトなどはその筆頭だし、各種オークションの賑わいも、(商売人が居る事は否定しないが)底辺を支えているのは「物のやり取り自体」に価値観を見い出す人達の存在だと思う。社会への貢献....なんて書いてしまうと大袈裟になってしまうが、自分の出来る事を、自分の出来る範囲で。ボランティアとはほんの少しニュアンスが違うが、直接手を差し伸べる勇気を持たなくても、自分の行為が誰かの役に立つ「かもしれない」って思いが、このネットを支えているのだと思う。勿論、匿名性や、技術的瑕疵を突く「悪意ある」人々の存在は無視できないものがあるが、それでも私は性善説の立場でネットに向かい合っている。

 こんなサイトを見つけてしまうと、私に出来る事って本当にこれが限界なのか? ....なんて思っちゃうよね。


【01.08.14】

 光復節

 明日は8月15日。いわゆる「お盆」と時期が重なるのはまさに偶然としかいいようがないが、この日付けで何か文章を書こうとすると、やっぱ避けられないのが先の大戦での敗北である。一般にこの日は「終戦記念日」と呼ばれているが、俺自身はこの「記念」という響きになにやら欺瞞的な匂いを感じる。「敗戦の日」、「降伏の日」のほうがピントがぼけずにいいのではないかとも思うね。海を隔てた隣国、韓国ではこの日は「光復節(独立記念日)」とされている。日韓併合は侵略ではなかったなんて新しい歴史教科書には書いてあるらしいけど、日本人なら光復節という文字からアメリカの独立記念日とはまた違ったニュアンスを読み取れるはずだ。

 1945年8月15日正午。ラジオから君が代のレコードが流れたのちに、「朕深く世界の大勢と帝国の現状に鑑み非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、故に忠良なる爾臣民に告ぐ。朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり....」で始まる昭和天皇の肉声(玉音放送)が流れた。今でこそ考えられないが、天皇の肉声を、当時の日本国民(臣民が正しい)は直接聞く事など有り得なかったのだ。

 その日から56年が過ぎた。大日本帝国は日本国となり、臣民は国民となった。が、この国の主たる為政者の考えは何も変わっていないのではないかと思うことが余りにも多い。国旗国歌法や盗聴法のなし崩し的な裁決あたりまで時は遡るが、ここ3〜4年で、敗戦後、時の為政者達が制定したくても出来なかった様々な法律が、連立政権という責任の所在が曖昧な政権の元で次々に制定されていった。俺は現首相の靖国に対する思いを否定する立場ではない。だが、命は戻らぬにせよ、一定期間以上従事した職業軍人やその遺族には恩給という形で保障がなされてきた(今も恩給の給付は続いている)。戦地で散ろうが、焼夷弾で焼かれようが、命は等価であってしかるべきだと俺は思う。が、2度の原爆投下で、B-29による大空襲で亡くなった多くの非戦闘員が失った命、私有財産についてはなんの保障もありはしないのだ。

 少し前、ゼネレーションなんて話を書いたが、10年、20年なんて短い単位ではなく、大きな時代の流れとして、世界を取り巻くゼネレーショントレンドは確実にある。ある時代、帝国主義は悪ではなかった。奴隷貿易は、人身売買は悪ではなかった。が、それら世界的トレンドが全盛だった時代、日本は鎖国し、江戸文化の中で浮かれていたのだ。明治政府の樹立は1868年。以降、大正/昭和の間、日清、日露、第一次世界大戦を経て先の大戦(1941)へと突入していく訳だが、その間わずか73年。どう考えたって急すぎる。あなた、そうは思いませんか?

 時代劇でお馴染みの将軍や殿様が実際に居て、洋服なんて物がなかった時代から、僅か数十年で天皇はモーニングを、あるいは軍服を着用し勲章をぶら下げ、そしていつしか神格化され、現人神となり、最後には人間宣言。

 今の為政者を見ていると「いつになったら明治帝国主義が作り上げた幻影から逃れる事ができるのか」とマジで思うよ、俺は。

 帝国主義、軍国主義は今では確実に時代遅れであり、国際社会のトレンドの主流ではない。冷戦の終結でそれはより一層鮮明になったが、ベルリンの壁の崩壊は1989年11月の出来事。もう12年も前の話だ。明治維新後133年、敗戦後56年しかまだ経っていない訳だが、そう考えるとこの12年という期間の相対的な長さは決して短くはない。植民地政策はかつてのトレンド(国際的正義)であり、今は民族自決がトレンドだ。先の大戦が「正しかったのか」あるいは「間違いであったのか」は今となってはたいして問題ではない。過去、その時代において正しかった(国際的に許された)行動も、「今」を基準にすると間違いだ。ただそれだけの事であると俺は思うし、それが正しい歴史認識というものだろう。為政者が考えるべき問題はいつだって「今」であり、「これからの国益」であるべきだ。だが、この国の為政者は、「過去においては正しかった」にこだわり続け、「今を基準にすると間違いだった」と長い間言えないでいる。その間、この国は世界を取り巻く大きな時代の流れから確実に取り残されているんだということを、もっと認識して欲しい。

 生まれる時代を選ぶ事は誰にも出来ない。だからこそ、今に生まれた、今を生きる俺にとって、この時代を護る事、懸命に生きる事は義務であるとさえ思う。今を否定することは、結局は、先の大戦で散った、様々な命をも否定することに繋がると俺は思うのだ。ヒューマニズムに裏打ちされた民主主義は長い時間と多くの命を費やして到達した人類の英知だと俺は思うが、ひょっとしたらこの国の国民性には馴染まない考え方なのかもしれないのかも?....などと感じる機会は少なくない。それほど民主主義/法律の精神/個の尊重は根付いていないのだ。国民の側に問題があるのか、為政者側に根付かせる意識がないのか、それとも、その両方なのか。

 天皇を「元首」と呼ぶ事に違和感を覚えない国会議員は日本国憲法をもっと読むべきだ。現行憲法下では日本には元首など居ない。俺は、日本国民である前に、大阪府民である前に、大阪市民である前に、佐藤家の長男である前に、「佐藤達夫という個人」だ。そう公言出来る今の世の中(と、それを支える日本国憲法と世界的トレンド)を俺は擁護するし、これからもそういう時代であって欲しいと願う。個人である前に臣民であるなんてまっぴらごめんだが、昨今の日本の情勢を見ているとそこかしこにその種の傾向が見え隠れする。いや、つい10年前までは必死で隠そうとしてきたその種の思想が、堂々と正論としてまかり通り始めている。OK。日本国憲法はあなたがそう発言する事もまた等しく保証している。が、その礎である憲法を無視し、既成事実を積み上げる事で時代を方向付けるやり方は法治国家の為政者としてあるまじき行為だし、そういった「なぁなぁ/曖昧」な行動が、国際社会からのさらなる孤立を招く。政教分離を謳った自国の憲法の条文すら遵守できない国(大喪の礼の時も国事行為と天皇家の行為を無意味な線引きで分けていた事は記憶に残っている)が国際社会から信頼などされる訳がない。靖国に参拝したいのならそれを禁じた憲法をまず変えるべきだ。自衛隊も同じ。それが「今」の国際社会におけるルールだ。何をするか分からない国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を表現する事があるが、日本だって同じじゃないのか? このままでは日本が消え失せて喜ぶ国はあっても哀しむ国はないだろう。何の知的価値観も提供する事が出来ず、エネルギーもなく、工業生産の拠点を殆ど海外に移し、食料も自給できず、バブルが弾け財布の役目すら果たせなくなったこの国に何の魅力もあるはずがない。

 なにはともあれ、戦没者の方々の眠りの安らかならん事を。あなた方の死を無駄にするのかしないのかは、今を生きる我々の責任ですから。


【01.08.13】

 キルスイッチ(その2)

 読んでももらいたい人は今PCを覗けないようなのだが、ま、構わずに続けます。(笑)

 ●夏場の信号待ち

 実はこれ、夏場に限らず案外有効です。特に身体の小さい人には必須テクかも。信号などでの停車時、左手をフリーにするには一旦ニュートラルを出さいなといけませんが、そうするためには右脚でバイクを支えないといけません。けど、キルスイッチを使えば、ギアをローに入れたままエンジンを停止する事で左手をフリーに出来ます。(ギアが入っているので)坂道でもブレーキを使わなくても停止していられますから両脚のつま先でで踏ん張る事も出来ますね。

 再発進の時には(フロントブレーキをかけながら)ギアを入れたままクラッチを握り、セルでエンジンをかければOKよん。


【01.08.12】

 キルスイッチ

 やっぱ暇なので(笑)徒然に。

 殆どのバイクに実装されているキルスイッチですが、みなさん活用してますか? 本来キルスイッチは、転倒時に素早くエンジンを止める為のものなのですが、右手の親指1本で使えるスイッチですのでもっと使わないと損な気がするのですが。

 ●夏場の信号待ち

 大きな交差点では下手すると2分ぐらい赤信号にひっかっかってしまいます。その間、延々とアイドリングするのはガソリンの無駄であるばかりで無く、熱的にもエンジンに宜しくありませんからまめにエンジンを切りましょう。メインスイッチだと右手を離さないとダメですが、キルスイッチだとエンジン停止→再始動も全て右手親指だけでできます。(セルが付いているバイク限定。なお、再始動時は若干アクセルを開け気味にするとスムースに再始動出来ます。)

 ●盗難防止

 ほんの気休めにしか成りませんが、駐車時にキルスイッチを切っておく習慣をつけると、若干でも盗難率は下がるそうです。(中学生はキルスイッチなど知らないらしい)

 ●プラグチョップ

 ま、町中では高速道路ぐらいでしか使えませんが、プラグの焼け具合を確認するのはこの方法(全開走行でキルスイッチで点火カット→クラッチを切り、惰性で停止して焼け具合を確認する)がベストです。

 ●友達同士のシグナルGPで

 隣で気負う友達のキルスイッチを信号が変わる直前に切るとパニックってくれます。(笑)

 

 ホンダの謎:「何故ホンダのバイクはキルスイッチを切ってるのにセルが回るのか」をどなたか教えて下さい。何の意味があるのだ? アフターファイヤー発射装置か?(笑) 


【01.08.10】

 お盆休み

 ここはわざわざ更新を告知するようなコンテンツでは無いのですが、表側と同じく、今日からお盆休みにさせていただきます。ま、ネタが湧いたらいつものごとく適当に雑文を書きなぐるのでしょうけど。(笑)

 ツーリングに出かけられる方々、どうか無事故無検挙で。無事帰ってきて下さいね。


【01.08.09】

 澪標

 いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、ありがとうございます、ありがとぉぉぉぉございます、本日はお暑い中にも関わりませず、当Ride on GSX-Rに御指名御来店下さいまして、店主ならびに従業員一同に成り変わりまして、一段とぉ高いマイクロフォンの上からではございますが、皆様方お一人様お一人様に厚く深く、あ、あつくふかぁ〜〜〜く御礼申し上げます、ありがとうございます、川は流れる、あなたの胸に、歌の文句じゃないけれど、ここは大阪八百八橋、パチンコの必勝法は今も昔も粘りと頑張り、どなたさまにおかれましても、お隣のお客さまにお負けになりませんように、ジャンジャンバリバリ、あ、ジャンジャンバリバリと、お出し下さいませ、お取り下さいませ、ありがとうございます、一歩家を出たからにゃ、負けられません勝つまでは、.....

