死は厳然と、ただ、そこにある
今年(98年)3月4日。私の友達が逝去されました。
人の死は、いくつになってもこたえますね。
彼とは直接お会いしたことはなく、Niftyの会議室だけでのおつきあいでした。
ほんの2、3日前までアクティブだった方が突然お亡くなりになる。
私には初めての経験でした。
いつもいつもいつも。死は突然やってきます。でも...............。
いくら哀しんでも故人は帰ってきません。
だからこそ、「死」は、あれほど厳粛なのですね。
それがたとえ、どんなに理不尽な死であっても。
私たち残された者は、今日を、明日を精一杯生きるしかないんです。
日常から「死」はこの国ではほぼ完全に隔離されています。
実感としての「死」は遠いところに追いやられてしまってます。
ですが、スーパーで売られている「肉」「魚」etc....。
どれも何かの「死」から生まれてくるものです。
もとより我々は人肉を喰って生きている訳ではありませんが、人が生きていくためには
必ず何かの死がその陰に潜んでいます。(業........ですね)
「無駄死に」なんて言葉がありますが、そんなものはこの世にありません。
死は厳然と、ただ、そこにあるだけです。
こと、人の死に関しては、無駄死ににするかしないかは、
残された者がその死をどう受け止め、その後、どう生きて行くか。
そのただ一点にかかっていると思います。
みなさんも、「楽しく」生きる努力をしてくださいね。難しいんだけど。
生きていることはそれだけで.........。かけがえの無いことだと思います。