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 でぇぇ〜〜い! 五月蝿ぇんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!(怒)(>_<#)

 いかん、ここも遂にネタギレか?(笑)

 パチンコ屋さんもすっかり小綺麗になっちゃって、冒頭のような館内放送を耳にする機会も皆無になっちゃいましたが、水の都とも謳われる大阪市には東京23区に負けず劣らず大小様々な橋がかかっており、市のシンボルマーク(市章)の由来にもなっています。地下鉄や市バス、道路のマンホールで大阪市内にお勤めの皆様にはお馴染みのこのマーク、「澪標(みおつくし)」といいまして、水路(澪)の要所に立っていた、道路標識のようなものを抽象化したマークだそうです。

 みお-つ-くし [0][4][3] 【澪標】

 (1)〔「澪の串」の意。後世「みおづくし」とも〕 港や河岸などで「みお(澪)」を示すために立てられた杭。近世では,澪木(ミオギ)・水尾坊木(ミオボウギ)と呼ぶ。みおじるし。みおぐい。難波(ナニワ)の澪標が有名。和歌では「身を尽くし」にかけて用いることが多い。「遠江(トオツオウミ)引佐(イナサ)細江の―我(アレ)を頼めてあさましものを/万葉 3429」

 (2)源氏物語の巻名。第一四帖。

大辞林より

 以上、大阪市に関するまめ知識?でしたとさ。(^_-)-☆石垣に住むそこのアナタ、ニヤニヤしないように。(笑)


【01.08.08】

 レースの歴史

 GSX-R BBSでのやりとりのなかで、こんな一文があった。

 >> 改めてレースの歴史を自分は知らないんだな,と思いました。

 もちろん私だって熱心なレースウォチャーではないので、何年のあのレースが....なんて話は出来ないし、実際、日本全国で開催されるレース全てを観戦する事も不可能。そしてなにもレースと呼ばれるのはロードレースだけでなく、モトクロスやトライアルだって立派なMFJ公認レースであることに違いはない。

 モータースポーツの組織化はかなり昔から行われていて、四輪の場合はJAFが、二輪の場合はMFJが日本国内の総合窓口となっており、それぞれの上位組織はFIA、FIMという組織です。日本国内のローカルルールがないとはいいませんが、JAF、MFJによる公認レースがそれなりの権威を持つのはそれが故(世界へ直結しているから)でもあります。(MCFAJ や各種草レースを否定する意図はありません)

 さて、これだけネットが普及した現在、それら国内統括団体のWebサイトがどれだけ充実しているのかとアクセスしてみたところ、JAFはかなり頑張ってる気がしますが、MFJは....。(困) ま、1年前と比べればそれなりに充実してきたともいえますが、お寒い限りです。(泣)

 私はレースを本気でやった事はありませんが、ジムカーナの大会のリザルトなどは公式記録としてWeb上に上げられ、必要であればいつでも取り出す事ができるようになっています。結果が全てとまでは言いませんが、やはり、エントラントにとって、結果は大切なものであり、また、のちになって歴史等を調べるにあたり、公式記録を調べるのに手間がかかる現状は、主催団体として怠慢というか、「本気でレースを、モータースポーツを根ざすつもりがあるのか?」なんて気持ちにもなります。

 過去は所詮過去でしかありませんが、ガチンコ騒動(結果は立派だったと思います)等も含め、どうも「今この瞬間」しか見てない気がして成らないんですね。教科書問題にまで繋げてしまうと話が飛躍し過ぎのような気もするけど、過去の事実をきちんと認識しないと、将来の展望なんて開けないとでもいうか。

 以前、伊東光夫氏の事を少し書きましたが、こういった偉大な先達を「誰も知らない状況」にしているのは一体誰なのか。

 せめて公認レースのリザルトぐらいは過去に遡って登録/公開してもらいたいものです、ハイ。 


【01.08.05】

 THINK

 今から13年前、昭和が終わり、平成が始まった年に私は大学を卒業し、とある外資系の会社に就職する事となった。当時はバブルの終焉が間近な時期で、就職事情は空前の売手市場であり、企業の接待や拘束など、今では考えられないような状況であった。

 入社式には「同期」と呼ぶべき人間が1000人近く集まった。四ッ谷のホテルの大宴会場で社長の訓辞を聞きながら、なんだか背中がうすら寒くなった事を今でも良く覚えている。結局私はこの会社を1年と少しで辞してしまうのだが、職能的な事はともかく、社是であった「THINK」という言葉は今でも大切にしている。

 振り返れば社会に出るまでの私は「覚える事」が得意な、共通一次世代特有の人間だったように思う。ゼネレーションなんて言葉は「個」を否定する「大衆」なんて言葉と同様な気がしてあまり好きではないのだが、マクロな視点で見れば、やはりその種の物は存在するように思う。学校教育、管理教育の弊害が叫ばれて久しいが、我々の世代はその種の弊害の最たる被害者であるかもしれず、校内暴力などが吹き荒れた世代でもあった。が、今では「被害」だったのではなく、時代の大きな流れに逆らう勇気がなかっただけだと思う。そう、「個」を確立する機会が私には無かったのだった。

 時代は随分と流れたが、未だに「覚える事が得意」な人は多い。雑誌を熱心に読み、知識を詰め込んだ人から色んなアドバイス(らしきもの)を貰う機会も多い。だが、それらは所詮知識であって、知恵では無い。キャンプで火を熾す事も、魚をさばく事も、キャブをセッティングする事も皆同じだ。風向きや鱗の堅さや吹けあがりは経験しないと決して分かりやしないし、そして、経験してみたところで、知識通りに物事が運ぶ事はマレだ。

 経験する事、実際にやってみる事。まずはそれが最初に越えるべきハードルだが、その次に待っているのは、何故上手く行かないのか? どうやれば上手く行くのか? を「考える」事だと私は思う。

 「何故?」を発しない人を、私はあまり好きでは無い。  


【01.08.04】

 楽しさと愉しさ

 これといって書くネタもないので徒然に。

 このSilly TalkやWhat's Newの雑文にたびたび登場する「楽しく生きる」って言葉についてちょいとだけ。ことえりの記述(01.07.20)でもちらっと登場しましたが、私の中で、「楽しい」と「愉しい」は明確に違う単語です。ま、あくまで私が字面というか、語感というか、使い分ける基準なんですが、一時的な享楽、快楽ってニュアンスが濃い場合には「愉しい」という文字を私は送ってます。それに対して「楽しい」と書く場合は、上手く書けないけれど、ある種の目標に向かって努力している時の辛さやしんどさ、苦しさなども含めたうえで感じる「楽しい」って想いなんです。

 こうありたい自分。他者との比較ではなく、自発的スケールでの目標。自己実現を目指す過程で、様々な人と関わり、傷付き/傷付け、励まし/励まされ、相互に刺激/影響されながら果てなき理想を追求する。そこに辿り着くことはきっと出来ない。だけど、諦めない。それは辛く苦しいけど、同時に「生きている」という実感を伴うものだと思いますので。そんなニュアンスを「楽しい」という文字に込めています。ま、殆どの人に伝わってないと思いますけども。(笑)

 流されたり、諦めたりする生き方はある意味とても「楽(らく)」なんですけど、そうやって生きる事が楽しいとは....。やっぱ、私には思えないんですね。 ん? 字面の印象が180度違ってる気もするが。ま、イイか。(笑)

 ほんと、真摯に、そして楽しく生きている人と関わるのはとても刺激になります。いつもありがと>皆様


【01.08.03】

 Suzuka 8 Hours

 昨日からいよいよ鈴鹿8時間耐久ロードレースウィークに突入。7月半ばに急遽FIMレギュレーションにあわせてライダーの3人登録ができるようになったそうで、ワークス勢ではカワサキ以外はすべて3人体制になったようだし、4耐は600でのレースに移行する。件のガチンコレーサーも最終的にX-Fクラスでのエントリーとなったようで、どうも傍目からは「バタバタ」とした印象を拭えない。昨年のSilly Talkでは死亡事故の件と賞金増額、及び主催者側の演出について書いたような気がするが、この1年、そういった主催者側の思惑とは裏腹に、もっと「個」に根ざした8耐の楽しみ方が根付いてきたように思う。

 昨年はスズキ80周年ということで、ゼッケン80番の大西/水谷ペアが社内後押しでR750で出場したが、今年は同じペアがゼッケン81番でR1000でエントリー。R1100MLに参加されている方はご存じだと思うが、我々一般ユーザーが、Tシャツ販売、それもほぼ自主製作という形で彼等を応援できる。また、YUKKYチームやTeam ADACHIなど、色んなプライベーターでも同種の手法で個人が具体的にスポンサードする事も可能だ。

 レースブームの衰退なんてことが言われて久しいし、実際、8耐の入場者数はピークと比べると哀しくなるぐらい(実際、私は今年も足を運ばない)であるが、ある意味確実にレースが生活に根付いてきている気もする。が、サンデーレース会場を訪れても明らかだが、それは「残るべき奴だけが残った」結果でもある。バイクの、レースの高年齢化は明らかで、20台前半のライダーを見つける事はかなり困難だ。そこにテコを入れたいとの思惑が、メーカー、レース主催者などのTVメディアと結託したガチンコ騒動に繋がったのだろう。短絡的だと思うけどね、俺は。

 が、上記リンクに代表されるような、ネットを通じたある意味「草の根」的な広報活動、あるいは、個人のHome Pageを通じた観戦記、各種BBSなどで見受けられる観戦前の盛り上がり、携帯に配信される速報などなど。10年、いや、5年前と比べてもレースは身近になったなぁなどと思う。

 はてさて、今年はどんな結末が待っているんでしょうかねぇ.....。いずれにせよ悔いのないレースを>エントラントの皆様

 そうそう、8耐の英語サイト、ご存じの方がいらっしゃればURLを教えて下さい。Jasper君に8耐情報を伝えたいんだけど、どこもかしこも日本語ばっかりなんだよなぁ.....。世界選手権なのにね。(泣)


【01.08.02】

 複雑系

 昨日に引き続き、かなり哲学的な話題。捉えようによっては宗教的に響くかもしれませんので、興味のない方は読み飛ばして下さいな。

 科学とは何だ? なんてあまりに漠然とした問いかけだと思うが、科学とは一種の「物差し」だと私は思う。有史以来、人は様々な「物差し」を手に入れてきた。だけど、全ての物差しが出そろった訳では無い。理論と現実は全く違うのだ。様々なロス。丸め込まれ、切り上げられ、切り捨てられ、無視された小数点以下に代表される様々な初期条件。理論通りの結果が得られるのは、極限られた条件下のみ(先の因果律の話とも少し関連するが、初期条件の桁数をいくら上げてもそれに比例して予測精度が上がる訳では無い)であって、相変わらず「Sencse of Wonder」でこの世は満ち溢れている。

 何故、人が物差しを必要としたのかは改めて書く機会があると思うけど、この世の不思議を理解したいなんて知的欲求の側面より、より確実に明日を迎えるために、より正確に将来を予測したいという、「いのち」の本質に近い部分での欲求が強かったのだと思う。

 話は戻るが、数学や物理学や生物学や化学などなど。従来の科学技術の功績に私は何の文句も無いし、また、それらがもたらした結果を享受しながら生きてもいる事も否定しない。だが、我々はあまりにも「現代科学」を妄信してはいまいか? 我々は限られた「物差し」しか持っていないことを忘れてはいまいか? 物差しで測る事の出来ない現象は、そこに確かにあるにも拘らず、「偶然」「オカルト」「運」「縁」「波」「ツキ」等と呼ばれ、相も変わらず無視されているのだ。測る事が不可能=測る物差しがないという、ただ一点の理由で。

 だが、ここに「複雑系」と呼ばれる新しい物差しがある。この物差しはまだ出来上がったばかりで、目盛りすらない。だから、まだきちんと測れないし、そもそも、従来の物差しのような物になるのかすら分からない。だけど....。この物差しは、「ありのまま」を測る物差しだ。丸めず、切り上げず、何も無視しない。現実にある事を、そのまま測る。そんなことが可能になるかも知れない物差しだ。この物差しが、いずれ「運」や「波」や「オカルト」の正体を解きあかすだろうと私は思っている。科学的にだ。

 全く余談だが、フラクタルと呼ばれる図形に、「いのち」を感じない人なんているのか? 単なる美しさだけでなく、そこに「いのち」を感じてしまうのは、少なくとも現代科学的には「間違い」だと思う。根拠をはっきりと提示出来ないからだ。だが、私自身は、自分の感性は間違ってはいないという確信を持っている。突き詰めて行けば行くほど、科学と哲学/宗教との境界線は曖昧になってくる。が、いずれ、私の確信の根拠も、この新しい「複雑系」と呼ばれる21世紀の科学が解きあかしてくれるのだろう。

 全てをありのままに科学する。私が生きている間には、その答えは見つからないだろうけどね。それだけが残念です。


【01.08.01】

 因果律

 いんが-りつ [3] 【因果律】

   〔哲〕どのような事象もすべて何らかの原因の結果として生起するのであり,原因のない事象は存在しないという考え方。因果法則。

大辞林より

 ....哲学用語だったのか。(無知)唯物論に唯心論に唯名論に実在論に観念論。俺は宗教や学問としての哲学に全く興味がないので、過去の哲学上の論争や、自分がどのようなスタンスで人生に向かい合っているのかを端的に言葉であらわす事が出来ないのだが....。

 偶然は必然か?なんていきなりの問いかけに戸惑うかもしれないが、短絡的な運命論に陥る危険性を孕みながらも、過去を振り返るという作業に限定すれば、俺は因果律の存在を支持する。カオス理論を説明する際に、バタフライ効果なる言葉が用いられる事がある。アメリカに台風が来た。その因果関係を辿っていけば、最終的に中国で一匹の蝶が羽ばたいたところにまで遡る事が出来た(実際にはその蝶の誕生以前にまで因果関係は辿れるし、それを考えはじめれば結局、ビッグバンにまで行き着いてしまうのだが)。故に、今日、蝶が羽ばたけば、またアメリカに台風が来る(かもしれない)。アインシュタインが提示したように、ブラックホールなどの限定された時空以外では、どのような事象にも因果関係は例外なく存在する。

 にもかかわらず、我々は「これから」を正確に予測する事が出来ない。半日先の天気予報だって見事に外れたりするし、これを書いている1秒後に大地震が来るかどうかも分からない。起きてしまえば、結果が出てしまえば、因果関係は比較的簡単に辿れるにも関わらず。

 話があまりに漠然とし過ぎているので、生物的な意味における「いのち」を例に書いてみると、「いのち」の本質が、今日を乗り越え、明日を迎える事にある以上、今日まで生き延びて来れたという事実は何よりも重い。たとえそれが本能による行動であったにせよ、食べ物にありつき、水にありつき、いのちを落とす事なく生き延びて来た背景には、過去の様々な因果関係の分析と行動へのフィードバックが必要不可欠だと思う。逃げるのか、闘うのか、右へ向かうのか、左へ向かうのか、進むのか、戻るのか、それともそこに留まるのか。生き長らえ、それらフィードバックをくり返す事で「いのちとしての個体=個性」は育まれてゆくのだと思うし、取り巻く環境にマッチしない「いのち」は簡単についえる。

 が、天気予報の例が示すように、過去の因果律をいくら分析し、それに基づいて行動したとしても、今回もまた同じ結果が出るとは限らない。コンピュータのプログラムは同じ入力に対し、必ず同じ出力を出すのに。何故?

 俺は学者じゃないのできちんと答えられないんだけど、プログラムのように比較的単純で閉じられた世界ではなく、この世を構成する要素はそれこそ無限に近い物があり、そして全てに因果関係があるからだろうと思う。それら構成要素の全てを把握する事は事実上不可能だし、だからこそ「偶然」という表現しか出来ないんだと思う。今日、釧路で漁船の網からサンマが一匹逃げた。その事と俺の「今」とは殆ど何の因果関係もないと言い切ってもイイかもしれない。が、これから先、そのサンマが俺の人生に何の影響も与えないと言い切る事は出来ない。

 非常に宗教がかって響くかもしれないが、この世に「存在に意味が無い」ものは無いと俺は思う。ミジンコだろうが、部屋の埃だろうが、道ばたの石だろうが。

 時間が過去から未来にしか流れない限り、全ては因果律に支配されている。だが、これから先の俺の人生は、あなたの人生は、誰にも分からない。因果律は結局、結果論だ。50年後に振り返る事があれば「今」を取り巻く因果関係はきっとはっきりしているだろう。だが、今この瞬間を生きている時点では、そこには無限の可能性が広がっていることに変わりは無い。

 俺は、「運命」なんて信じちゃいないよ。


【01.07.29】

 サスペンションと車体バランス

 むぅぅ。バイク関連話しを急に書きたくなってきたぞ。(笑)今回はずっと前に引き続き、サスペンションの話を。とはいっても、具体的なセッティングの話ではなく、サスの物理的な動きと、バイクの特性にまつわる話です。

 フロントフォーク、リアのスイングアーム、どちらもそうなのですが、バイクが直立している状態での力の係り具合と、バンクしている時の力の係り具合の差を、あなた、意識した事はありますか?

 毎度のことながらやっつけな図で申し訳ないのですが、上図はフロントフォークのストローク方向を示す概念図です。左側がバイクが直立している状態でギャップを越えた時と想像して下さい。一見、力の入力方向と、フォークの摺動方向は同じように思えますが、フロントフォークにはキャスター角がついている関係で、実際は右図のように、力の入力方向とサスの摺動方向は同じではなく、力の方向転換が行なわれます。

 つまり、サスのインナーとアウターの摺動部には常に同じ面圧がかかるのではなく、必ず面圧にはムラが発生します。機械部品ですから、面圧のばらつきは磨耗量の差となって、いわゆる「アタリ」の原因となります。ですので、オイル交換などでフォークをばらす場合、最初に組んであった方向に再度組み立てる(バラす前にマーキングしておく)のが肝要となります。ま、OHでブッシュまで交換するならそれほど気を使わなくてもいいと思いますけども。

 左図の赤色がいわゆるスライドブッシュで、突き上げに対して、赤色部分に一番面圧がかかる(コートが禿げる)のがお分かりいただけると思います。

 さらに、このフロントフォークおよび前輪は、赤色の三つ又とよばれる部品(ステムともいう)を通じて、ヘッドパイプにてフレームと結合されるわけですが、入力方向の変換が行なわれる以上、たとえフォークが同一部品であってもこの部分(ヘッドパイプ)の長さによっても変型具合(剛性)が変化する事は容易に想像がつく(テコの原理)と思います。旧車に最新型のフォークを取り付ける際の車体バランスとはこのようなバイクが持つ構造に帰因する場合が殆どで、その解決は容易ではありません。(フォークは三つ又さえワンオフで作ればどんなバイクにも付ける事は可能ですが、それを支えるヘッドパイプの長さや太さを変えるにはフレームの切り張りが必要です)

 さらにしつこく付け加えると、前述の2例はバイクが直立している状態の話ですが、バイクはバンクします。で、バンク中にギャップを乗り越えた時は、キャスターによる影響と同じような現象が左右方向にも発生する事にも上図から容易に気がつかれると思います。タイヤサイズに変更がないにも関わらずフォークピッチなどがメジャーモデルチェンジの時に設定し直される事も多いですが、これらの簡単なモデル図からも容易に想像出来るように、バイクはトータルバランスが重要ですので、一部のみ剛性を上げても、メリットも多い反面、ネガが出る危険性も大いに含んでいます。(更に細かくいえば、フォーク径やアクスル径、ステムパイプの径やステムベアリングの種類なども剛性に影響します)

 いわゆる「カスタム」でよく話題に登る、インナーチューブへの特種コーティングや高価なリプレイスフォーク(サス)に換装する事の目的は、単純な上下動でのフリクションロス低減目的も勿論ですが、こういった、入力/作動の方向転換を、いかにスムースに行うかこそ真価が問われる場面です。摺動抵抗とは言い換えれば減衰力のようなものですので、フォーク全体で発生する減衰力に占める摺動抵抗の割合を極限まで小さくし、減衰は極力ダンパーで効かせるようにするのが各種コーティングの目的です。摺動抵抗なんてクリック1つで調整できませんもんね。(笑)(昔、あるにはありましたが、今のオイルダンパに比べれば安定性から何から何まで劣るものでした)


【01.07.28】

 チェーンサイズを追え!

 バイクネタから大幅に外れつつあったこのSilly Talkですが、DMでのリクエストにお答えして(笑)、今回はチェーンサイズのお話をば。

 GSX1100Sに使われていた630、R1100に使われていた532、現在のビッグバイクでは一般的な530、一昔前の400でよく使われていた520、250ccクラスでよく見かけた428、125ccクラスで見かける420や415などなど。何らかの規格に則った呼び方だとは容易に想像がつきますけど、実際のところ、何がどうなるのかまで解ったうえで「フリクション低減の為に532→530へコンバート」なんて台詞を口にしている人は少ないみたいなので。(笑)

 上図はいつものごとくやっつけで描いたチェーンの絵ですが、530というチェーンを例にとると、最初の5という数字が、ピン間のピッチ(A)を、30という数字がインナープレートの内幅(B)を表しています。最初の数字が大きいほどピンピッチは広く、後ろの数字が大きいほど内幅も広くなります。で、ややこしいというか、鬱陶しいというか、これらの数字はX/8インチを元にした表記なんですよね。(困)頭一桁に関しては、それぞれミリ換算(1インチ=25.4mm換算)で、6/8=19.050mm、5/8=15.875mm、4/8=12.700mmってピンピッチになります。ですので、532から530へ、あるいは530から520へサイズコンバートする場合など、頭の一桁が同じ数字であれば、必要なスプロケットの歯数もチェーンのリンク数も全く変わりません。つまり、532も530も525も520も同じコマ数なら同じ長さです。で、後半の30とか25とか20とか15なんですが、これらもそのまま3/8、2.5/8、2/8、1.5/8と読むのですが、実は、32とか28に関しては、3.2/8や2.8/8ではアリマセン!これら半端な表記は、内幅はそれぞれ3/8や2.5/8と同じなのですが、チェーンの耐久性を上げるためローラーのサイズ(直径)が通常のサイズより大きくなっているということを表しています。(スプロケットとの接触面積が増える→面圧が下がる→耐久性が増す)

 つまり、532から530へのコンバートの場合、少なくとも数字上では軽量化になる部分はチェーンのローラーサイズが小さくなる分だけです。110リンクで100gないかも。一食抜いたほうが遥かに軽量化になる気がしますな。(笑)また、センターが出る出ないや、耐久性などを無視すれば、530のチェーンに対して、525のスプロケットもちゃんと噛み合います。(意味通じてます?)

 もっとも、これらはあくまでチェーンのサイズ表記が持つ意味ですので、実際には同じ530サイズでもプレートの形が小判型であったり瓢箪型であったりします(当然瓢箪型の方が軽量だが強度では劣る)から、単純にサイズダウンしたからといって本当に軽量化したかは疑わしいケースも多いです。(530から520へはスプロケの厚みも変わるのでトータルでは結構軽量化されると思いますけど)

 サイズダウンによる軽量化についてはそんな感じなのですが、じゃ、実際フリクションロスはどこで軽減されるのかというと、やっぱ、ローラーとピンの接触幅、および、スプロケットとローラーの接触面積の減少なんですよね。駆動力が変わらないのであれば、接触面積が減った分だけ各部にかかる圧力は当然増えますので、サイズダウンした場合、耐久性は確実に落ちるのが普通です。

 同じことをスプロケット側から考察すると、530、525、520のスプロケットは歯数が同じであれば、重ねると完全に同じ形(厚みのみ違う)です。532と530は、厚みは同じですが、ローラーの大きさが違うので歯の谷の形が違います。

 こんな感じでいかがかな?>某氏(笑)

 あ、蛇足ですが、チェーンのコマ数は必ず「偶数」です。よく雑誌などで「チェーンを1コマ詰めて実質的なスイングアーム長さをショートに....」なんて書かれる事がありますが、物理的に無理です。(笑)ちょいと考えれば間違いに気付きそうなものなのにね>ライターさん   


【01.07.27】

 花火

 夏の風物詩にもいろいろあるけど、やはり一番風情があるのがこの花火。手持ちでちまちまやるのもいいけど、やっぱ、夜空を焦がす大輪の花は、なんつ〜か、日本人で良かったぁ....などと柄にもなく思ってしまうひとときではあります。私の住む街には「淀川」という比較的大きな川が流れており、沿岸では夏の間に3回ほど大きな花火大会が催されます。で、そのうち、一番ご近所なのが「平成の花火大会」という、なんとも締まらないネーミングの花火大会で、打ち上げ場所は阪急中津〜阪急十三を結ぶあたり。今年は8月3日が開催日らしいのですが、この日ばかりはふだん人がそれほど居ないこの街にも浴衣姿のギャル(死語)があふれ、なんともいえない「ハレ」の雰囲気が溢れます。

 しかしまぁ、花火なんざぁ死を賭してまで見物するもんじゃなかろうに.....。

 神戸の将棋倒しでお亡くなりになった方々やご遺族にはお悔やみ申し上げるしかないんだけど、なんていうか、もう少し「死」について敏感であってほしいなぁと思うことは多いです。いつだったか、川の中州でキャンプしてて増水で流されたファミリーキャンパー達が話題になった事もあったけど、周りの状況をきちんと判断できない背景には、あまりにも日常から「死」が隔離されているからではないか?なんて毎回思ってしまう。

 残酷だからの一言で、牛が、豚が、鶏が屠られる場面はまずメディアに載る事はないけど、スーパーの陳列棚にはそれらの肉が綺麗にパックされて毎日並ぶ。交通事故や鉄道事故のニュースは毎日のように流れるけど、事故現場の凄惨さは微塵も伝わっては来ないし、危険性を全く認識する事なく電車のホームの端を歩く人は相変わらず多い。

 生きる基本のような気がするんだけど、ライダーであるが故、一般的な生活をしている方々より「死」に敏感なだけなのかねぇ...。


【01.07.25】

 高速道路料金

 今度の日曜日は参議院議員選挙の投票日。非拘束名簿方式比例代表なんて破廉恥なシステム導入後の初選挙でもあるので、結果が非常に気になるところではあるけど、どうなることやら。このまま連立維持が続くんでしょうかねぇ。

 ま、そんな事はさて置き、高速道路の制限速度が普通自動車と同じになって久しいですが、未だに定員乗車は認められていないし、高速道路料金の格差も相変わらずです。個人に出来ることなんてたかが知れていますが、ただ黙って毎日を過ごしているだけじゃ何も変わらない、変えられない。ってことで、NMCA(日本二輪車協会)が行っている署名活動のご案内。選挙での一票も小さな意思表示にしかなりませんが、何もしないよりは少しはマシだと思います。興味のある方は是非。

 http://homepage2.nifty.com/nmca/expressway/default.htm

 あ、選挙の棄権はやめましょう。どうせなら白票を。


【01.07.24】

 携帯電話その2

 色々あってとうとう携帯電話を買ってしまった。まだ実質2日しか使ってないんだけど、なんつ〜か、手放せ無くなるのも分る気がするね。メモにもなるし、電卓にもなるし、目覚ましにもなるし、予定表にもなる。むぅぅ。だいぶん乗り遅れてたんだなぁ>時代に。(おやじだ)

 それにしても、今まで興味がなかったので全く気付かなかったんだけど、携帯電話ってほんとにたくさんの種類があるのね。(笑)どれを選べばいいのかなんて皆目見当がつかなかったので、結局すべておまかせしてしまった。おつきあいありがとね>某氏

 「あると便利」と「ないと不便」の境界線はかなりあやふやなんだけど、Macintoshと同じようにこのまま「ないと不便」な地位を俺の中で確立してしまいそうな、そんな予感であります。


【01.07.22】

 朝駆け

 8耐ライダーのN氏のお誘いで久々の朝駆け。「ツナギの慣らし」とのことだが、こないだもそんな台詞で一緒に走った気もするので内心「????」状態だったのだが。

 朝5時起床で取りあえずメールチェック。「う〜〜〜〜ん」と考え込むメールが来ていたので言葉を選びつつ返信を書き上げるとかなり時間がヤバくなってた。(汗)革ツナギで出陣しようか最後まで迷うが、やっぱりいつもの革パンをチョイス。暑いのはこりごりだ。(笑)勝負パンツにスパッツ、革パンにモトクロスジャージ、サマージャケットにジェットヘルと「パイロン系」の出で立ちでRに跨がり、新御堂筋を北上。6速10000まで回して遊んでいるとリザーブに入った。(笑)240kmで17.2L。燃費は14km/L弱かぁ....。最近街でも回してるしこんなもんなのかもね。

 ガス補給後新御堂に再合流するとCBR929のU氏と偶然併走となり、おとなしく集合場所まで走る。みっともない走りを晒すわけにはいかん。(笑)6時ジャストに集合場所に到着。結局、総勢6人での朝駆けとなった。どうでもいいが、今回も最小排気量は私のRだ。時代はビッグバイクなんだなぁ....。

 6時過ぎに出発。平均年齢はかなり高いので(笑)、それほど心配していなかったのだが、初めて一緒に走る人が3人居たので、私が最後尾を努める事にした。しかしまぁ、相変わらずのペースだ。(笑)具体的なコースを書くほど野暮ではないので詳細は割愛するが、先日のTIで開眼した乗り方にちょいとチャレンジ。フロントタイヤの溝がかなり無くなりスリップサインも一部見えているのだが、溝の有無とグリップはそんなに関係ない事を実感。(笑)結構良く曲がるし、やっぱパワーバンドをキープした時のRはかなり速い。う〜〜〜ん、イイ気持ち。

 そんなこんなで8時半には下山。ファミレスのモーニングを食べながらのウダウダは走行時間と同じぐらい時間がかかった。オヤジどもの腰は重い。(笑)

 ......たまにはこんな日記風もイイのかもね。

道中のコンビニ休憩の一コマ。参加車両は

  • VTR1000Fが2台
  • CBR929RR
  • CBR1100XX
  • GPZ900R Ninja
  • GSX-R750L

の6台。高速道路じゃなければ我がRもまだまだ現役でっす。

 そうそう、何故「ツナギの慣らし」だったのか?を。今回も8耐用のツナギの慣らしだったんだけど、私のような素人ならともかく、プロのレーシングライダーは最低2着、同じデザインのツナギを作るそうです。そりゃそうだな。転んだ時(禁句!)のスペアも要るし。1着目の使用感をフィードバックして作った2着目が先日出来上がったばかりだったそうな。いい結果を残せるといいですねぇ>N氏 応援してまっせ!


【01.07.21】

 おおきに

 久々に深夜のラーメン屋さんに行った。このクソ暑い夜にラーメンかよ!って気もしないではないが、喰いたかったんだから仕方ない。「食い倒れ」の街で生まれ育った割には、私はそれほど味にうるさいほうではなく、どちらかといえば味には無頓着だと思うのだが、食事は一人より二人の方が何を喰っても旨い。(笑)

 で、今回はラーメンの話ではなく、勘定を済ませて店を出る時の、「おおきに」という言葉について。

 「商いの街」とも称される大阪であるので、店員の愛想がいいのは極日常的な光景なのだが、この街では客の側も結構愛想がいい。私なんぞはたかがコンビニでの買い物の後でも無意識のうちに「おおきに」もしくは「ありがとう」なんて言葉をレジ打ちの店員に向けて発していることに気付く。その昔、初めて関東に居を構えた頃、この無意識の「おおきに」に対してある種異様な表情を返されることが多く、「あぁ、この地は異文化の地なんだ」なんて思ったものだ。(大袈裟)

 しかし、バブル以降の都市の急速な東京化(地方色が薄れるという意味)と同時進行で、こういったある種の「文化」も失われつつあるように思う。商売はどんどんマニュアル化され、ただ「業務をこなす」だけの、プライドを感じない店員も増えた。それが「商売用の笑顔」と分かってはいても、プロの笑顔には惹き付けられるし、また行きたいと私なんぞは思ってしまうのだが。

 たとえそれがコンビニのアルバイトであっても、私は仕事にプライドを持たない人は好きではない(ひけらかす人はもっと好きではないが)し、また、接客が好きでないのにその仕事に就くことは、その人にとって不幸であるだけなく、周りの人間をも不幸にするような気がする。「お客さまは神様です」なんて言葉もあるが、どちらが偉いなんて話ではなく、店と客は対等であるべきだと私は思う。大袈裟に書けば、そんな想いがあるからこそ、客の側からも「ごちそうさま」、「おおきに」、「ありがとう」なんて言葉が自然に発せられるんだと思うし、そこには「金を払ってサービスを買う」という経済行為以外の要素が占める割合いが高いんだと思う。

 だからこそ。

 自動販売機から発せられる、「ありがとうございます」なんてロボットボイスには腹が立つし、無表情(不愛想ではない)の店員にはそれ以上に腹が立つ。ま、人間だから気分が悪い時もあるんだろうけどね。(笑)

 あ、ちなみに昨夜のラーメン屋さんはとっても気持ちがイイお店でした。さすが!! ご紹介&おつきあいサンクス>某氏 (^_-)-☆  


【01.07.20】

 ことえり

 このサイトをご贔屓にしていただいている方なら何となく想像がつくと思うのだが、私の文章はどうしても長文になりがちだ。推敲にも時間がかかるし、誤字の可能性も増えるし、焦点がぼやける可能性も高いのだが、私はそれらを承知の上で、あえて行間を埋める行為を何度も行ない、カット&ペーストをくり返して段落を練る。それは、言葉(文字)では自分の気持ちや考えを100%伝えることは出来ないことを知りつつも、少しでも「より正確に」伝えようという私なりのアプローチである。私は「詩心」には長けていないので、行間から意図しないものが滲み出すのを恐れてしまう。物語りを書くのは苦手で、操作マニュアルを書くのが得意って感じかな。ある人が言った。「くどい文章を書かせれば君の右に出る奴はいないね」と。....くどいって言われてもなぁ(苦笑)

 行間を読ませる文章を書ける人を私は尊敬するのだが、それは無い物ねだりであり、どう転んでも私には無理だ。隣の芝生は青く見えるなんて諺があるが、くどい文章(笑)を書きたくても書けない人はきっと居る.........っと信じたいものだ。

 ま、そんなことはさて置き、自分の気持ちを文字に置き換えるにあたり、日本語の同音異義語や同音同意語の多さに戸惑うことは多い。「楽しみ」「愉しみ」、「喜び」「悦び」、「早さ」「速さ」、「会う」「逢う」、「青い」「蒼い」、「哀しみ」「悲しみ」、「独り」「一人」などなど。私個人の中ではそれらは微妙に違う単語であり、実際、ある程度は使い分けているのだが、その違いは「漢和辞典」に則っている訳ではないのでかなりパーソナルなものだし、使い分けても私の意図通りに読み手に伝わるとは限らない。が、それを承知で私はこれからも「ことえり(言選り)」を続けていきたいと思っているし、気付いて下さる方がいると正直、嬉しい。ま、文章を書く時の気分に左右されることも多いので、統一出来ていないことは否定しないが。>ことえり

 OS標準のIMに、「ことえり」というネーミングを施すアップルジャパン。いろいろ言われる会社ではあるが、この点だけは私はかなり高く評価している。少なくとも「MS-IME」なんてネーミングを「是」とするセンスからは、製品に対する「プライド」を私は全く感じない。(笑).....けど、「ことえり」って名前負けというか、かなり「バカ」です。(泣)

 

 結論:「意外」「以外」や「確立」「確率」は単純な変換ミスであって「ことえり(言選り)」の結果ではない。(笑)気をつけましょ、お互いに。 


【01.07.16】

 エアゲージ

 実は土曜日のJAJA走行会で愛用のエアゲージを壊してしまった。(泣)1本目の走行前、「念のためにエアの確認を....」っと取り出し、まずは前輪を計測。2.2kg/cm2表示を確認し、前はOK。続いて後ろって時に過ってゲージを落っことしてしまう。ま、これまでもそんな事は何度もあったので気にせずに後輪を計測。出てきた数値は2.7kg/cm2。

 ???何時の間に??? ここんところ前後2.2kg/cm2あたりでセッティングしていたはずなのになんでだ?

などと疑問に思いながらもためらいなく2.0kg/cm2まで落とす。今回はサーキットなのでちょい低めから始めるつもりだったのだが。調整が終わり、念のためにタイヤを押してみるとなんだか「いつもと違う」押し心地。

 ???まさかね???

などと思いながらも、念のために再度フロントを計測。結果は2.7kg/cm2..........。(泣)ってことは今リアタイヤには1.5kg/cm2程度しか入ってないのねぇ......(泣)

 大急ぎで鞄から足踏み空気入れ(走行会には必ず持って行きます)を取り出し、適当にエア補給。ゲージが壊れているので勘だけが頼り。(笑)ま、こんなもんだろうってところで確認の為、友だちにゲージを借りる(工具を借りるのはマナー違反)とジャスト2.0kg/cm2を指した。ま、その借り物のゲージの校正具合は良く分らんので実際のところは不明だけど、「やるなぁ、俺」などと自画自賛。(笑)慣れないゲージ(トルクレンチなども含む)よりは自分の感覚の方を信じるタイプなので、どっちにせよこれ以上微調整はするつもりがなかったのだが、そう考えるとますますケージを壊してしまった事が悔やまれる。

 壊れたゲージはかれこれ購入から6年が経過していたので、昨年末に予備の新しいゲージを買ってはいるんだけど、「いつもの道具でいつもの手順」を踏めなくなったのがこの先ちょっと不安なんだよね。ライディングってメンタルな要素が占める割合いが大きいなぁ....。

 ま、新しいゲージにもそのうち慣れちゃうんだろうけどさ。(笑)

 0.5kg/cm2より下がらなくなった愛用のエアゲージ。2000円ぐらいの安物なんだけど、精度も良くってコンパクトだったので結構お気に入りだったのだが....。最近のゲージはSI単位の導入でパスカル表示なのでなんだか使いにくいね。

 同じの、最近見ないんだよなぁ....>用品屋


【01.07.15】

 750cc

 結局更新してるし。(笑)昨日はJAJAのイベントであるTIサーキット走行会にいってきました。受け付けが10時からということで朝7時過ぎにのんびりと出発し、西宮から阪神高速→第二神明→加古川/姫路バイパスの片道800円ルートでTIに入ったのが10時過ぎ。途中休憩したり買い物したりしたこともあるがペース遅すぎ。(笑)が、そのお陰なのか久々に20km/Lに届きそうな19.11km/Lなんて燃費を記録。回さなければそれなりに伸びるんだと実感。

 ゲートに並んでると後ろのハイエース(ボンゴだったかも)がクラクションを鳴らすので振り向くと、本日の先導マーシャルであるSBSキダニのKさんとクエストサービスのN井さんが手を振っている。(笑)会場にはすでにバイクが溢れかえっていたのだが、なんとか駐車場所も確保できたのでご一緒させてもらい、受け付け/車検を済ませる。

 私の走行は1本目が午後1時から。貰ったタイムスケジュールによると私のグループはSE(スーパーエキスパート)のみの走行枠で、台数は67台。私のゼッケンは白の4番。余りの暑さにぼ〜〜っとしてると意外に早く走行時間が来た。

 ピットロードに誘導され、コースイン順に6班にわかれる。私は3班目。まずは1周の完熟走行のあと、本格的にペースが上がる......んだけど、これがまたなんつ〜か、遅い。3台前のR1が足を引っ張ってるのは明白。先導車とその後ろ2台はあっというまに視界から消えた。(泣)名目上は「ストレート部分以外(厳密には裏ストレート以外)での追い越し禁止」なので最初は大人しくしていたが、我慢できずに最終コーナー〜メインストレートで前3台を一気にパス。気合いを入れて先導を追い掛ける。が、最初についた差は如何ともしがたく、ストレート半分ぐらいの距離まで縮まったところでチェッカー。この間、ほかの班のバイクもかなり抜いた。

 ピットに戻ってぐったりしているとさっきのR1の人が友だちと話しているのが聞こえてきた。

 今回、ブレーキへの若干の不安を抱えていた事もあり、ストレートエンドの突っ込み勝負は端からするつもりはなかったことと、前述の「追い越しはストレート部分のみ」という制限の為、考えようによってはかなりストレスが溜まる走行になる可能性もあったのだが、その事がかえって「750cc」の面白さを私に再確認させてくれたようにも思います。

 「同じ車速からのよ〜〜いドン!!!」では絶対にリッタークラスのバイクにはかなわないので、ひたすら脱出速度を上げることにチャレンジできたことが今回の大収穫でした。パワーバンド(抜く事を考えると8000より下には落とせない)を外さず、メーター読み11500で確実にシフトアップ。隣で全開くれてる929やR1やR1000がシールドの視界から消える快感。使い切る悦び。サーキットというクローズドな状況だからこそ、それが楽しめるという側面は無視出来ませんが、タイムそのものより、そういった愛車との会話というか、こまめにギアを選び、「ベストを尽くす(実際はベター(泣))」ことにどうやら私は楽しみを見い出しているようです。少なくとも今はね。(笑)しかし実際、このバイクが物足りなくなる日は来るんかいな。

 もっとも、チェッカー後、ずぼらなギア選択で流している状況でのよーいドンだと、みるみる(笑)リッタークラスに引き離されますから、街中とか峠ではリッタークラスの方がアドバンテージというか、「余裕」はあるんでしょうね。それに、リッタークラスを「使い切ってる」人達との速度差は哀しくなるくらい明白で、シフトミスしたわけでもないのに裏ストレートで2重追いこしをかまされた時はかなりショックでした。っつ〜か、

 むっちゃ悔し〜〜〜〜〜ぃ!(笑)  


【01.07.13】←金曜日

 バイク選び

 うわ!ジェイソンが来そうな日付けだな。(笑)明日はJAJAの走行会でTIへ行く予定なのできっと疲れて更新できんだろうから前倒し。今週末はここも更新をサボります。おもては再開するネタ無し。(笑)

 昔から「自分にあったバイクに乗れ!」なんて事は良く言われますし、「ステップアップの重要性」なんて話も良く聞きます。私自身はそれを否定する立場にないし、どちらかといえば賛成の立場でもあります。あくまで一般論として....ですがね。実際、運転技術なんて免許暦に関わらず十人十色ですし、体格も千差万別。いきなりR1000からバイクライフをスタートさせる事も年齢条件さえ満たせば免許上は可能ですし、それがベストな選択となる体格/運動神経/ライディングセンスに恵まれた方も中には居るんでしょう。ま、良く出来たバイクなので問題が出るケースの方が少ないかもね。(笑)

 だけど。

なんてのはちょっとニュアンスが違うようにも感じてしまいます。やっぱ、心の何処かでは、「乗りたいバイクに乗るのが一番じゃん!」って想いが私にはあるんですな。具体的なバイクの選択基準は、haseさんとこの極楽ライダーコンテンツをご参照下さい。(他人の褌作戦)

 で、実際、ライディングスクールのインストラクターもどきをしていると、色んなバイクとそのオーナーを目にします。体格とのミスマッチな例も(体の大きさに対してバイクがデカい/小さい両ケースとも)かなりの頻度で見かけます。けど、「その人の体格にあってるバイク」と「その人に似合ってるバイク」ってニュアンスがちょいと違うんですね。一番顕著なのは、小柄な人が大きなバイクに乗っているケース。例をあげれば急制動。スタート位置が決められ、停止位置も決められている。すると、足が着かない。よろよろする。見ていてもちょいとハラハラします。けどね。一般道に於いて、「必ずそこで停止しなければいけない状況」ってのは非常に少ない訳で、停止線では歩道の段差も利用できるし、スピード調節して信号で停止しなくて済むように工夫する事も可能。飛び出し/オーバースピード等のパニックな状況下で転ぶ/転ばないは、足が着く/着かないとはあんまり関係ない(どちらかというと技量/自制心の問題)事も多いのです。(悪路での立ち転けは別だけど、足が着いても転ぶ時は転ぶ!!←何度も実証済み(泣))

 つまり、ライダー自身が、自分の愛車とのマッチング(体格は勿論、技量等も含みます)をきちんと把握出来るのであれば、やはり乗りたいバイクに乗るのが一番幸せだと私は思いますし、実際、見ていても似合ってます。皆さん、ほんまに楽しそうな顔して走ってますから。>スクール

 けどまぁ、自分の体格にあったバイクに乗るのと比べ、それなりのハンデがあることは忘れてはいけないと思いますし、前述のようなハンデを埋めるちょっとした工夫は勿論、体格を技量でカバーしようとする努力もかなり必要でしょう。そしてなにより、その努力を「楽しめる」かどうか。

 そのバイクが「似合ってるか否か」の分かれ目はその辺りにあるように思います。

 良きバイクライフを!


【01.07.12】

 「バイク乗りには2種類ある。愛車に名前を付ける奴と付けない奴だ」

 ちょいとしんどい話が続きがちですので、今回は軽めに....ね。これは格言でもなんでもない、単に私が常々感じている「バイクへの距離感」の一例です。

 バイク関連のサイトを熱心にウォッチし続けていると、新規に訪問した100件の個人ページの内、約5件ぐらいの頻度で、愛車に名前を付けている人達に遭遇します。ま、うちのサイトほど「こっそり」と告白している例はマレですが。(笑)全体の割合にして約5%か。もう少し多い気もしていたんですが、やっぱ少数派なんですかねぇ。

 私も過去、それなりに愛車を乗り継いできましたが、実は初代愛車の「RG50E」には名前がありませんでした。単に「RG」とか、「俺のRG」としか内にも外にも表現する事はありませんでした。ま、それはそれで不便も感じないし、違和感もなかったのですが、今から考えると、「可哀想な事をしたなぁ....」なんて思ってしまいます。歴代の愛車の中で忘れる事が出来ないのが「四郎丸」と今乗ってる「あげは(ひらがなが正しい)」ですな。あ、「華子(ハナコ)」ってのもおったな。これは人のバイクだけど。

 どれがどんな車種かはあえて書きませんが、名前を付けるってのはそれだけ「パーソナル」な行為です。「ひとみさん」と聞いて、具体的なバイクの車種や色、乗り心地まで想像出来るのは俺だけでしょ? つまり、愛車に名前をつける人って、それだけバイクを「道具」として見てない傾向にあると思うんです。上手く書けないけど、「所有している」んじゃなくって、「対等に付き合ってる」って感じ。「俺の」っと所有格を付けることで特定できるのではなく、所有格抜きでも「存在」してる....っとでもいえばイイのかなぁ。

ってご指摘はごもっともです。実際問題、名前を付けようが何をしようが、相手はただの機械ですから、壊れたところは修理するまで壊れたママだし、誰が乗ろうが、それなりには走ると思います。けどね。例えば、同じ年式、同じカラーリングのバイクがずらりと並ぶオーナーズクラブ。ナンバー隠して、シャッフルして、目隠しして。跨がっただけで、あるいはエンジンの音を聞いただけで。試した事はありませんが、愛車に名前を付けるタイプのライダーは、きっと自分の愛車か否かがその瞬間に分る気がします。私には自信がありませんが。(笑)

 自信がないのは、それだけ「中途半端な距離感」をバイクに対して私が取っている事の証でもあるんですが、たっぷりの愛情と、冷静な観察眼をもって愛車に対峙すると、どうしてもそんな中途半端な感じになっちゃうんだよなぁ。(困)

 けどね。

 気合い入れてスロットル捻ればレッドゾーンが+1000rpm以上上に移行し、根性さえあればあと50mブレーキングを遅らせる事ができる。あぁ! 俺の愛車は最高だぁ! 俺の魂の叫びに応えてくれるバイクはお前だけだぁぁぁ!!!

 ....なぁんて馬鹿げた妄想(笑)は抱きはしませんが、この世にたった一台しかない自分の愛車を、単なるシリーズ名だけでパーソナルな場面でも呼ぶ事は、私にとってはやっぱり「不自然」なんですよ。なんつ〜か、機械なんだけど、機械じゃないというか。もっとも、毎日使ってるMacintoshや、CDプレーヤー、歯ブラシやコップやドライヤーやミミカキには名前を付けたりしませんから、ここらの線引きが曖昧ではあるのですが。(困)ま、少なくとも私にとって、自分の愛車は歯ブラシとは同列ではないって事なのかな? あのGUN BOYも言ってたじゃないですか。「ここ一発の勝負はCB子ちゃんじゃないとダメだ」と。(古) もっとも、レースマシンに名前を付ける気には成らない(私のジム専用マシンには名前がなかった)のは私もGUN BOYと同じですので、やっぱ、「道具」としてバイクを捉えるか否かがキーポイントのような気がしますな。

 で、あなたの愛車のお名前は? 答えは「よもやま話BBS」まで。←きっと誰も書かないな。(笑)     


【01.07.11】

 独りである事

 ....馬鹿話とはいえ、毎日更新は結構しんどいな。....ってことで、お得意の焼き直しでご勘弁を。2度読みの方はご容赦下さいな。俺は偉人じゃないので、適宜一息入れなきゃ持たないのよ。←サボり予告(笑)

 ここに1冊の文庫本があります。タイトルは「二十歳の原点」。私がこの本と出会ったのは大学の3回生の頃です。以来、毎日のように読みふける日々が続いたり、何年も全く読まなかったりしながら、相変わらずベッドの枕元に置いてあります。著者の名は高野悦子。立命館大学の学生。内容はただの日記です。時代はちょうど学生運動が華やかりし頃。....が、最期にはこの人、鉄道自殺して死んでしまいます。

 その「日記」という性質上、この本には読者という対象がありません。全て自分自身に向けて書かれています。毎日毎日、日記帳に向かい、自らを問い直す日々が延々と書いてあります。他人の人生をそのままなぞることなど誰にも出来ないことですが、この本を読む度に私はなんだかやりきれない気分になってしまいます。生まれる時代が私と同じ時代であれば....。ひょっとして彼女は死ななくてすんだのかもしれません。生まれる時代を選ぶことは誰にも出来ないのだけれど。

 「孤独」という代表的な熟語があり、私はよく使う「独り」という書き方は、どことなく寂しさをあらわしているように感じられる方がいらっしゃるかも知れませんが、基本的には「独立している個人」をニュアンスとして出したいがために「独り」とあてています。(高野悦子も多分そうだったと思います。)私は、ヒトは「個の確立(=独り)」が出来てようやく人となり、ふれあいなどの社会との協調が出来ると思うのです。「個」を確立する機会を持たなかったヒト(勿論、少年を含む)が引き起こす様々な事件を思い出すまでもなく、自分を知らないヒトは、他者を「人」として認識することができません。そういうヒトは....残念ですが沢山います。

 人は皆、独りです。そして、一人では生きていけません。ですが、それは決して、寂しい事や、哀しい事ではありません。

 彼女からのこのメッセージが、少しでも多くの人に届きますように。

 でも、この本の一番Rockしている点は、この日記の出版を許可した、高野さんのお父さんの存在です。実はこの本には一切の編集が入っておりません。本当に、日記の全てをそのまま出版しています。度々では有りませんが、性交渉や自慰など、娘を持つ父親としては削除したいであろう記述もそのまま書かれています。その決意はまさしく「Rock」であると、私は思います。彼女の父親は、出版当時、地元の役場の要職であったという事実を考えると、相当の決意を要したであろう事は想像に難くありません。似たような話は「完全版」と銘打たれる以前の「アンネの日記」でもありました。こちらは残された家族の意を汲んで、削除/編集後に出版されたそうです。

 どちらの姿勢が正しくて、どちらが間違ってる。そんな事は私には分りません。けど、出来ることなら、私は「Rock」であり続けたいです。ありのままの自分を認めるのと同様、ありのままに相手を受け入れるのもまた、とてもパワーが要る事であるにしても。

 娘である著者の略歴を巻末に淡々と記すその姿勢と、「鉄道自殺」と筆を運んだ時のお気持ちを考えると....。とてもかなわないなぁ。そう思います。私はまだまだ、「未熟」です。

 いつの日か、私が父親となる日がもし来るのであれば。そういう父親に私はなりたいです。


【01.07.10】

 機種依存文字ばすた〜

 感情的な散文が続いたのでちょいと軌道修正。久々にちゃんとした?ネットネタです。(笑)

 以前にもこのSilly Talkで取り上げた事があるのですが、Macintoshなんて少数派のパソコンを使っているとちょくちょく困った事が起きます。断りなくExcelやWordの文章がメールで送られてきて途方に暮れたり(笑)するぐらいなら可愛いもの(アプリケーション依存)ですが、実はMacintoshを使う事で「読めない」メールやWeb Siteは結構あります。

 その原因が、「機種依存文字」と呼ばれているものです。

 丸囲みの数字や、ローマ数字などが一番顕著ですが、各種単位記号などもバイク系だと結構目にします。が、それらの記号のほとんどがJIS外字扱いなので、使っている機種が違うと、制作者の「意図通りには表示されません」。

 思い入れのある方にとっては、Z2はあくまでZ?Uなんでしょうが、Windows上でこのように入力しても、Macintoshではきちんと表示されないのです。(Z(監)と見える) 反対に、Macintosh上でZ2をZ??と入力しても、Windowsのあなたにはきちんと表示されないでしょ? ローマ数字の場合は、基本的には半角ローマ字(大文字)を並べて表現するのが一番の解決方法です。ZIIと書けば誰にでも読めます。

 勿論、諸悪の根源はこういった「外字」という曖昧な、だけど、やはり運用上便利なシステムを容認しているJISにあると私は考えています。昔、まだパソコンが今ほどパーソナルではなかった頃、Niftyserveの会議室でこの機種依存文字を使うとかなり激しい口調で指導が入ったのですが、Windows95以降の爆発的なPC人口増と、WWWの普及に伴い、これら機種依存文字を目にする機会も増えました。やっぱ、IMの変換候補に出てくるか否かがキーポイントなんでしょうね。それに、PCを使いはじめて間がない人に、「見えている通りに表示されるとは限らない」なんて話をしてもピンとこないじゃないですか。(笑)

 突き詰めれば「無知は罪か否か?」とか、「相手の立場になって物事を考える」なんて生き方まで問われそうですが、そこまで話を重くするつもりもないし、機種依存文字を使われたからといって、私のMacintoshが壊れちゃう訳じゃないので、どうだっていいといえばどうだっていいですが、少なくともご自分のHome Pageを運営している方は、頭の隅にでも留めておいたほうがイイとは思います。だってせっかく作ったページが意図通りに見てもらえないのはちょいと哀しいですもんね。せっかくZ?TとZ?Uを使い分けても、ほとんどのMacintoshユーザーは違いを正しく認識できません。マッハ?Uとマッハ?Vも同様。

 で、(パソコンに限らず)こういう問題は、弱者であるマイノリティー側に我慢を強いることで解決する事が多かったのですが、ここに1つのソフトがあります。

 それが、「機種依存文字ばすた〜

 Macintoshにインストールすると、Windowsの機種依存文字の一部を、本来の意図通りに表示してくれるソフトです。しかもフリーウェア。Macintoshユーザーさんには無条件で使用をお勧めします。少なくとも私の環境では、これに帰因するコンフリクトは今まで起きていません。

 ま、これだって弱者側の歩み寄りの1例ですので、本来なら全面的なJISの改編によって解決するのがスジだと私は思っています。けど、それに伴うバタバタを考えると手を付けられんのでしょうな、きっと。

 あ、機種依存文字についての詳細はこちらをご参照下さい。

 「依存」とは、かくも鬱陶しいものなのです。「信頼」とは全然違うでしょ?←私信(笑)


【01.07.09】

 405秒

 短い電話を切ったのが23時58分。カバーを外してエンジンに火が入ったのがジャスト0時。2度の赤信号以外は道交法を全て無視。いつもは少し楽しむだけの橋の向こうの下りカーブが、2車線使わないと曲がれないコーナーとなって目の前に現れる。客を探すタクシーを、路上駐車をかき分けて走る。市街地での3速パワーバンド。視野がいつになく狭い。

 俺はバイクでは死なない。

 何気なく口にした言葉が蘇る。頭の何処かが醒めている。この時間なら、いつものペースでも12分と少し。なのに何をそんなに急いでる? だけど右手は戻らなかった。戻せなかった。1分、1秒が惜しかった。速く、もっと速く。最後の大きな交差点の信号が黄色に変わるが構わず突っ切る。左45度に交差点を抜けると、あと信号2つでゴールだ。

 

 扉の前に立ったのは0時6分45秒。

 

 短いようでとても長かった、地図だとたった55mmの距離と405秒の時間。

 ま、36年も生きてりゃ、そんな切ない夜もあるわな。

 

 

 

 

 ....これを最後にしてくれるとおじさんは嬉しいんだけどさ。(笑)


【01.07.08】

 「上手さ」とは何か

 ここんところのSilly Talkが過去のHome Pageの焼き直しである事は一部の好事家には有名な話ではありますが、ま、気にせずに。(笑)2度読みの方はごめんなさい。ま、2度書くって事はそれだけ「伝えたい」って感じで捉えていただければと。(ネタ切れって説もあるわな(笑))

 なぁんて、わりと日常的に使われる「上手い」という言葉ですが、では果たして具体的に「上手さ」とはどういった基準なんでしょうか?ってことを少し考えました。

 局面を限定すればするほど、こういった「上手さ」は数値化がしやすいですが、もっと漠然と、「あの人は上手い」なんて使う場合、自分との比較である場合が多いですね。(これについては過去に書いたので省略)そういった、「比較」レベルの話が書きたくて文章を起こしたのではありません。

 だんだんと私も歳を取り、「肉体の衰え」を少なからず意識するようになってきました。具体的にいうと、階段で息切れしたり、椅子に座る時に「どっこいしょ」なんて声が出たり。(笑)....じゃなくって、「曲がれる!」っと思ったパイロンを引っ掛けたり、「止まれる!」っと思ったゴールラインをオーバーしたり。バイク以外でも、以前なら簡単にキャッチできたボールを取れなかったり、100mダッシュすると足がもつれたり、シンバルを空振りしたり....ね。つまり、自分の持っているイメージと、実際の身体運動能力のギャップが出てきたんです。

  いわゆる「上手い」とされる一流のプレーヤー(バイクだけでは無い)達に共通して言えるのは、

ってことが挙げられると思います。これはスポーツの世界で非常に顕著ですが、彼等が「道具」(シューズであるとか、ラケット、バット、マシン、クラブetc)に非常にこだわるのは、この自分のイメージと実際のギャップを出来るだけ少なくする為だそうです。反対に、引退するきっかけとなるのは、自分のイメージに体が付いてこなくなる時だそうです。(速いライダーが遅いマシンに乗るのが危険なのはこのギャップが大きすぎるからだそうです。イメージに追い付こうとして、マシンの限界を簡単に超えてしまうんだとか)あの程度のボールなら楽勝で追い付く(追い付いていた)筈なのが、ある日突然、追い付かなくなるんでしょうな。

 で、普通はそこで引退になる訳ですが、世の中には歳がいっても長い間現役で活躍する人たちも少なからずいます。彼等は歳を取らない?肉体が衰えない?

 勿論そんな事は無く、生物である限り、肉体的身体的能力は必ず衰えてきます。では何故、彼等はいつまでも現役でいられるのか? 慣れ? 経験? 確かにそういった側面は無視出来ませんが、それだけでトップとして現役を維持できるほど「プロ」の世界は甘くはありません。では何故?

 私なんぞには想像でしかありませんが、恐らく、衰えた肉体にあわせてイメージの方もきちんと下方修正しているのでしょう。この感覚に長けている方が、長く現役でいられるのだと思います。

 口で言うのは簡単ですが、これって非常に難しいと私は思います。イメージは決して衰え無い事に加え、自分の肉体的限界をきちんと把握する事が出来て初めて実現可能なのですから。肉体的衰え(=老い)を当たり前のものとしてきちんと対峙して受け入れているんですね。これを受け入れられず、『No』と否定しようと躍起になると、『こんなはずではないのに.....』的な泥沼のスランプに陥り、いつのまにか寂しい引退を余儀無くされるんでしょう。(勿論、肉体能力の優秀さを競う競技にあっては、十分な引退理由になります)

 そんな彼等はまさしく「いぶし銀」と呼ぶに相応しいですな。そんな風に歳はとりたいもんです。(自戒)


【01.07.07】

 「Yes!」であること

 その昔、「Rock」なる音楽ジャンルが登場した時期、いわゆる「大人達」はとても毛嫌いしたそうです。反対に若者達は熱狂し、「これぞ俺達の音楽だ!」なぁんて盛りあっがたりもしたそうです。私は1965年生まれの若僧ですし、洋楽と出会ったのは70年代の後半から80年代の初頭にかけて。曰く、「Rockは死んだ」などと言われていた時期ですので、黎明期の熱いRockをリアルタイムで聴きながら育つ事は出来ませんでした。音楽に関してはやはりあと10年は早く産まれたかったよなぁ....。

 現在出版されている、さまざまな『栄光の60年代回顧本』を読むと結構笑ってしまいます。中でも、当時の大人達の代表的なRockに対する認識が、

なんて感じであった事。これにはほんと笑ってしまいます。世の中に対する不満や怒り。そのはけ口がRockだったと言うんですな。当時を知らない私にとっては想像の域を超えることは出来ませんが、当時の音楽を聴く限り、決して『No!』が主体の音楽であるとは思えません。むしろ、Rockなる音楽は、自分自身の価値観に対する積極的な『Yes!』が主体の音楽であるように私は感じます。

 このSilly Talkでも何度か取り上げましたが、過去の時代においては基準や標準といった客観的なスケールを中心に世の中は動いていました。それに従わない人間ははっきりと「社会」から拒絶されたんでしょう。でも、あるとき、「そもそも社会なんてものは、標準なんてものは存在しないのではないか?」と気が付いたんでしょうね。それが「Swinging London」に代表される、輝ける'60sだったのでしょう。

 その先に見えたのは「社会」なんて幻想ではなく、「個人」、「自分自身」の再発見だったんだろうと思います。つきつめれば「何故自分はこの世に生を受けたのか?」にまで遡ってしまう永遠に解けない問題より、「しかし俺は確かにこうして存在している」という事実を積極的に肯定したのでしょう。

 こう書いてしまうとうまくニュアンスが伝わらないかも知れませんが、自分自身の存在を肯定し、精一杯生きる。演奏者の「生き様」が聴く度に伝わる。そんな音楽が私にとっての「Rock Music」です。たとえそれがブルースであろうが、ジャズであろうが、演歌であろうが。

とはJohn Lennonの唄う詩の一節ですが、まさにそんな感じ。生き急ぐのではなく、懸命に生きる。そういう人と触れあうのはとても気持ちがいいものです。半日先の天気も、正確には予報できないし、震災を思い出すまでもなく、今日と同じ明日が必ず来るとは限らない。ならば、「今」を精一杯、楽しく生きなきゃね。

なんて諺もありますが、実際、ひたむきに生きていれば短期間に色んな事が人生には起きます。本当に、色んな事が....ね。悔いの残らぬ人生を送りたいものです。

 お互いにね。 


【01.07.05】

 あるパチプロへの謝辞

  人はいつか死んでしまう。俺も、あなたも、そして、あの人も。

  「死」はいつも、厳然とそこにある。「死」そのものに意味などない。

  あの人の人生はあの人のものだ。俺の人生は俺自身のものだ。誰にも追体験など出来ない。

  だがしかし。

  今、俺の胸に沸き上がる、この切ない思いは、俺のリアルな感情である。

  会った事もないあの人から、俺は確かに「何か」を貰っていたんだと気付く。

  真摯な生きざまに触れる度に、勇気を、希望を、生きる事の意味を、俺は確かに受け取っていたんだ。

  無駄死になんて言葉があるが、人の死を無駄死にとするか否かは、残された者のその後の生き方にかかっている。

  俺はこれからも「楽しく」生きて行きたいと思う。それはとても難しい事ではあるのだが。

 

  どうか、安らかにお眠り下さい。


【01.07.04】

 キック

 先日の日曜日はクエストレーシングのN氏に誘われ、早朝から岡山のTIサーキットにレースのお手伝いに行ってきました。「私がTIに行くと雨が降りますよ!」なんて冗談をいってたんですが、冗談で済んで良かった、良かった。ほんと、既に梅雨の晴れ間なんて表現は嘘だと思うくらいの日射しで、サーキット到着した8時前から気温がグングン上昇。短パンに開襟シャツ、サンダルにタオルと、まるで海辺にでもいるようなスタイルでピット作業をちょこちょことお手伝い。久々にレースのスタート進行を最初から最後までピット側から見れたので満足。やはり独特の緊張感が漂いますね。

 で、レースは滞りなく終了。結果は割愛。TIのサイトの公式リザルトを参照してくだされ。

 渋滞をさけるため、午後2時頃サーキットをあとにして、美作ICそばのドライブインで遅めの昼食。座敷に陣取り、今年初めての冷麺を食べ終わり、しばし談笑している最中、目の前の道路をふと見れば、少年が交差点で必死でSRのキックを踏んでいる。状況を最初から見ていなかったので良くよくわからないんだけど、どうも信号待ちでリザーブに切り替わる寸前でのエンストっぽい。

 暑い中、大変だなぁ....

 なんて思いながら再び談笑開始。この日は4人でTIに行ったのですが、全員がライダーで、やっぱ、ついついSRの彼が気になる。で、10分経過。まだ汗だくでキックを踏んでいる少年。「....こやつ、なかなか根性があるではないか。(笑)」 4人が4人ともそれを暗黙のうちに認めた。

 食事も終わったのでドライブインをあとにし、車に戻るついでにSRと格闘中の少年に声をかける。少年の額には玉のように汗が滲んでいた。

 「かからへんみたいやな」
 『全然ダメさぁ〜。もう疲れてきちゃったさぁ』
 「SRは結構難しいからなぁ...。ガスケツか?」
 『信号で急に止まってしもうたさぁ』

なんて会話(方言は推定(笑))をしながらも、なにげにキルスイッチやコック位置を確かめる4人。さすがに年の功で見るべきポイントは皆同じだ。(笑)

 「ほな、変わったるよ」っとN氏。

 圧縮上死点が〜なんて話は皆知っているけど、誰もいわない。キックの踏み応えを確認し、全体重を一気にかけて踏み込むと

 

 『バルゥン!!!』

 

っとブラウンサンバーストのSRに再び火が入った。そう、少年はやみくもにキックを踏み込み、格闘の疲れもあるのか、踏む度にスロットルも連動して開いていたのだ。それじゃ何時までたってもかからんわな。(けど誰も教えない(笑))

 うぉぉぉ〜!(喜) ありがとうございますぅ
 「礼なんていいから。ま、気をつけて。SR(かなり初期のディスクモデル)、大事に乗りなよ。その根性があれば、何時か1発でエンジンもかかってくれるからサ♪」

 車に乗り込み、少年とはお別れ。バイクの楽しみ方は様々。関わり方も様々。けど、単なる道具としてだけでなく、愛情を、根性を、情熱をもってバイクと接している奴には、会えば分るし、年齢や容姿に関係なく、とても格好イイし気持ちもイイ。ノウハウを「教えない」のはイジワルじゃないんだ。君と君のSRとの間のリレーションは君の力で築いて欲しいのさ。たとえ、ちょっと遠回りでもね。俺たちは皆、そうやって自分の愛車に乗り続けてきたのさ。君のSRのことを一番知っているのは、君であって欲しいんだ、俺たちは。

 ....なんてね。←マイブーム(笑)

 バイクに乗ってて良かった。君と話せて楽しかったよ>少年 そんな気分の4人なのでした。

 

 

 

 

 結論:けど、やっぱり、車は楽だ。←帰りの中国道での会話(笑)


【01.07.03】

 一人称としての「俺、僕、私」

 日本語には様々な人称代名詞があって、こうして自分のサイトに雑文を書きなぐるだけでもどれを使おうか悩む事もしばしば。それぞれに趣があって、ま、悩むのもまた楽しってな感じなんですが。

 基本的に私は、物心付いた時から自分自身を表現する代名詞に「俺」を使っています。が、書き込みなど、改まった場所に於いてはいつの間にか「私(わたし、わたくし)」を使うようになってしまいました。なんでだろ?

 やっぱ、今でも「私」という表現方法は多少違和感があるというか、非常に恥ずかしい感じがします。(笑)他所(よそ)いきの言葉遣いですね。だけど、きっと、そういう「距離感」をネットに対していつの間にか自然に感じているのだと思います。

 BBSへの書き込みやサイトの更新文章。基本的に自分自身の体験した出来事を、自分自身の言葉で書いているのですが、「UP」するに際して、一歩引いた気分で眺めたいのでしょう。文字にする事で、UPすることで、「純粋な自分自身ダケの感情、感覚」が「文字によって限定」されたものとなり、さらに、受け手によってどう捕らえられるかすら分らない物になってしまうことへの配慮なのかもしれません。このサイトはGSX-R系を標榜しておりますので、このSilly Talk以外では出来るだけ事実を正確に伝える努力はしているのですが、商品のインプレやライディングのフィーリングなどなど。そこかしこに「私自身」の価値観が滲んでしまいます。文字なんて所詮は記号ですから、「速い」なんて単語1つとっても、読む人全員が同じ語感を感じる事なんてないんだし、ましてや誤字だらけではね。(泣笑) ←こっそり修正した事は多数あります。

 そういった代物に、「俺」という、ほぼ純粋な自分自身をあらわす人称代名詞を「生」で使う事に抵抗を感じているのかも知れません。だけど..........。恐らくこれから先、くたばるまで。

 私は(少なくとも自分の心の中では)、自分の事を「俺」と呼び続けるだろうなぁ。きっと。

 

 

 

 

 

 「僕」は...........。柄ではありません。(笑)


【01.07.02-2】←日付け調整(笑)

 梅雨明け宣言

 昨夜、気象庁の発表の有無に関係なく、長く続いた俺の梅雨は、スッキリと明けた。

 ....なんてね。

 だいたい、こんな天気のどこが梅雨じゃぁ〜〜〜〜!! 梅雨の晴れ間なんて表現は嘘だろ。ほんと、暑いアツい毎日が続きます。もう夏だね。皆様もどうか、ご自愛の程を。←すでに夏バテぎみな奴。(笑)油冷エンジンは熱く、そして暑い。


【01.07.02】

 エゴ

 ?あれ? いつの間にか日付けが一日ずれてる....(困) ま、イイか。(笑)

 私はバイクの整備に関して、大きな音が出る作業や特種工具が必要な作業以外は、住んでいるマンションの駐輪場の片隅で自分で整備をしています。ま、こじんまりとしたスペースなので、それほど大掛かりな作業は出来ないのですが、Rを全裸にして、前後輪を外し、キャブを外してヘッドカバーやエンジンカバーを開けるぐらいの事は出来ます。反対に、メンテの基礎といわれるオイル交換については、駐輪場のアスファルトを汚す可能性がゼロではないため、必ずショップで行っています。

 早いものでRに乗りはじめて2年以上が経過。そのスペースでこなした作業回数は、そりゃもう数え切れないくらいで、その間、同じマンションに住む住人や管理人に数限り無く話し掛けられました。

 「兄ちゃん(おっちゃんではない)、ホンマにバイクが好きなんやなぁ〜」

 そんな感じで話し掛けられる度に、なんだか照れくさく、そしてまた、少し嬉しく、誇らしくもありました。整備作業をきっかけに顔見知りも増えましたし、都会のマンション暮しとはいえ、そこそこのコミュニケーションがとれるというのはどことなく安心感に繋がります。

 が。今年に入って新たな問題が....。

 いわゆる自動二輪クラスの駐輪台数が激増したのです。顔ぶれを見るとリターンライダーあり、買い替えあり、買い足しあり、新規参入あり。ま、「バイク文化」なんてことについて声高に更新しております私でありますので、その事(ライダー増加)自体は大歓迎ですし、どうやら私の整備作業見物がバイクに乗るきっかけ.....って人もいる様子。嬉しくない訳はないのですが....。

 でもね。最近、夜遅く帰ってくると、いつも私がRを停めてるスペースに見知らぬバイクが....。(泣)バイク人口が増えるのは嬉しい。けど、いざその弊害(大袈裟だな)が自分にふりかかると、エゴ丸出しで

 

 

 『そこは俺の場所なんじゃ〜!!』

 

 

っと激昂する自分がちょっと嫌になっりして。(ちなみにうちの駐輪場所は譲り合いが基本です)

 「大人になる」ってのは難しいね、ホント。


【01.07.01】

 ヘルメット

 ちょいと重めの話題が続いた(っつ〜か、俺が意図的に続けたんだな)ので、ここらでちょいと軽めの話題を。

 こんなコンテンツまで読んでらっしゃる方はご承知だと思いますが、私の現在の愛車は'90年型のR750L。バッキバキのレーサーレプリカです。このバイクが世に出る少し前、バイクブーム全盛期には、レプリカに乗る=革ツナギってなムーブメント真っ盛りで、そういう装備でなければレプリカに乗る資格無し!ってな雰囲気に溢れていました。街なかでツナギもごく普通に見ましたし。流行の持つ力はいつになっても強いですね。つい1年前には全く見なかった「スリムのジーンズ」が今年はブレイクしてるみたいだし、頭に手ぬぐいを巻く若者は今は皆無です。(笑)

 でもまぁ、当時も通学や街乗り程度でレプリカに乗るのに毎回ツナギなんか着ていられませんでしたから、普通っぽい格好で乗る事も多かったのですが、それでもグローブはレーシンググローブだし、ブーツはレーシングブーツだったりしたわけです。で、ヘルメットは当然のごとくフルフェイス。

 私は今現在ヘルメットを3つ持っているのですが、実はそのうち2つはジェットヘルです。で、グローブも普段使っているのはモトクロス用グローブで、足元も単なるライディングシューズです。勿論サーキットを走る時は別なんですが、なんつ〜か、この格好が非常に楽なんです。(笑)

 レプリカにジェットヘルって組み合わせは「うへぇ〜〜!!オヤジくさぁ!!」って雰囲気バリバリなんですが(笑)、さすがにこの歳になると見た目より実利をとっちゃうんですな。ジムカーナなんて競技を始める前は、私もメットはフルフェイス派だったんですが、「コンマ1秒でも次のパイロンを見つけるのが早くなるなら、10個で1秒差だよ!!」っとの師匠の指摘で泣く泣くジェットを使いはじめたのですが、使ってみて納得。確かに安全性はフルフェイスに比べて落ちるんですけど、その利便性に、いつの間にか街乗りでも手放せ無くなりました。同様に、モトクロス用グローブも、雨に気を使わなくてもいいし、汚れたら気軽に洗濯できるし、濡れてもすぐに乾くし、使い古したらメンテナンス用グローブに使いまわせるし。(笑)一旦それを「普通」と感じてしまうと、もう元には戻れないんですな。

 ジェットヘルのメリットには沢山のものがありますが、少し挙げてみると、

などなど。

 結論:やっぱジェットでしょ。ヘルメットは。(^_-)-☆


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